月別アーカイブ: 2015年6月

人々が関係を持つところでは、お互いの生活を円滑にする「規範」が形成されています。「規範」とはいわばルールで、法律も「規範」のひとつです。
「規範」は、どのように維持されているのでしょう。規範は「守られる」ことが必要ですが、それだけでは維持されず、実は「破られる」ことも必要です。規範を破った違反者を罰することで、規範の存在感、規範を守る意味を示すことができます。つまり、「犯罪は規範がつくり出している」のです。
社会学の始祖のひとりであるエミール・デュルケムは、「犯罪はむしろ社会において必要不可欠である」という犯罪正常説を唱えました。誰かを犯罪者として非難することで、人々に守るべき規範を自覚させるのです。
自分が凶悪犯罪に遭う可能性は低いにも関わらず、私たちは凶悪犯罪に惹きつけられ、加害者に対して怒りを覚え、非難し刑罰を求めます。どうしてそう思うのでしょう。犯罪は本質的に悪だから非難するのか、それとも別の仕組みが働いているのか。このように、「私たちと規範」という視点から犯罪について考える、これが犯罪社会学の基本的なスタンスです。

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本田 宏治准教授社会学部 社会学科

  • 専門:犯罪社会学

総合大学の強みは、一つの大学の中にさまざまな学部があり、専攻する学部学科以外の知識に触れるチャンスが多いこと。イブニングコースの法学部法律学科で学んだ松本祐里佳さんは、高校時代から関心を持っていた法律や子どもの支援という分野を起点に学びを広げるうちに、学ぶ姿勢と情報収集力、そして人生を創造する力を身につけていきました。

両親の影響で法学部に進学

私の両親は、そろって法学部の出身です。家族でニュースを見ている時なども、法律という切り口から話をすることがよくありました。「法律を知っていると、社会に出た時にとても役立つ」と話す両親の影響を受けて育った私は、自然と法律学科を目指すようになっていました。

法律学科を選んだ理由は、もう一つあります。高校時代にニュースを通じて、少年犯罪と少年の更正に興味を持つようになり、そのためには法律の知識も必要になると考えたのです。

大学入学後は、法律について学び、法の解釈について議論し合う法学研究会に入会しました。研究会の仲間の多くが弁護士や公務員を目指すなか、私が目指していたのは、少年院で更正を担う法務教官。しかし、大学で学びを深めるうちに、家庭裁判所調査官の仕事にも興味がわいていきました。

非行を犯して家庭裁判所に送られてきた少年たちを調べる家庭裁判所調査官は、その人物に何が起きて非行を犯したのか、家庭環境はどうだったのかを調べます。その上で、どう裁くことがその人物のためになるかを裁判官に進言するのです。

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大学では興味のある勉強を優先しようと決意

家庭裁判所調査官は公務員です。本気で目指すのであれば、1年次から公務員試験のための勉強をする必要があるということがわかりました。

とはいえ、私には犯罪社会学や臨床心理学、仏教など学びたいことが山のようにありました。「大学ではそれまで知らなかったことをたくさん知りたい」という希望も持っていたのです。しかし、公務員試験を目指すには試験勉強もあるため、自分が興味ある分野の勉強ができなくなってしまいます。悩んだ結果、大学生活では本当に学びたいことを優先し、法学部で学んだ知識を企業の法務といった形で活かそうと一般企業への就職を目指すことにしました。

はじめこそ関心が薄かった一般教養の授業も、受けてみると興味深い内容が多く、さまざまな分野に視野を広げるきっかけになりました。法学部の授業だけでなく、他学部開放の授業も履修しました。

このように学ぶうちに、興味を持った分野や知りたいことを積極的に学びに行く姿勢が身についたように思います。また、気になったことがあれば、講義の前後に先生に質問しに行く習慣もつきました。いろいろな本やインターネットなどを通して知りたい情報を探すことも増え、情報収集力も養われたと実感しています。

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思いきり学んだからこそ見えた進路

こうしてさまざまな分野の勉強をしながらも、やはり私の関心の中心は、高校時代から変わらず、「少年の犯罪と更正」でした。少年犯罪について、さまざまな知識が身についたところで、今度は「実際の子どものケアはどうなっているのか」ということを知りたいと思うようになりました。

なぜ子どもが犯罪を犯してしまうのか、そうした子どものケアはどうなっているのか。その実情を知りたくて、他大学の特別聴講制度を利用しました。また、他大学の学生たちが行うボランティア活動にも参加するようになりました。周囲となじめない子どもたちが、遊びを通して相手に気持ちを伝えたり、コミュニケーションを取ったりできるよう、サポートするという活動です。入学当初は法務官や家庭裁判所調査官という仕事を目指した私でしたが、ボランティア活動を通じて「子どものケアを仕事としてではなく、ライフワークとして続けていこう」という目標ができました。

一般企業への就職が決まりましたが、今後も子どもの支援ボランティアの活動は続けていくつもりです。そして、地域の方々と一緒に、子どもたちの育ちを見守っていきたいと思います。

松本 祐里佳さんイブニングコース 法学部 法律学科 4年

  • 内定先:三井海洋開発株式会社
  • 私立三輪田学園高等学校出身

将来の夢を持つことは、学びのモチベーションにつながります。「観光業界で働く」という夢をかなえるため、苦手だった英語を克服し、観光英語に触れるゼミナールを選んだ国際地域学部国際観光学科の二見晃司さん。「好き」をスタートに歩み始めた道の先に続いていたのは、「人に尽くす喜び」を最大限に感じられる、まさに適職とも言える進路でした。

苦手な英語克服のため留学

旅先でもテーマパークがあれば必ず訪れるほど、幼い頃から大好きだったテーマパーク。私の場合、絶叫マシンが目当てなのではなく、その場の雰囲気に魅力を感じるのです。テーマパークにいる人たちは、みんな笑っていますよね。その光景を見るのが好きなことに気付き、自分も将来、観光業に携わりたいと考えるようになりました。

大学に入学してからは、念願だったテーマパークでのアルバイトを始めました。実際に働いてみると、英語の必要性を痛感。私はそれまで英語がとても苦手だったのですが、観光業に携わるためには、英語力を高めなければと感じ、留学をしようと考えました。

東洋大学は留学のための奨学金制度が充実しています。その制度を利用して、2年次の春休みに、オーストラリアに留学することにしました。

英語に対する苦手意識もあるためか、オーストラリアに着いてすぐの頃は、ずっと緊張していました。しかし、ホームステイ先でフィリピンの留学生と出会い、意識が変わりました。同世代の男子同士とあって、一緒にテレビを見ながら、電子辞書を使って会話をするようになり、コミュニケーションを楽しむうちに、すっかり打ち解けて、緊張もほぐれていきました。

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チャレンジする面白さを知った

留学を通じて、日本とオーストラリアの文化の違いを肌で感じることができたのもよい経験でした。例えばオーストラリアでは水がとても貴重なので、現地の人は水をとても大切にします。シャワーも3分で済ませたり、シャワーで浴びた水を花にあげたり。そんな日本との違いを見つけるのが、とても楽しかったですね。

留学するまでの僕は、大学生活で自分から積極的に行動したことがありませんでした。しかし、留学を通して「何かにチャレンジすることは楽しい」と感じるようになり、同時に、「受け身のままでは何も始まらない」と実感しました。

そこで、留学から帰国した後も、英語に触れる時間を増やそうと、3年生からは観光英語を学ぶ喜田慶文ゼミナールに入りました。ゼミでは、東洋大学の留学生を観光地に案内し、英語を学びながら日本の文化を学ぶことができました。

その頃から、留学を通じて英語に慣れたこともあって、ホテル業界への就職を考え始めました。そこで、3年生の夏休みにはインターンシップも経験。自分という人間がホテルという国際的な職場で通用するのかを試そうと、外資系ホテルであるリッツカールトンでのインターンシップに参加したのです。

このホテルでインターンシップをする東洋大学の学生は、私が初めてとのこと。周囲からは「私=東洋大学」と見られるだろうと思い、東洋大学代表という緊張感を持って、インターンシップに臨みました。

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インターンシップで得た自信

インターンシップを始めたばかりの頃は、社員の方の後ろについて動いていたのですが、1週間ほど経った頃、1人で外国人のお客様の客室に行くように言われました。出発の時間や運ぶ荷物があるかなど、お伺いすべき内容の英語表現は覚えていたのですが、緊張のあまり、客室のドアの前で3分ほど固まっていました。思い返しても大学生活4年間で一番緊張した時間でしたが、何とかお客様と英語でやりとりし、お客様から「ありがとう」とポンと肩を叩かれ、チップをいただいた時、「不快感を感じさせずにすんだんだな」と胸をなで下ろしたことを覚えています。

真夏の暑い中、スーツで汗だくになりながら走り回ったこの1カ月で、最高のホスピタリティを学び、自分なりのホスピタリティについて考えることができました。そして、サービス業は大変な仕事ですが、人のために尽くすことが好きだと胸を張って言える自信もつきました。

ホテルでのインターンシップを経験しながらも、就職活動で百貨店も視野に入れたのは、ホテルも百貨店も売るものが違うだけで、どちらもお客様のご要望に応える仕事だと思ったからです。

百貨店は、高度な接客スキルと商品知識が求められる業界です。10年後、そうした技術と知識を身につけた上で、売場の改善などに尽力できる人材になっていたいと考えています。内定をいただいたそごう・西武は、オムニチャネル化(実店舗とオンラインなど、複数の流通チャネルを融合すること)を進めるセブン&アイグループです。そごう・西武だけでなく、グループ全体の商品知識を身につけて、とっておきの一品をお客様にご提供したいと思います。

