日本に現存する最古の歌集である「万葉集」をもとに、日本の伝統について考えてみます。万葉集には「春の長日、五月の短夜、秋の長夜」という言葉があります。こうした表現は、季節の変化への細やかなまなざしを通しての表現といえます。「秋の長夜」を恋心の表現に使った歌は、次の時代の「古今和歌集」にも広く受け継がれていきました。例えば、素性法師は、「今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」と歌っています。男性ながら女性の立場で歌えるほど、表現の「型」があったことが分かります。万葉集にも、「長月の有明の月」と恋情を詠んだ歌があり、素性法師の歌が、万葉集以来の「待つ恋」の伝統を受けたものだといえます。古歌を受け継ぎ、型を学んで自らの思いを歌に託すといった享受と生産の繰り返しの中に日本の文学があるのです。
日本の文学には国の形を育み、それを国の文化として伝えてきた長い歴史があります。ですから古典を学ぶということは、国の形を明らかにし、日本の伝統を理解するということでもあります。それは、現在のあるべき姿をよりよく理解するためであり、豊かな未来を考えることにもつながります。古典の研究は、決して古めかしいものではなく、むしろ現在と未来を考える「現在学」であると捉えることができるのです。

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菊地 義裕教授文学部 日本文学文化学科

  • 専門:文学、日本文学
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