縁起という語は日常用語となっていますが本来は仏教用語であり、「縁って起こること」を意味します。これは、物事は様々な原因や条件によって生じるという考えを示しています。古代インドでの釈尊在世当時、人生や世界について「神意説」「宿命論」「偶然論」という3つの解釈がありました。それぞれ、全てが神の意志である、前世の行いが現世の運命に影響するので自己努力が無意味だ、行動に必ずしも結果が付随しない、とする考えでした。それに対して釈尊は、縁起説あるいは因果業報説を唱え、自己の行為と結果の関係を強調しました。因果業報説には複雑な側面もあるのですが、基本的には個人の苦しみに関する因果関係を解明したものでした。苦しみの最たるものは老いや死(老死)やそれにまつわるものですが、その原因をたどっていくと、渇愛(かつあい、欲望)や無明(むみょう、無知)にたどり着きます。故に、それらをなくせば最終的には苦しみもなくなるとして、十二項目からなる因果関係のプロセスが定式化されました(十二支縁起)。

授業で紹介した六道輪廻図は、その十二支縁起説を輪廻説との関連で表現した図です。真ん中にある鶏・蛇・イノシシが欲望・怒り・無知を象徴し、それらの煩悩(惑)によって善い行いや悪い行い(業)を行い、それが六つの生存領域(六道)での輪廻という結果(苦)を生み出すことを示したものです。そして、先の縁起説を適用すれば、惑を滅することでそれによる業も行わず、故に苦もなくなり、輪廻の世界を離れることができる、ということになります。以上が六道輪廻図から読み解かれる仏教の基本思想です。なお、煩悩の火が吹き消された状態は涅槃と呼ばれ、それに至るためには戒・定・慧というプロセスが必要となります。

pf_horiuchi.jpg

堀内 俊郎教授文学部 東洋思想文化学科

  • 専門:インド仏教、仏教文献学
  • 掲載内容は、取材当時のものです