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二見 晃司さん国際地域学部 国際観光学科 4年

  • 内定先:株式会社そごう・西武
  • 所属ゼミナール:喜田慶文ゼミナール
  • 私立東京成徳大学高等学校出身

毎日の暮らしの中で、好奇心というアンテナを張り巡らせていると、ふとした拍子に、大きな学びへとつながる情報をキャッチすることができます。社会学部社会心理学科の岸優里香さんにとっては、一本の映画が、進路を決める大きなきっかけとなりました。社会心理学を学びながら考え続けた「人を笑顔にし、幸福にすること」。それは就職先を選ぶ尺度となり、やりがいを感じる仕事との出会いをもたらしました。

心理学から改めて学んだ人との接し方

心理学に興味を持ったのは、高校時代のこと。心理戦でゲームを制していく「ライアーゲーム」という映画を見て、「相手の心を読んでみたいな」と思ったのがきっかけでした。私は国際的なことにも興味があったので、実は国際地域学部も受験しました。どちらの学部にも合格して悩んだ末に、「心理学で外国との文化の違いを学ぼう」と考え、社会心理学科を選びました。

私が専攻した社会心理学は、人が2人以上集まった時に生じる心理現象や行動の理由を研究する学問です。「相手の心を読みたい」と思って心理学を志したのですが、勉強を進めていくうちに、「人の心は読めないのだ」ということがわかりました。それと同時にもう一つ、大切なことにも気付いたのです。

私が1年生から入った戸梶亜紀彦教授のゼミナールは、先入観が与える影響を研究しているゼミでした。1年次からグループ発表を体験し、2年次以降は自分が疑問に思ったことを調べて発表する経験を積みました。ゼミ以外の、実験法を取り上げる授業でも、実験者効果(実験する人の期待が被験者に影響を与えること)などを学びました。その中で私が実感するようになったのが、「先入観を持たずに人と接することの大切さ」です。こうした4年間の学びを通して、自分自身に「客観的に物事を見る力」がついたという実感があります。

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日本の大学生にとっての幸せを追求

卒業論文では、「日本の大学生の安定的幸福感」をテーマに選びました。以前、ブータン国王夫妻が来日した際、ブータンの「国民総幸福量」という考え方や、ブータン国民の幸福度の高さが話題になったことがありました。同時に、日本人の幸福度は高いとは言えない、という話題もよく取り上げられました。その時、「平和で豊かな日本の人々にとって、幸福とは何だろう」と考えたことが、テーマ設定につながったのです。

論文を書くための調査を進めるうちに、「100%の幸福を幸福ととらえない」という日本人の考え方が浮き彫りになりました。日本人は「いいことがあれば、悪いこともある」と考えるため、「100%幸福」とはとらえないということです。

また、これまで世界各国で行われてきた幸福度調査では、幸福かどうかの尺度が「自尊心」でした。自尊心が幸福の尺度になるのは、欧米の考え方。一方で、日本人の幸福の尺度は、「周りとうまく共存していること」だということが見えてきました。

その背景には、強い自尊心を持ってしまうとうまくやっていけないという日本独自の社会構造があります。そこで、幸福の尺度を自尊心ではなく、「周囲との共存」に変更して調査したところ、日本の大学生も幸福を感じているという結果が生まれました。さらに、「周りとの共存」が幸福の尺度になっている日本人にとって、「幸福の反対は孤独」であること、「幸福と孤独は表裏一体」であることもわかりました。

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営業職の立場から人を笑顔に

人の笑顔を見ることが好きな私にとって、「幸福と人々の笑顔」は追求し続けたいテーマのひとつです。だからこそ、就職活動でも、「人々を笑顔にして、幸福にできる会社」かどうかを基準として選びました。そして、人々が笑顔で幸せを感じるために、何より大切なのは健康です。就職活動の初めの時期は業種もばらばらに入社試験を受けていましたが、このことに気付いてからは、製薬会社の営業職に焦点を絞って就職活動をしてきました。

大学時代のアルバイトを通じて接客には興味を持っていましたが、営業職こそ、人と接する仕事ではないかと考えるようになったからです。製薬会社の場合、営業担当者が営業を行うことで資金が集まり、それによっていい薬を作るための研究ができます。私が直接薬を作ることはできませんが、MR(医薬情報担当者)なら、いい薬を作るための資金を得るお手伝いができます。そのことに気付いたら、とてもやりがいのある仕事だと感じるようになったのです。

MRの仕事は、忙しい医師に話を聞いてもらうためにも、信頼される人であることが大切だと聞いています。一日も早く医師の信頼を得られるよう、これからも努力を続けていきたいと思います。

岸 優里香さん社会学部 社会心理学科 4年

  • 内定先:株式会社ツムラ
  • 所属ゼミナール:戸梶亜紀彦ゼミナール
  • 東京都立北園高等学校出身

スポーツを取り巻く環境が変化しています。選手とコーチの二人三脚で試合に臨むのではなく、管理栄養士や研究者、スポンサーなど幅広い分野のスペシャリストがチームとなって選手を支える体制がつくられるようになってきたのです。東洋大学では2016年度より、5つの学問分野からスポーツにアプローチし、日本のスポーツの発展を支え、社会に貢献できる人財を育成する環境を整備。数々のトップアスリートを育成してきた法学部の平井 伯昌 教授(水泳部監督)と土江 寛裕 教授(陸上部短距離部門コーチ)が実際のスポーツの場で感じている現状について語り合っていただきました。(敬称略)

スポーツを取り巻く環境は、どのように変化してきているか

平井:この10年ぐらいで環境は変化してきたように感じます。水泳では、10年ほど前から国体にトレーナーが同行するようになってきました。選手を取り巻くスタッフによる「サポート」に対する関心がとても高まっているのを感じています。実際にスポーツ産業を見渡すと、どのスポーツでも、選手以外の人の関わりが増えてきている現状があります。日本でこのように選手を支えるサポートスタッフに注目が集まるようになったのは、2004年のアテネオリンピックでの「チーム北島」が一つの例として挙げられるでしょう。北島康介選手には、国立スポーツ科学センター(JISS)の研究員などがついて、映像分析、肉体改造など「科学」を味方にして強化を進めたのです。

土江:陸上でも同じです。現場にはこれまで、選手とコーチしかいませんでしたが、最近では管理栄養士をはじめ、研究者などがついて、選手を支えています。

平井:国としても「スポーツ振興計画」が掲げられました。アスリートの発掘・育成・強化体制の充実を重視し、わが国のトップアスリートが世界の強豪国に競り勝ち、メダルを確実に取ることができることを目指しています。そのため、医学・心理学・力学などスポーツを科学や情報分野からの支援をはじめ、競技用具の開発、調査研究まで多方面からアスリートをサポートする体制づくりを求められているのです。

土江:日本は世界に比べると、スポーツをサポートする体制づくりが遅れていたと思います。オーストラリアでは、指導者のほか、栄養士、科学スタッフ、指導者、マネジメント、企業など、サポートスタッフが、チームとして研究所で机を並べ、常に議論し合いながら、選手の強化に取り組んでいるそうです。これまで日本では、そのようなスタッフ間の連携がなく、それぞれが直接、選手と関係をつくっていました。しかし、平井先生の「チーム北島」がモデルとなって、今では選手を取り巻くサポートメンバーがチームとなり、上手く機能し始めたという状況です。平井先生が「チーム北島」をつくったときは、何かモデルになるチームがあったのですか。

平井:水泳ではないのですが、スキーにはそうしたチームで選手を支える体制がありました。アルペンスキーのトンバ選手はプライベートチームを作って、マネージャーや専属コーチ、ドクター、トレーナーなどのスタッフとともに試合に臨んでいました。その様子を大学時代にテレビ番組を通じて知り、私もスペシャリストを集めてチームを作ってみたいと思ったのです。

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スポーツ科学の分野の研究が進み、選手を支える環境が変化した

土江:科学の側面からスポーツにアプローチするようになると、これまで“常識”とされてきたことが、実証できなくなり、また新たな常識が生まれるようになりましたね。陸上ではたとえば、これまで、地面を蹴るときにひざを伸ばしていた方が速く走ることができるとされてきました。しかし、研究が進む中で、実はひざが曲がっていないと速く走れないということがわかったのです。科学で実証することにより、古い常識から脱却するということを指導者も理解しなければなりませんね。

平井:何でも科学で実証することが必ずしもすべてとは言えませんが、確かにこれまでは経験則で感覚的であったことが、科学というアプローチが入ることで、より正しい泳ぎ方、走り方というものが見えてきたのです。土江先生の言うように、指導者がそこを理解することは、選手を育てるうえで、大切なことだと思います。

土江:情報技術の進展で変わったこともありますよね。インターネットなどで新しい情報がいつでも手に入る環境が整ったので、情報をいち早く取り入れながら、自分たちに合うやり方を編み出すことができるようになったと思います。

平井:昔は世界のトップアスリートが書いたトレーニングなどの本の翻訳を読んで、その技術や考え方を“そのまま”取り入れていました。今はそうした考え方を日本人に合うようにアレンジするようになっていますね。

土江:世界のまねをしていた走り方から、日本独自の走り方が生まれ、結果もついてきているのです。日本人に合う走り方をすることで、記録が伸び、世界に追いつきつつあります。

平井:水泳も同じ状況にありますね。だから、世界へのあこがれ、世界に追いつけという意識から、今では世界に挑む、世界と戦うという意識への変化も見られます。以前なら世界のトップアスリートの一挙手一投足を見て、まねしていたのが、最近ではむしろ、日本はどうしているのかと世界が注目するようになってきました。日本人ならではのきめ細やかさを生かしたトレーニングが、今度は世界からまねされるようになってきているのです。

土江:こうして選手を科学的に支える環境ができたことで、選手自身のピーク年齢も上がってきているように感じますが、いかがですか。

平井:そうですね。確かにピーク年齢は上がっています。水泳では以前なら10代がピークでした。それが1990年代頃から徐々に上がり始め、20代中盤から後半がピークになってきました。スポーツは「心技体」と言われますが、10代のうちはまだ「心」の発達が追いついていなくて、年齢と経験を重ねていくなかで、20代後半にもなれば精神的にも成長し、結果的に精神力の高い選手が強くなっていく。以前なら、10代でピークを終えてしまうので、指導者も18歳までに何とかしなければと焦りがありましたが、今は10代後半、大学に入学してきた時期はまだ、技術的にも精神的にも発展途上だととらえられるので、じっくりと指導できるようになりました。陸上はどうですか?

