2500年前、ソクラテスが “徳”とは何か?という問いを立てました。「私には徳がある」と自称する人を、周りは「あの人には徳がない」と評価するでしょう。その逆に、「あの人には徳がある」と他人が気付くものでもあります。その答えはいまだに不確定です。“正義”や“自由”も同じことが言えます。重要なのは、その「問い」です。答えよりも、問いを重要なものとして理解していく試みが哲学なのです。そして、この問いを立てるために、どこに「注意」を向けるのかが大切です。そのために、自分の推論が正しいかを吟味する“論理力”や、いつか手がかりが見つかり、思考が進むことがある時まで問いを持ち続ける持続的な思考の“展開力”、そして、多くの人が気付かなかった現実を見出し、どこに問題があるのかと気付くための“発見力”が必要です。例えば、エッシャーの「Drawing Hands」というだまし絵を見たときに、この絵のどこがおかしいのかを考え、問いを立て、エッシャーの意図を考えます。始まりと終わりの区別がなく、手が手を描いているようですが、同一人物ではないようにも見えます。二次元と三次元が展開されていて、よく見ると大切なものを抱えているようにも見えます。このように、パッと見てわからなかったことについて、問いを立て、さまざまな場所に注意を向けてみると、思考が進み、その中からいろいろな物事の見方や解釈、多様な現実が出現するのです。

ph-inagaki.jpg

稲垣 諭教授文学部 哲学科

  • 専門:現象学、リハビリテーション医療の科学哲学、精神医学の哲学、環境デザインの哲学
  • 掲載内容は、取材当時のものです