中国・朝鮮・ベトナム・琉球・日本、東アジアの国々で朱子学は受け入れられてきましたが、皆同じように朱子学の文献を読んでいるわけではありません。中国(南宋)の朱熹が、朱子学を学ぶ基本書として著した『小学』は、日本をはじめ東アジアで広く読まれましたが、その解釈もさまざまです。朱熹は、『小学』には『大学』を学ぶための基礎があるとし、『礼記』『論語』などの経典から、マナーや倫理に関わる部分を抜き出して、『大学』に対応するような『小学』を編集しました。例えば、食事をするときには右手を使う、道の真ん中を歩かないなど、現代にも通じる内容がたくさんあり、子供の教育書としての内容を兼ね備えています。特に、朱子学を採用した朝鮮では、『大学』と『小学』はお互いに対応する関係であるとして、朝鮮時代から現代に至るまで、『小学』は重要な文献として読まれてきました。日本では、江戸の儒者である山崎闇斎が、はじめて『小学』に訓点を打ち、朝鮮儒学の影響を受けて『小学』を研究しました。その学派の人たちが「小学」を思想書として読む一方で、江戸時代の大半の儒者たちは、『小学』は漢文の素読みのテキストであり、『大学』に対応する思想書とは考えていませんでした。しかし、東アジアという広い視点で見ると、琉球では『小学』は必読書であり、中国でも『満州小学』として、満州語に翻訳されて読まれています。『小学』には、時代も言語も習慣も異なる中でさまざまな解釈があり、「どのように読まれているのか」を調べてみることが面白さでもあるのです。読まれ方から作られる思想史を、文献を通して考えていきましょう。

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白井 順教授文学部 東洋思想文化学科

  • 専門:東アジア思想史
  • 掲載内容は、取材当時のものです