土江:競技キャリアは長くなっていますよね。以前は大学を卒業する頃がピークでした。しかし、今はそうではない。肉体的なピークを超えても、その後は精神的な高まりがあり、むしろ再現性が高まっていきます。いつでも同じパフォーマンスを出せるようになるのです。若い頃は“力に任せて”ということで、結果が良かったり悪かったりと波があるのは、そうしたことからです。身体の成長と心の成長が伴って、結果を出せるようになっていくのではないでしょうか。

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スポーツとの関わり方を考えることの大切さ

平井:私は大学を卒業後、長年にわたり社会体育という立場で指導にあたってきましたが、今、大学という場に戻ってきて感じるのは、学生の自主性を高めなければならない、ということです。私が学生の頃は、部の運営をすべて学生が行っていました。マネージャーは、部費の管理から企業を回って支援を依頼することまで、学生が社会とつながって大人と接する機会は多かったと思います。しかし、今の学生たちを見ていると、部の運営にどれだけのお金がかかっているのかも知らない。ただ練習するだけ。自分たちが活動をするために、どのような人が関わり、お金が動いているのか、学生自身が動いて知るべきだと思いますね。そのなかで、どのようなスポーツ関連の産業が関わっているのかも見えてくるはずです。社会と接点を持つことで学ぶことは多いと思います。

土江:これまで直接的にスポーツとは関連がないと思われていた分野も、実際には関わっています。たとえば選手のマネジメントという面で見ても、法的な立場で物事を見つめて、契約を結ぶことができるスペシャリストも必要でしょう。そうした専門的な知識を持ち、なおかつ自らスポーツをしてきた経験があれば、よりスポーツが置かれている現状を理解でき、専門知識を生かして、選手を支えることができます。スポーツを切り口にして、大学で自分が学んだ専門分野を生かして活躍できる環境があるのです。そうしたスペシャリストを大学では育てていく必要があると実感しています。法学部企業法学科に新設される「スポーツビジネス法コース」はその一例ですね。

平井:選手にとっても、セカンドキャリアの重要性は学生のうちから考えておいた方がいいと思いますよ。スポーツしかできないというのでは、将来、競技から離れたときに、何もできることがない人間になってしまいますから。プロの世界で活躍できる人間は、ほんのひと握り。だからこそ、スポーツ以外の何かという専門分野を持っておくことは大切だと思います。

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ビジョンを持って大学生活を送ってほしい

土江:そのためには、大学選びの段階から、自分が興味あることは何かを考えておかなければなりませんね。興味の幅を広げることは大事です。中学・高校とずっと運動部で活動してきたからといって、必ずしもみんな体育学部に進学して、体育の先生になればよいというものでもない。スポーツ以外の専門分野を持って、知識を深めることで、活躍できる場が広がります。

平井:目的意識を持って大学を選ぶことは大事なことです。学生を見ていると、女子は目的意識が高いように感じますね。水泳部には、2020年の東京オリンピックまでは競技生活を続けるけれど、その後は故郷に戻って、地域のために活動したいという学生がいます。だからこそ、在学中にスポーツに関する法律なども学んでおく、という意識を持っているようです。

土江:東洋大学に入学してくる人たちには、ぜひ“目指して”入学してきてほしいと思います。ただ合格したから入学する、というのでは、4年間何となく過ごして終わってしまいます。そうではなくて、自分は東洋大学でこんなことを学んで、こんな経験をしてみたいというビジョンを持ってほしいものです。選手にも、ただ大学で競技に専念するという意識で入学するのではなく、「陸上を通じて将来、こんな仕事がしたい。この仕事をするために、この分野を学ぶ」という目標を持っていてほしいと思います。

平井:そうですね。そのためには、私たち指導者の側も、学生や選手に、将来を見据えて学ぶことができるような指導が求められていくのでしょうね。

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平井 伯昌教授法学部 企業法学科

  • 専門:競泳指導・コーチング

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土江 寛裕教授法学部 企業法学科

  • 専門:スポーツ科学、バイオメカニクス、コーチング学

2016年度より、法学部企業法学科に「スポーツビジネス法コース」が、総合情報学部総合情報学科に「心理・スポーツ情報コース」が新設されます。既存のライフデザイン学部健康スポーツ学科や、食環境科学部食環境学科スポーツ・食品機能専攻、理工学部生体医工学科を含め、東洋大学では今後、5つの学問分野からスポーツを支える人材を育成し、日本のスポーツの発展に貢献していきます。

「法学部や総合情報学部でスポーツを学ぶ」と聞いても、直接的にスポーツとの関わりをイメージしづらいかもしれません。しかし今、スポーツを取り巻く環境は大きく変化しています。人間の身体や健康に対する科学的な研究が進み、スポーツ産業が発展していくなかで、選手の競技を様々な側面から支えるスペシャリストの存在に注目が集まってきたのです。たとえば、管理栄養士は選手の健康を考えたメニューを作り、科学者や情報技術者は選手の身体の動きをデータから分析することで、選手の強化に努めています。また、選手のスポンサー契約をはじめ、試合以外の場面での活動をマネジメントする人も必要です。選手が競技に専念し、より良い結果を出すためには、多くの専門家による支えが必要なのです。だからこそ、東洋大学では幅広い領域に広がる学問分野の中にスポーツを切り口とした学科やコースを設けて、様々な側面からスポーツにアプローチしていく人材の育成を目指しています。

スポーツをする人、楽しむ人、スポーツと関わって仕事をする人。一人ひとりの興味関心に寄り添って、自分なりのスポーツとの関わり方を見つけられる学びを東洋大学で見つけてみませんか。

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スポーツを取り巻く環境が変化するなか、数々のトップアスリートを育成してきた法学部の平井伯昌教授(水泳部監督)と土江寛裕教授(陸上部短距離部門コーチ)が、スポーツの場で求められる人材を大学でどのように育成すべきかについて語り合いました。

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スポーツを支え、スポーツを科学する
東洋大学の学び

1. 法学部 企業法学科:スポーツビジネス法コース

4. 食環境科学部 食環境科学科:スポーツ・食品機能専攻

新たにスポーツという柱で学びを確立

総合情報学部に「心理・スポーツ情報コース」が開設されますが、実はこれまでにも、スポーツと関わりのある授業や卒業研究が行われてきました。たとえば、サッカーの試合において、試合全体という大きなデータ(ビッグデータ)の中から、直接的に得点には結びつかなかったとしても、ある選手のある時間の動きが、その試合にどのような影響をもたらしたか、という“意味のある”データを取り出し、分析する「情報技術」の研究は、その一例です。スポーツを科学的な側面でとらえ、コンピュータを使って分析する。これが総合情報学部における学びの特色と言えるでしょう。

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スポーツを題材にデータを収集・分析

今、スポーツを取り巻く環境が大きく変化しています。たとえばスポーツ用品を扱う業界は今や、1兆円産業とも呼ばれ、それに伴い、スポーツ人口も増加傾向にあります。また、機械に関する広い学術分野からなる一般社団法人日本機械学会では、2015年4月より新たに「スポーツ工学・ヒューマンダイナミックス部門」が発足しました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、今後、わが国のスポーツへの取り組みはますます盛んになると思われます。この学会ではスポーツ工学という分野から、スポーツを機械工学の目線からとらえて、さらに発展させていくことを考えています。今や、スポーツは用具や施設・設備などを抜きにして考えられません。こうしたハードウェアの高性能化や安全性・快適性の向上には機械工学の分野が不可欠です。スポーツの基本は身体運動であり、人間の動作を解析するにはバイオメカニクス分野での研究が行われますが、パラリンピックを例にとればわかるように、人間の身体の動きを補助する用具の研究開発を進めることも求められています。そして、このような専門分野での研究開発は、将来的に高齢者や障がい者のために応用され、一般化することになります。スポーツと機械工学の分野は切り離せない関係にあるのです。

文理融合の総合情報学科らしさを生かして

心理・スポーツ情報コースでは、何より「スポーツが好き」であることを学生に求めます。自ら身体を動かしアスリートとして活動している人から、スポーツを観ることが好きな人、将来はスポーツに関連した仕事に就きたい人まで、スポーツに興味をもてる人であれば、意欲的に学ぶことができるコースです。講義形式の授業だけではなく、実習や演習もあり、その際の題材としてスポーツを扱うことになります。総合情報学科は文理融合の学問分野で学びますので、高校で文系であっても理系であっても、専攻はどちらでも構いません。卒業生のなかには、文系として入学したものの、理系寄りの研究を深めて、理系の大学院へ進学した人もいます。このコースにはスポーツをする人間の心理・生体の情報処理を学ぶ文系寄りの科目からスポーツダイナミックスの情報処理を学ぶ理系寄りの科目まで幅広く用意されています。学生が自分の興味に合わせて学びを追及して欲しいと思います。

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学問としてのスポーツを社会の発展に役立てる

卒業後の進路としては、スポーツ用品業界への就職をはじめ、スポーツに関わる行政や非営利団体といったところで情報システムの知識・技術を活かして活躍することもできるでしょう。また、4年間学んで、さらに研究を深めたいという学生には、大学院(総合情報学研究科)も用意しています。大学院進学にあたっては、飛び級制度や早期卒業制度もあり、学部を3年で終えて大学院で2年学ぶほか、学部3年半に大学院1年半、学部4年で大学院1年という、5年間で修士課程を終える道もあります。もちろんそれは本人のかなりの努力を要する厳しい道ではありますが、学びたい意欲の強い学生にはこのような選択肢があることも紹介しておきます。

これまで、学問分野として成立していなかったスポーツの分野に、科学的にアプローチすることで、日本のスポーツの発展に貢献し、社会のために貢献するということができるようになります。それだけに学問として取り組む価値のある分野だと言えるでしょう。

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田村 善昭教授総合情報学部 総合情報学科 心理・スポーツ情報専攻

  • 専門:特殊映像の取得・表示技術やその利用情報の可視化に関する研究

「芽胞」とは、細菌の生育環境が悪化した際に形成される耐久細胞で、胞子やスポアとも呼ばれます。熱や薬剤に強く、数分間の煮沸やアルコール消毒程度では死滅しません。そのため、食中毒の原因の約9割は微生物によるものですし、芽胞形成菌による食中毒事件も多く、食品の腐敗も大きな問題となっています。さらに、炭そ菌などは生物兵器にも使われる恐れがあるため、芽胞形成菌をいかに制御していくかは大きな課題の一つです。過酢酸製剤は一部の芽胞を除き、すべての微生物を殺滅できますが、耐性の高い微生物は衛生管理上の問題となっています。そこで、高い過酢酸製剤耐性を持っている芽胞形成細菌のメカニズムについて、同じ食環境学部の佐藤順先生と共同研究しています。
芽胞は悪いことばかりするわけではありません。納豆菌の中にも細菌芽胞はありますし、生物農薬や土壌改良にも使われています。また、何十万年も安定して生存できるという特色もあるので、発想次第ではさらに有効に使うことができるでしょう。

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藤澤 誠准教授食環境科学部 健康栄養学科 分子食品衛生学研究室

  • 専門:微生物学、分子生物学、生体膜機能学

「好きな日本史をより深く学びたい」という強い思いを持って文学部史学科に入学した土田直人さん。論述形式のテストや、史実を分析して自分の意見を述べるといった大学での学びを経験し、視野を広げるために海外でも日本の歴史を学んでみたいという気持ちが固まりました。1年間のオーストラリア留学を前に「どんなに大変だろうと、好きなことには本気でがんばるべきだ」と大きな希望に満ちた表情で語ります。

答えのない問いを追究する

日本史に興味を持ったのは中学生の頃。社会科の先生の教え方が面白くて、何よりも好きな科目になりました。大学進学にあたって考えたのは、「大好きな日本史を思う存分、学びたい」ということ。そこで、日本史、特に古代史の分野で名の知れた先生のもとで学ぶことができる東洋大学は、日本史を学びたい自分にとってはこのうえない恵まれた環境だと思いました。

大学での学びは、高校と違い、答えが一つではありません。自ら課題を見つけて探究し、答えを見つける学び方は、高校までには体験したことがなく、学ぶことへの意欲がどんどん深まっていきました。中学校や高校では日本史を学ぶときも、年号と史実を暗記することが中心になっていましたが、大学では、たとえば論文をまとめるときにも、「なぜ、その事象が起きたのか」を考え、仮説に基づいて、自分なりに文献を調べて証拠となる史実を探しあて、答えを生み出していきます。そのように学びを深めることが自分にとっては楽しくて、知識を暗記することが勉強ではないと実感しています。

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視野を広げ、さらに学びを深めたい

日本史を学ぶうちに、自分が生まれ育った国の歴史を知っておくことは、最低限の教養であるという思いが芽生えました。これから社会に出て、仕事上で海外の人と接するときにも、仕事の知識だけでなく、自分の国について語ることができることは大切だと思います。海外の人は日本の歴史への関心が深いと聞いたこともあります。そこで私は、「日本史に興味がある人たちと一緒に学んでみたい」「海外で視野を広げて、さらに学びを深めよう」と考え、オーストラリアへの1年間の留学をすることを目標に掲げました。

いざ留学しようと決めたものの、まずは英語力を伸ばさなければなりません。生半可な気持ちでは留学などできませんから、「大好きな日本史を海外で学びたい」という強い意志を持って、毎日時間を決めて徹底的に英語の勉強に取り組みました。そしてついに、留学先の大学で求められるTOEFLのスコアをクリアすることができました。

留学するにあたっては、東洋大学の留学制度や奨学金などのサポート体制が充実していることが、後押しになりました。このような情報は、自ら動いたからこそ得られたもの。留学期間を終えたら、留学に関する情報を提供できるサイトを運営したり、留学希望者向けのサークルを作ったりして、自分の経験を後輩へ伝えていけたらとも考えています。

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自ら動けば、道は拓ける

目標に向けて努力し、自分で道を切り拓いていく力がついたのも、大学で自ら課題を見つけ、探究するという学びの姿勢が身についていたからこそ。私は将来、一般企業で海外と取引をする仕事に就きたいと考えていますが、企業への就職を考えるようになったのは、1年次後期に共通総合科目の社会人基礎科目である「企業家論」という授業を受けたことがきっかけです。近現代の有名な経営者にスポットをあてた授業でした。授業はとてもハードで、毎回3冊以上の書物からレポートを提出し、グループディスカッションを行い、最後に討論した内容についてプレゼンテーションを行います。文章力が鍛えられ、プレゼンスキルも身につきました。専攻している日本史学が直接的に仕事に結びつくことはなくても、大学でのさまざまな学びを通じて身についた姿勢は、いずれ仕事をするうえで生きてくると思います。

大学生活は自分で動かなければ、何も始まりません。私は大学で日本史を学び、留学という目標が見つかり、海外と取引をする仕事がしたいと考えるようになりました。今、自分にできること、好きなことを見つけて徹底的に取り組むことが大切です。本気で取り組めば道は拓けるのです。

土田 直人さん文学部 史学科 2年

  • 所属ゼミナール:大豆生田 稔ゼミナール
  • 私立日本大学高等学校出身

長いようで短い、大学生活の4年間は、自分が求めれば、より密度の濃い学びを得ることができます。幼い頃から金融に興味があった経営学部経営学科の下坪優吉さんも、そんな一人です。大学時代に見つけた「国税専門官になる」という目標に向かって、東洋大学での学びを最大限に広げ、深めた下坪さん。夢をつかみ取った今、「悔いのない4年間でした」と胸を張ります。

入学して間もなく考えた「将来のこと」

幼い頃から「スーツを着て働く」仕事に憧れ、「お金を扱う」仕事がしたいと考えていました。自分にとってそのイメージは、「お金を扱う仕事=銀行員」でしたが、銀行員になろうと考えて、仕事内容について調べると、営業や融資のような仕事がしたいのではないと気付きました。そして、大学で経営学を学ぶなかで、銀行員以外にもお金を扱う職業がいろいろあることも知ったのです。

銀行員ではない、お金を扱う仕事として、次に自分が目指したのは、税理士や会計士でした。そのため、簿記の勉強を始めましたが、国家資格の税理士や会計士の資格は簡単に取得できるものではありません。大学在学中に取得できず、卒業後も勉強を続けて試験に挑戦している人もたくさんいるほどの難関です。私は大学を卒業したらすぐにも働きたいという気持ちが強かったため、他の仕事を探すことにしました。

そうして見つけたのが、国税専門官という仕事でした。国税専門官は脱税を刑事告発する仕事です。きちんと税金を納めている人とそうでない人が平等になれるよう。悪質な企業と戦うという使命にあふれた仕事であることに魅力を感じました。

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どうしても国税専門官になりたくて

国税専門官になるには、人事院が行う国税専門官採用試験に合格しなければなりません。そこで、3年次の10月から、試験に向けて本格的に勉強を始めました。日によっては10時間も勉強するうちに、気がつくと大学受験の勉強量を軽く超えていたほどです。税理士を目指した時は途中で気持ちが切れてしまいましたが、「どうしても国税専門官になりたい」という強い気持ちがあったため、今度はモチベーションを保つことができました。

大学では2年生から、「経営分析」を行う秋本敏男教授のゼミに所属しました。ゼミでは、財務表から経営成績や財政状態を把握し、自分の意見を述べます。単に経営成績や財政状態などの結果を述べるだけでなく、その結果を受けて自分の考えやその理由を明らかにするのです。ゼミでの学びを通じて、論理的に考え、発言する力が身についたと思います。そして、自分の中にブレない芯ができ、自信を持って人と接することができるようになり、国税専門官の採用試験の面接でも、自分の言葉で意見を述べることができました。

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悔いがないほど勉強した4年間

「これで合格しないのなら、国税専門官への道はレベルが違うのだと、あきらめがつく」。そう思えるほど猛勉強した末、私は大学4年生の6月に受けた筆記試験に無事合格することができました。そして、7月の面接試験を経て、国税専門官に採用されることが決まりました。

国税専門官を目指そうと決めた時から、私は国税専門官として働くうえで必要になると考えられる講義を履修してきました。経営学部で学んだ会計学や税法、マーケティング、組織管理といった知識は、これから仕事をする上で、ダイレクトに生きてくるものだと思います。そして何より、大学時代の4年間で自分のやりたい勉強を悔いのないくらいやりきったと胸を張って言えることが、今の自分にとっては、大きな自信になっています。

下坪 優吉さん経営学部 経営学科 4年

  • 内定先:東京国税局
  • 所属ゼミナール:秋本敏男ゼミナール
  • 東京都立文京高等学校出身

学問に取り組む時、その動機やモチベーションは人それぞれ。得意なもの、好きなこと、興味のあることをワクワクしながら学ぶ人もいれば、不得意な分野や縁のなかったことに飛び込んで行く人もいます。苦手な分野である経済を敢えて学ぶことにした経済学部国際経済学科の酒巻菜央さんは、まさに後者と言えるでしょう。そして、その苦手な分野を学ぶことで、酒巻さんの未来が幕を開けたのです。

苦手だからこそ選んだ金融ゼミ

私は英語が好きで、高校では外国語学科に通っていました。大学進学にあたり、国際経済学科を志望したのは、国際的なことを学びたいという思いと、一番苦手でわからない分野が経済だったことから。将来、どんな道に進んでも、経済の知識は必要になるはず。だからこそ、社会人になる前に勉強しておきたいと思ったのです

国際経済学科では1年生からゼミナールは必修ですが、2年生で選択ゼミを履修する際には、「金融」について研究する益田安良教授のゼミを選びました。私は大学に入学し、経済学を学ぶなかで、「金融」について理解を深めていないまま社会人になっていいのだろうかと、危機感を感じていました。そこで、経済学の中でも、一番難しく苦手に感じていた「金融」の分野を専門とするゼミナールに入り、研究しようと考えたのです。大学では自ら求めれば、学びを深めることができるチャンスがあります。だからこそ、そのチャンスを逃してはいけないと、あえて苦手な分野へ飛び込むことにしました。

2年次には、金融の基礎知識を学びました。このゼミでは自分が気になる社会問題を取り上げて研究発表しますが、私は通商白書、経済財政白書を材料にテーマを設定し、プレゼンテーションを行いました。ゼミでの学びを重ねて行くうちに、私は今の日本の社会情勢や経済により強い関心を持つようになっていきました。ゼミを通じてプレゼンテーションを何度も経験し、発表能力や論理的思考力なども身に付きました。

3年次からは、卒論に向けて学びを深めていきました。私が選んだテーマは、「企業年金の変革課題~確定拠出年金利用促進の為の規制緩和が必要~」です。卒業論文では、年金をもっと充実させるためにどんな方策があるかを探り、まとめました。

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得意な英語で磨いた討論する能力れない環境で身についた粘り強さ

サークル活動は、英会話研究会のE.S.S.(English Speaking Society)に入会しました。高校時代に英語のディベート大会に出場した時の指導者からE.S.S.を勧められており、東洋大学にもE.S.S.があったので、迷わず入会したのです。E.S.S.の活動は、スピーチ、ディスカッション、ディベート、カンバセーションの4セクションに分かれています。私はディスカッションのセクションで活動し、社会問題などを英語で討論しています。他の大学と一緒に活動することが多く、毎週のように討論会があるほか、毎年3月には大会も行われます。

討論会や大会に出るためには、事前の準備が重要です。「どんなことを」「どのエビデンスをもとに」「どういったロジックで話すか」を日本語で考えてから、英語で話せるようにしておくのです。そして当日は、相手の意見を聞きながら意見を述べ、紙に書きながらプレゼンテーションをします。

年に一度行われる大会では、参加者のうち上位20人が「ランカー」と呼ばれます。このランカーに入ることが私の念願だったのですが、3年次の大会ではついにランカー入りを実現することができました。

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ゼミとE.S.S.で磨いた力で切り拓いた道

ゼミナールとE.S.S.を通じて身に付いたプレゼンテーション能力や論理的思考力は、就職活動にとても役立ちました。就職活動時のグループディスカッションでは論理的思考力が求められ、面接ではプレゼンでの話し方などの指導を受けていたことが活かされたと思います。

就職活動では大学で金融を学んだことが生かされ、金融業界の数社から内定をいただくことができました。入学当初に自分が苦手だと思っていた「金融」の分野で、自分を生かすことになったのです。信託銀行を就職先として選んだのは、業務内容の一つに生前贈与の取り扱いがあったため。私はおじいちゃん子なので、祖父世代と私たち世代をつなぐお手伝いができればと考えています。人のお金を預かるのは責任の重い仕事ですが、10年後には高齢者と次世代をつなぐプロフェッショナルになっていたい。それが私の今の目標です。

酒巻 菜央さん経済学部 国際経済学科 4年

  • 内定先:三菱UFJ信託銀行株式会社
  • 所属ゼミナール:益田安良ゼミナール
  • 埼玉県立蕨高等学校出身

ユネスコの無形文化遺産に登録された和食。和食の特徴としては多様で新鮮な食材と素材の味わいを利用していること、バランスがよく健康的であること、自然の美しさを再現していること、そして年中行事との関わりなどが挙げられます。海外でも和食の人気は高く、ジャパニーズレストランは地元の外国人に親しまれています。一方、同じく無形文化遺産の地中海料理の学術論文が2,110件あるのに対し、和食の論文は130件しかありません。そのため日本食に関しては明確な定義がなく、「和食のような料理」が和食とされてしまうこともあります。これが進むと和食は多国籍料理となってしまいかねません。和食の素晴らしさが世界に広まるのは良いことですが、「ジャパニーズ・トラディショナル・ダイエット」は、明確な根拠を残しておくべきでしょう。
太田先生の研究室では疲労骨折のリスクが高いアスリートを見つけるバイオマーカーを発明、特許を取りました。学生のみなさんもこのような科学的根拠を用いた成果を出し、ぜひ次世代に食の大切さや食の機能性を伝えてください。

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太田 昌子教授健康スポーツ科学部 栄養科学科

  • 専門:調理科学および栄養学

1968年の十勝沖地震(三陸沖北部地震)では、当時の建築基準法に沿った耐震設計で建てられた建物が損壊し、大きな被害を受けました。そこで、新しい耐震設計を確立しようと、1981年に建築基準法が改正されました。しかし、法律が変わっても、1980年以前に設計・施工された建物は存在しており、大地震で大きな被害を受ける可能性があります。そのため、これらの建物に耐震診断を行ない、改正された建築基準法の耐震設計基準に合致していない場合は耐震改修、または耐震補強を施しています。
太い柱や厚い壁なら1000年に一度の大地震にも耐えられますが、経済原理と耐震設計思想の融合として、現在は「地震により変形が生じることは許容するが、倒壊はしない」という変形能力確保という考え方が生まれています。多少建物が変形してもいい、けれど建物が倒壊して人間の命が損なわれることだけは絶対に避ける、というわけです。
日本の建築物には地震や風雪といった、厳しい外力に耐えられることが求められます。だからこそ、建物の所有者は建てた後もさまざまな手を加えていく必要があるのです。

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香取 慶一教授理工学部 建築学科 建築構造・材料研究室

  • 専門:建築構造、構造材料、各種建築構造の耐震安全性、新構造・新工法・新材料の開発、大規模災害での建築物被害

2013年11月、台風により死者・行方不明者7,361人、被災建物114万棟という甚大な被害を受けたフィリピン。先生はこれまでに4度現地を訪れ、被災者への支援と支援ニーズに関する調査を行いました。その結果、台風来襲後に一度は自宅に帰宅した人が、自宅にいては支援物資がもらえないなどの理由で、再び自宅を離れるケースが多かったことがわかりました。また、長期間にわたり仮設住宅に暮らしている人は、そこにしか居場所がなく、かつ、情報がなかなか入手できない人たちでした。さらに被災者のニーズは物資支援から生活再建支援へ変化していくのに対し、提供される支援は変化が少ないことも判明。支援の提供側に意識の変化が必要であることがわかりました。
被災直後からどのような居住地の変遷を経て現在に至ったのか、どのような支援を受けてどのようなニーズがあったのかなどを、学術的に明らかにすることはとても大切です。その結果が、今後災害が発生したとき、政府やボランティアが支援する際の指標となってくれるのです。

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松丸 亮教授国際学部 国際地域学科

  • 専門:災害マネジメント

健康栄養学科は、1年次春学期から実施される管理栄養士専門導入教育、少人数制の授業、各個人のレベルに合わせた学習支援など、きめ細やかな取り組みを特色としています。井上広子先生の専門である「栄養教育分野における研究」は、日本ではまだ発展途上で、今後ますます発展が期待される分野です。井上先生の研究は、病気の一次予防のための科学的根拠に基づく栄養教育方法の開発と客観的な評価方法の確立を目指しています。
これらの研究によって、栄養教育学分野の研究におけるエビデンス(根拠)を作っていくのです。

「苦味」に着目して味覚と食嗜好との関連を研究

現在は主に3つの研究を遂行しています。その中のひとつ「食嗜好と味覚感受性との関連」についての研究は、研究代表者として取り組んでいるテーマです。食べ物の好き嫌いは、甘いとか酸っぱいといった味覚感受性が関係していると考えられています。なかでも私は、味覚の中でも強く感じる人とまったく感じない人がいる「苦味」に着目しました。苦味をどれほど感じるかによって、食生活や食嗜好にも違いが出るのではと考えたのです。

人は1日350g以上の野菜を摂取、そのうち120g以上は緑黄色野菜を摂取することが望ましいとされていますが、実際にこの量を達成できている人はなかなかいないでしょう。実はアブラナ科の野菜には苦味成分が含まれており、苦味を感じない人(もしくは苦味を感じにくい人)は野菜の摂取量が多いという海外での研究報告があります。この報告が苦味に着目するきっかけとなりました。

今年度は「苦味が食嗜好と食環境のどちらに左右されているのか」という研究を進めていく予定です。苦味に対する感じ方は持って生まれたものなのか、それとも日々の食生活の影響を受けて育ち変化したものなのか。まだスタートラインなので断言はできませんが、推測では食環境に影響を受けるほうが多いようです。ということは、最終的には個人に対応したオーダーメイド栄養教育へとつなげることができるでしょう。

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「噛む」効果を追究、子どもの健康を尿で知る

2つ目の研究はチューイング、いわゆる「噛む」ことの有用性です。よく「食べ物は30回噛みましょう」と言われますが、現代は噛み応えのある食事が減り、噛む回数が少なくなってきています。動物実験では、よく噛むことによって脳内ヒスタミンが量産され、食欲抑制や脂肪分解の促進につながることが明らかになっています。この研究では健康・栄養教育への活用を目指し、ヒト介入試験を実施しています。具体的には、同じ職域の30~50代のBMIが高値の方を対象に、一口30回噛んでもらったり、その達成率をチェックしてもらったり、その評価として血液検査を行うというものです。また、ヒスタミンの原料になるヒスチジンについてもヒト介入試験を実施、その多様な機能性などについても研究しています。

3つ目は、尿を用いた子どもの健康状態の評価と、その保護者に対する食と健康に関する研究です。子どもの栄養状態や健康状態を、客観的に評価し研究報告している事例はほとんどありません。尿中の成分分析を行なうことで、乳幼児期からの栄養状態や健康状態を客観的に評価できるのではないかと考えました。研究対象が保育園児とあって、本人だけでなく保護者の協力が欠かせません。これら2つの研究には、研究分担者という立場で研究を進めています。

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研究成果で栄養教育分野の発展に貢献

私の研究はいずれも人を対象としており、実生活と密接に結びついているところに面白さがあります。その反面、動物や細胞と違って人は十人十色、人の数だけ行動パターンがあり、運動量も違えば飲酒の有無や喫煙、薬の服用など、その背景は実に多様です。ラットやマウスならば同じ場所で同じ餌を与えればみんな食べるし、消費エネルギーもほぼ同じですが、人間はそうはいかないので、条件設定はきわめて慎重に行なう必要があります。また、思うような結果が得られなかったからといって、「もう一度、まったく同じ研究をやらせてください」と対象者の方にやり直しのお願いをすることはできません。さらに、研究に協力してくれている方が、次第に面倒になったり負担に感じたりして、途中でやめてしまうということもあります。ようやく研究結果が出ても、対象が人だけに、その統計解析がまた難しいのです。しかし、正しい解析ができれば、栄養教育学のエビデンスとなるでしょう。

最終的に目指すのは、生活習慣病の予防と改善、特に「食による一次予防」です。「病気を治す」ではなく、そもそも「病気にならないようにする」という観点ですね。健康になるためには食事と運動と休養という3つの要素が必要ですが、私は生きるために必要不可欠な食事の面から取り組んでいます。

管理栄養士は食のスペシャリスト。何をどれだけ食べたらいいのか、学習者に対し科学的根拠に基づき、的確な栄養教育や健康教育を行うことが大切です。私の研究がその科学的根拠の一端を担い、栄養教育分野の発展に貢献できればと思いますし、その研究成果を論文という形にし、世界に発信できるよう、鋭意研究を進めていきます。

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井上広子教授食環境科学部 健康栄養学科

  • 専門:栄養教育学、健康科学

「精神保険福祉士」の資格取得を目標に掲げ、ライフデザイン学部 生活支援学科 生活支援学専攻で学ぶ上野玄輝さん。精神科ソーシャルワークの現場を体験することで、授業内容を理解すると同時に、自身の未熟さも感じたと語ります。知識不足を感じたからこそ、学びへの意欲もさらに高まり、目標実現に向けて日々、努力を重ねています。

国家資格の取得を目指して

福祉の勉強をしたいと思ったのは、知的障がいを持つ弟の存在があったからです。弟を見る周囲の人たちが「じろじろ見てはいけない」と意識しているのを間近に感じながら、弟の将来を案じていました。しかし、弟が通う学校を訪れた時、さまざまな個性を持った子どもたちと触れ合い、障がい者といってもひとくくりにすることはできないとわかり、障がいを持つ人たちの生活を支える仕事をしたいと感じたのです。

東洋大学に入学してから、「精神保健福祉士」という資格を知りました。これは、精神障がいを持つ人の生活問題や社会問題を解決するための援助を行う精神科ソーシャルワーカーの国家資格です。東洋大学で4年間学ぶと国家試験受験資格を得られるため、現在は試験の合格を目指して日々の授業を集中して受けています。入学当初から専門的な知識を学ぶと同時に、障がいを持つ人々がおかれている現状も学びました。全国の精神障がい者の数は300万人を超えるそうです。そのような人々に対する偏見や差別があるのは、一般的にあまり実情が知られていないからではないか。そして、当事者もその家族も安心して暮らせるように手助けをしたいと考えるようになり、そのためにはまず資格を取得しなければと努力しているところです。

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実習で自分の甘さを痛感

学外での現場体験を通じて、精神障がいを持つ人が送る生活を、じかに知ることができます。1年生のときは施設を訪問して利用者の話を聞きました。2年生になってからは、アルバイトで東京都の福祉施策の聞き取り調査を通して、精神障がい者の方の自宅も訪ねました。生の声を聞くことで、授業で学んだことを実感することができました。3年生では精神科病院のほか、働くことを目標としてトレーニングを行う障がい者就労移行支援事業所で、それぞれ2週間の実習を経験しました。特に病院では、デイケアのプログラムに参加して当事者の気持ちを想像したり、一人ひとりの生活歴で治療に至るまでの経緯を知ったりとさまざまな体験をしたと同時に、自分自身の考えの甘さも痛感しました。本人と対話するだけで症状を理解しようとしていた私に対して、施設のスタッフは「話をするだけならボランティアでいい。でも、君は実習に来たんだよね」と指摘したのです。現場で学ぶことは大きく、授業で学んだ知識がどれだけ現場につながっているかということを実習を通じて感じました。

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期待に応えられる実力を身に付けたい

授業で知識を得て、ソーシャルワークの現場で実践的に学んで感じたのは、自分の勉強がまだ不足しているということでした。たとえば、実習先の病院で、介護保険について知識不足を痛感しました。病院には高齢者も大勢います。そこでは介護保険の知識は必須です。2年生で選択する「高齢者福祉論」の授業は、自分の目指す資格取得には必要のない分野だと思い、私は履修しませんでした。病院で実習しているときに、介護保険の支払いについて質問されても答えることができず悔しい思いをしたので、4年生になったらあらためて履修しようと思っています。

実習先では職員の方々から「上野さんに相談してよかったと思われるようなソーシャルワーカーになってください」という声もいただきました。一人ひとりの人生に関わる仕事ですから、しっかり勉強して、相談者が望む生活に添った提案をできるような実力を身につけなければと、現場を経験した今だからこそ、もっと知識を深め、実践力を高めなければと感じています。これからの1年間は、ソーシャルワーカーとしてふさわしい力をつけるための努力をより一層続けていきたいと思います。

上野 玄輝さんライフデザイン学部 生活支援学科 生活支援学専攻 3年

  • 所属ゼミナール:稲沢公一ゼミナール
  • 東京都立清瀬高等学校出身

文学部日本文学文化学科の森田佳奈さんは早い時点から、日本を代表する子供服ブランドの店で働きたいという夢を抱いていました。アルバイトで接客の奥深さ、おもてなしの精神の大切さを実感し、その思いはさらに大きなものに。そんな森田さんの就職活動を支えたのは、ゼミで学んできた「比較研究」の技法でした。第一志望の企業の内定獲得には、学業にしっかり取り組んできたという確固たる裏付けがありました。

源氏物語から景観文化研究へ

両親がアパレルの仕事をしていたため、幼い頃からファッションと関わる機会が多く、とりわけ、子ども服の店での買い物が楽しかったという思い出が残っています。子どもも好きな一方で、ファッションアドバイザーへの憧れもあり、子ども服業界へ就職したいという希望はかなり早くから抱いていました。第一志望の会社もはっきりしていたので、日本文学文化学科で学んできた「比較研究」のスキルを生かして同業他社と比較することで、なぜ業界トップなのか、その会社の強みは何か、ウェブサイトやパンフレットには書かれていない会社の色を読み取っていきました。

比較研究は入学当初からしたかった分野ではありません。日本文学文化学科に進んだのは、以前から好きだった『源氏物語』を学ぶためでした。ところが、自分の求めていた答えに思いがけず1年生の時点でたどり着いてしまい、残り3年間は、何を勉強しようかと考えた時に比較文学文化と出会ったのです。日本人でありながら日本のことを知らないということを恥ずかしいと感じていたので、日本についてさまざまな角度から学べる絶好の機会だと考えました。実際、外国人の目線で日本を見るという試みもあり、比較することで新たに物事が見えてくる面白さに夢中になりました。

ゼミでは景観文化研究を専門に、エッフェル塔と東京スカイツリーを比較しました。自分が東京スカイツリーのそばに住んでいることもあり、塔ができたことによって地域にどんな変化をもたらしたのかを知りたかったのです。結果としては、塔はただのモニュメントではなく、街を活性化させるひとつの役割でもあることが理解でき、研究を通じて充実感を味わいました。

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日本一になったアルバイト先で接客について考える

全国展開しているアイスクリームショップでアルバイトをした経験も、自分にとっては大きな財産となりました。店舗では「クリーン&スマイルコンテスト」があり、予告なく本社から審査員が訪れ、店の清潔度や接客をチェックするのです。抜き打ちなので、優秀なアルバイトだけをその時間帯に集めるわけにはいきません。どの店も同じ条件でそのように審査された結果、私がアルバイトをしていた店が全国1位になったのです。意識が高い人たちと一緒に働くことで、どんなことがお客様から感謝されるのかを考えることがよくありました。100円で買えるアイスではなく、少し値段の高いアイスクリームを食べにわざわざ来店してもらえるということは、お客様にとって、その日はいいことがあったのかもしれないし、特別な日なのかもしれない。そうしたお客様に対して、自分たちには何ができるだろうと、仲間たちとよく話し合ったものです。

アイスクリームショップにしてもアパレル業界にしても、人と接する仕事です。私は「ものを売る」というよりも「人と接する」、さらに突き詰めると「日本人らしいホスピタリティをもってお客様に接する」ことに大きな喜びを感じています。しかも、それが大好きな子ども服のブランドを通じてできるなら、それほど幸せなことはありません。

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念願の子ども服ブランドで1年ずつ階段を上がっていきたい

これまでを振り返ると、自分に自信が持てないために「どうせうまくいかないから」と挑戦しないこともあり、後から「あの時動けていれば」と悔やむこともよくありました。しかし、いざ思いきって挑戦してみると、たとえ失敗しても、自分にとってマイナスになることはひとつもありませんでした。内定先の会社も、ずっと憧れていたものの、自らアクションを起こさなければ、現在の結果は得られなかったでしょう。今はむしろ、失敗して得たものが自分を成長させてくれるのではないかと思っています。

内定先は、海外でも人気を博している日本を代表するアパレルブランドです。日本人ならではのおもてなしの心や振る舞いを生かした接客をしていきたいと考えています。1年目はまず知識を深め、店の雰囲気に慣れると同時に、社風に合った人間に成長していきたいと思います。2~3年目で中堅クラスになって、自分らしさを発揮したファッションアドバイザーとなり、自分のファンを多く作っていきたいというキャリアプランを今から描いています。そして5~10年目には、ブランドチーフという立場でブランド運営に関わり、任せてもられることを目指して、これからがんばっていきたいと思います。

森田 佳奈さん文学部 日本文学文化学科 4年

  • 内定先:株式会社ミキハウス
  • 所属ゼミナール:有澤晶子ゼミナール
  • 私立二松學舍大学附属高等学校出身

法学部企業法学科での学びを通じて、論理的な思考力が身につき、一貫した論理に基づいて答えを導き出すことに面白さを感じたという松永圭右さん。在学中はボランティア活動やインターンシップなどの課外活動に積極的に参加し、社会とつながる経験を積んできました。そして芽生えたのは、「東京を世界一の魅力ある都市にしたい」という思いでした。

自ら答えを導き出す学びの面白さ

高校時代は勉強と部活の両立に苦労し、現役での大学進学はかないませんでした。そして、1年間の浪人生活を送るなかで、自分を見つめ、将来何をしたいのかをあらためて考え直したところ、「公務員になりたい」という目標が明確になり、法学部を志望しました。東洋大学を選んだのは、公務員対策講座が充実しているからです。法学部では、「自分で問いを見つけ、考え、答えを導き出す」という学び方が基本となります。そのためには、論理的思考力を身につけなければなりません。たとえば、裁判の判例を見れば、どの判例にも必ず、相手を説得する論理が貫いています。大半が「正解は1つ」とされてきた高校までの学習と違い、大学での学びは、一貫した論理に基づいて答えを導き出すことが求められ、そこに面白さを感じました。

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社会とつながり、見えてきたこと

学部での学びだけでなく、私の大学生活は、課外活動にも積極的に参加することで充実したと思います。私が大学に入学したのは、ちょうど東日本大震災が起きた直後の4月のこと。「東北で何が起きたのか、今はどうなっているのか。自分の目で確かめたい」という思いから、学生ボランティアセンターに登録し、被災地の復興支援活動などに参加しました。たとえば、被災地の復興支援活動では、がれきの撤去をしたり、仮設住宅に支援物資を届けたりしました。その後は中越地震の被災地である旧山古志村での支援活動をはじめ、富士山の清掃、三宅島での植林など、いろいろな活動に取り組むうちに芽生えてきたのは、社会的に弱い立場にある方たちの助けになりたいという気持ちでした。そして、ボランティアセンターの学生代表を務め、社会とつながり、たくさんの人と関わり、ボランティア活動に取り組むなかで、行政でなければ実現できないことも多いことに気付かされました。

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「東京」という都市に興味がわいた

所属した大坂ゼミナールでは、環境法に基づいて、東京都の環境政策について研究し、「東京」という大都市を見つめ、環境問題の解決策を探っていきました。さらに課外活動を通じて日本各地を訪れるなかで、「東京」という大都市のあり方を見つめるようになり、入学当初から漠然と目指していた「公務員」という目標は、「東京都の職員として働きたい」という具体的な目標へ定まっていったのです。

目標が明確になってからは、3年生の夏に東京都庁のインターンシップを経験。生活に密接に関わる水道事業の仕事に携わりました。どの方もみな「東京を世界一の都市にしたい」「すべては都民のために」という共通の思いを持って仕事と向き合い、その思いを実現するために自分のできる仕事を精いっぱいやり遂げようとする責任感の強さを目の当たりにして、自分もそのような方たちと共に働きたい、という気持ちが高まりました。

念願かなって、東京都庁の内定をいただき、今後はまず多くの現場で実戦経験を積み、いずれは政策の企画立案に携わることが、現在の私の目標です。「魅力ある世界一の都市・東京」を、この手でつくり出していけたらうれしいですね。

松永 圭右さん法学部 企業法学科 企業法務コース 4年

  • 内定先:東京都
  • 所属ゼミナール:大坂ゼミナール
  • 埼玉県立越谷北高等学校出身

高校では野球部に所属。大学ではスポーツに関することを学び、将来は体育教員になりたいと考えて原幸輝さんが入学したのは、ライフデザイン学部の健康スポーツ学科でした。しかし、学びが深まるうちに、アスリートのための実技指導ではなく、スポーツを通じた健康づくりに携わりたいという将来像が見えてきました。運動の楽しさを一人でも多くの人に伝えることが目標だといいます。

理論と実技の両側面から学ぶ

入学当初は、体育教員になって、スポーツの素晴らしさや楽しさを子どもたちに伝えたいと考えていました。高校までの体育の授業では、実際に自分が身体を動かすことしかしてきませんでしたが、健康スポーツ学科では、理論と実技の両側面から学びを深め、たとえば、身体の動きのメカニズムを座学で学んだら、実技では実際に身体を動かしてみます。そして、子どもから高齢者まで、それぞれの年代層に応じた運動指導のプログラムを作るという学び方をします。限られた年代層だけにスポーツを指導するのではなく、老若男女を問わず、幅広い年代層の人たちに、身体を動かすことの楽しさを伝えたいという思いがいつしか強くなっていきました。

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ゼミナールを通じて将来像が明確に

私がこのように考えるようになったのは、ゼミナールでの学びが大きく影響しています。2年生の後期に受講した斉藤恭平先生の授業で、健康政策を自分たちで考えてディスカッションをしたことをきっかけに、「ヘルスプロモーション」をテーマとする斉藤ゼミナールに入室。それまで、運動といえば競技スポーツしかイメージできなかった私は、ゼミナールでの学びを通して、運動は生涯にわたり、好きなときに楽しむことができるものであるということに気付かされました。

斉藤ゼミナールは毎年、キャンパスのある朝霞の市民のために、ライフデザイン学部が開催している「Keep Active」という健康体力づくり講座に参加しています。年齢に関係なく誰でもできる体操プログラムを指導するのですが、高齢者の身体の可動域を理解していなければ、プログラムを考案することもできません。教科書で学んだ知識が必ずしも通用するとは限らず、実際に高齢者と接することで、一人ひとりの身体に合わせた動きを指導することの大切さがわかりました。

ほかにも、埼玉県飯能市の中山間地域でのスポーツイベントの企画や、北海道今金町の「高齢者いきいき運動会」などにも参加し、各地で健康づくりに関する活動に取り組んできました。教室で学んだ理論を、現場で実践するという学び方は、自分にとっても刺激が多く、生涯スポーツに携わりたいという思いが段々強くなっていきました。

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新しいことに挑戦して成長したい

もちろん、身体を動かすことは今でも大好きなので、高校時代まで続けてきた野球をサークル活動でも続けています。さらに、3年生になってからは、エアロビクスのサークルにも所属しました。健康スポーツ学科では、1・2年生でエアロビの授業があるのですが、初めて自分で体験してみて、とても興味深かったので、もっとやってみたいと思って入会したのです。新しいことにどんどん挑戦していくと、刺激をたくさん受け、それは次につながるモチベーションとなります。向上心を持ち、努力を重ねることで、人は成長すると思います。

運動指導を通じた健康づくりの仕事に携わるという目標ができ、今では、大学での学びがますます面白くなってきました。卒業後は、いつでもどこでも、誰もが気軽に参加できるような生涯スポーツを推進する仕事に就きたいと考えています。

原 幸輝さんライフデザイン学部 健康スポーツ学科 3年

  • 所属ゼミナール:斉藤恭平ゼミナール
  • 埼玉県立蕨高等学校出身

高校の家庭科の授業をきっかけに、食品栄養学に興味を持ったという上林千里さん。文系出身で文章を書くことが得意という強みを生かして、大学生活の4年間、説得力あるレポートを書くことに力を注いできました。目標だった食品栄養学研究室への入室も果たし、研究に取り組むうちに、食品メーカーの品質管理職という目標を見つけました。

誰にも負けたくない一心で乗り越えてきた

貧血がちという体質から、私は高校生の頃から栄養に対する関心がありました。高校の家庭科の授業で、カロリー計算による献立作りや郷土料理の調理などが興味深かったのに加え、貧血を改善するために、より効率良く自分に必要な鉄分を摂ることのできる食品はないかと考えるようになったのです。その当時、私が思い描いた将来像は、食品会社で商品開発に携わるということでした。

少しでも将来像に近づくために、最先端の知識を身につけたいと食環境科学科に入学すると、周りは理系出身の友人ばかり。プロバイオティクスや機能食品科学、調理実習などの授業内容は興味深いものの、文系出身の私には内容を理解することが難しい授業もありました。実験とレポート提出を繰り返す毎日はハードでしたが、もともとの負けず嫌いの性格もあって、とにかく必死で勉強に取り組んできました。というのも、入学前から熱望していた「食品栄養学研究室」に3年次に入室できるかどうかは、1年次からの成績次第だと知ったからです。文系出身の強みを生かして、得意の文章力に磨きをかけ、レポートをまとめるときには、論理的に説得力ある内容に書き上げることを心がけてきました。妥協せずに全力で取り組んできたことが結果となって現れ、念願の研究室に入室が決まったときは、努力してきて良かったと心から感じました。

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レポート作成で身につけた力が役立った

授業を通じて食品に対する幅広い知識を得るうちに、世間でちょうど話題になっていたのが、食品偽装に関するニュースでした。食の安全性について学ぶことも多く、「おいしさは大切。しかし、安心・安全な食品であることが何より大切」であるということを感じ、食品会社の品質管理職に興味がわきました。

就職活動では、生産性を高めることよりも「品質を極めて、お客様に安心と安全を届けること」を大切にしている社員が集う企業に注目して、試験に臨みました。エントリーシートを書く際には、1年生の頃からの実験レポート作成で身につけた、「問題を自分で見つけ、考え、自分の言葉で表現を工夫して相手にわかりやすく伝える力」が役に立ったと思います。それは、面接でも同じで、人事担当者に対して、どのように表現すれば自分のことを理解してもらえるのか、説得力ある表現ができるのかということを意識してきました。

どんなに努力しても、残念ながら不採用という通知を受けたときのショックは大きいのですが、その悔しさこそが、壁を乗り越え、次の一歩を踏み出す原動力となります。就職活動では、いつでも「強い気持ち」を持って臨むことが大切なのだと感じました。

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品質管理の責任者を目指して

およそ半年にもわたる就職活動を経て、私が内定をいただけた企業は、当初から望んでいた「品質を極めて、お客様に安心と安全を届けること」を大切にする食品メーカーです。長い年月を超えて愛される商品をつくり続け、お客さまに安心と安全を届ける仕事に携わることができることをうれしく思います。私は総合職として内定をいただいていますが、まずは製造や品質管理の業務からキャリアを積み、10年後には品質管理の責任者として仕事をしていたいという、将来像を思い描いています。その一方で、品質管理の知識を生かして長年愛される商品の開発にも携わることができたらという希望もあります。お客さまを幸せな気持ちにすることができるロングセラー商品を持つ企業の一社員として、これからも精いっぱい努力していきます。

上林 千里さん生命科学部 食環境科学科 4年

  • 内定先:株式会社東ハト
  • 所属研究室:食品栄養学研究室
  • 埼玉県立春日部女子高等学校出身

新しい概念やものごとといった“未知なるもの”を理解するためには、それらを指し示す言葉が必要になります。しかし、対応する言葉がうまく用意されているとは限りません。現代の日本では外国語をカタカナで書き記すのが一般的ですが、幕末から明治初期にかけてはカタカナに直してはいませんでした。「電気」や「銀行」は中国語からの直接借用、「文明」や「革命」は中国古典語の意味的転用、そして「哲学」や「郵便」は日本独自の漢語を生み出すといった具合に、新しい言葉に対応していました。
言葉の意味も時代によって変化しています。たとえば「発明」という言葉ですが、幕末から明治初期は現代の「発見」と「発明」という両方の意味を担っていました。それが明治20年代以降は使い分けられるようになります。さらに明治38年に発表された夏目漱石の『吾輩は猫である』では、再び「発明」を現在の「発見」の意味に用いた例が見られ、何らかの意図があって使われたと推測できます。このように、私たちが普段使っている日本語には、さまざまな背景や変遷があるのです。

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木村 一教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:日本語学

車だったらステアリングやアクセルペダル、パソコンだったらキーボード、ゲーム機だったらコントローラなど、人と機械の間で情報を伝達する役割を果たすもの、それが「インタフェース」です。機械を操作するには必要不可欠なものであり、使いやすさと直感的な操作の実現が要求されます。
インタフェースは、物理的な接点を持ち、操作意図を抽出する「入力層」、機械を実行させるコンピュータに与える指令値を生成する「処理層」、そして指令値を出力する「出力層」という3層構造になっています。直感的な操作を実現するインタフェースを作るためには、入力層で「人の自然な動作を使う」ことと、処理層で「人の感覚に基づいて指令値を出す」ことが重要です。感覚と指令値が合っていると、人は使いやすいと感じることができるのです。
少子高齢化の進む日本では、機械システムで人の活動を補助することがさらに増え、直感的なインタフェースがさらに求められていくでしょう。人や社会の役に立つシステムを作ることができたら、エンジニアとしても最高の充実感が得られるに違いありません。

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横田 祥教授理工学部 機械工学科 ヒューマンロボットインタラクション研究室

  • 専門:人間活動支援システム、インタフェース、ロボティクス

砂漠や海底、成層圏などの極限環境で生育できる微生物の総称を「極限環境微生物」といいます。先生が研究しているのは、放射線に強い極限環境微生物の放射線抵抗性細菌。なかでもDNAを修復するタンパク質の研究を進めています。
修復タンパク質とは放射線によってDNAが切断されると修復に関わるタンパク質で、そのメカニズムを知ることが最重要課題となっています。先生は研究を重ね、生物には存在しない新しいDNA修復遺伝子を発見。「PprA」と名付けました。さらに、PprAは傷ついたDNAに優先的に結合することもわかりました。
生命科学の研究の心構えとしては、多面的な視点で物事を考え、「科学技術と現代社会の関わり」も常に意識することが大事です。また、科学は研究者によってまったく違う結果になることもあるので、主体的な独自の切り口で発信することも大切です。そして研究の際は、瞬間的や感覚的に感じ取る直感ではなく、「理性に基づき物事の本質をとらえる直観」を磨いていくことを心がけましょう。

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鳴海 一成教授生命科学部 生命科学科 放射線微生物学研究室

  • 専門:放射線抵抗性細菌のDNA修復機構に関する研究

幼い頃から絵を描いたり、ピアノを弾いたりと、想像力を働かせて表現することが好きだったという大村祐太さんは、「デザイン」という言葉に惹かれて東洋大学のライフデザイン学部人間環境デザイン学科に入学しました。想像していた以上に奥深いデザインの世界に触れ、日々、驚きつつもワクワクしながら学んでいるそうです。授業で学んだこと一つひとつを消化し、自分らしさを表現したスタイルでアウトプットすることを目指しています。

誰かの役に立つものをつくりたい

学部学科名に含まれる「デザイン」という言葉が、自分を表現することを意味するのではないかと思い、人間環境デザイン学科を志望しました。この学科では、3年生から「空間デザインコース」「生活環境デザインコース」「プロダクトデザインコース」のいずれかを選択することになっており、1,2年生のうちはまず、デザインに関するあらゆる分野を幅広く学びます。入学当初は、高校時代に好きだった美術や技術と似たような授業を受けるのかなと思っていたので、今まで触れたことのなかった「建築」や「福祉」に関する内容の授業には戸惑うこともありました。

そうして学ぶうちに、多角的な視点からデザインを考えることが必要なのだと実感したのは、2年生の時。祖父母が病気になり、自分で思うように身体を動かせなくなってしまったことで、「人の役に立つものをつくりたい」と強く感じるようになったのです。そうした視点を持ってあらためて授業を見つめてみると、「ユニバーサルデザイン」や「バリアフリー」など、生活におけるデザインを学んでみたいと目的意識が明確になり、3年生からは「生活環境デザインコース」を選択することに決めました。そして、車椅子や生活支援などに触れた取り組みを行う水村容子ゼミナールに入室し、より深く学びたいと考えました。

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ゼミ活動で町のユニバーサルデザインを実感

3年生になってからは、専門科目の履修やゼミナールを通じて、デザインについてより専門的に深く学ぶようになりました。印象に残っているのは、水村ゼミで浦和市の町歩きをしたことです。「さいたま市バリアフリー専門部会」に参加し、身体障がい、知的障がいのある市民の方と一緒に道路や高架下、駅の中などを歩き、バリアフリーの環境整備の実態を調査しました。自分でも実際に車椅子に乗ってみて、道の狭さやでこぼこ具合、段差などを体感したところ、「利用者のニーズとずれているのではないか」と感じるところもありました。車椅子の人にとってはちょうどいい高さの柵であっても、目の不自由な人にとっては気づきにくいものになるなど、これまではユニバーサルデザインだと思っていたものが、立場によってそうとも限らないことを発見。細かいところまで追求してデザインすることが大切だと感じました。

こうして調査した結果から課題解決のための方策を考え、発表することで、ようやく自分たちの学びは一つの形となります。ただ体験して終わりにせず、アウトプットすることの大切さを、ゼミでの学びを通じて、実感しました。

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課題制作で身につけたアウトプットする力

アウトプットという点では、1年生の夏休みの課題「100枚スケッチ」が忘れられません。身近な静物や自分の手など、思いつくものを何でもひたすらスケッチしていくのは、まさに“質より量”をこなす作業。当時は大変な労力が必要でしたが、自分のアイデアの引き出しを増やしていくことが狙いだったんだなと納得できますし、アウトプットする力も身につきました。

また、プロダクトデザインの授業では、強化ダンボールを使ってグループで椅子を製作するという課題に取り組みました。高齢者にも小さな子どもにも、そしてどういう時間帯でも使えるように、背もたれも肘掛けもついてリクライニングも可能に、と6名の仲間と工夫し、協力しあって実際に椅子を製作。さらには、印象的にアピールできるようにと動画撮影までしたことで、最終プレゼンでは「銀賞」を獲得できたのです。試行錯誤しながらも、メンバーで話し合ってまとめたアイデアを盛り込んで、一つの形にすることができた喜びは何物にも代えがたい経験でした。

大学生活を通じて学び続けてきた「デザイン」の知識や技術を生かして、誰かのためになるような仕事をしたい。それが今の私の描く将来像です。

大村 祐太さんライフデザイン学部 人間環境デザイン学科 3年

  • 所属ゼミナール:水村容子ゼミナール
  • 東京都立千早高等学校出身