安心な水を未来へ ~有用細菌による排水処理技術の開発と普及に向けて~
重点研究課題:
(5)
研究主体:
工業技術研究所
研究代表者:
井坂 和一 准教授(理工学部応用化学科)
研究期間:
2022年4月~2025年3月
1990年にオランダで初めて発見されたアナモックス菌は、湖沼等の窒素汚染を防止するために有用な細菌だ。現在、東洋大学では、工業技術研究所の環境技術研究会が主体となり、理工学部、総合情報学部、情報連携学部、国際学部、経済学部、情報連携学部と連携して、アナモックス菌による排水処理技術を開発し、安心な水を届けるプロジェクトに取り組んでいる。
取材:2022年6月
河川や湖沼の水質悪化は重大な環境問題です。川や湖でアオコが大量発生して魚がたくさん死ぬことがありますが、いわゆるきれいな水にはアオコは発生しないのです。水質汚染の主な原因は、私たちの生活排水や工場などから排出される窒素排水です。法律で排水の水質基準が設けていますが、この基準(窒素・リン)を満たしている国内の湖沼は50%にも満たない状況です。きれいな水を守るためには、汚染水を河川や海に放流される前に、適切に処理する必要があります。
工場廃液に含まれる汚濁物質は、窒素化合物や1,4-ジオキサン等の化学物質などがあり、健康被害や環境汚染の原因となっています。しかし、実はこういう汚濁物質を分解する微生物も、地球上には存在しているのです。たとえばアンモニアを分解する硝化菌、アンモニアと亜硝酸を同時に分解するアナモックス菌、1,4-ジオキサンを分解するジオキサン分解菌。今回のプロジェクトは、それらの菌の中でも特に、アナモックス菌に注目して水をきれいにするという研究です。
アナモックス菌は1990年にオランダで初めて発見された菌です。世界各国で発見されていて、1990年に発見されるずっと以前から湖沼の浄化に貢献してきたと考えられています。どこにでもいるといわれる菌なので、埼玉にもいるのではと、埼玉県内の川の泥を採集するとアナモックス菌を発見することができました。
しかし、残念なことに、アナモックス菌は増やすことが大変難しい細菌だったのです。そこで本プロジェクトの第1段階では、アナモックス菌の培養条件を調査し、安定した培養技術を確立することを目的としています。
第2段階では、排水処理の反応槽にアナモックス菌を固定する方法(包括固定化)を検討します。アナモックス菌を反応槽に入れるだけでは、アナモックス菌は水と一緒に外に流れ出てしまい、水を浄化することができません。そのためアナモックス菌をゲル状の物質で固めて外に流れ出さないようにし、その状態で反応槽の水を浄化できるかを実験で明らかにします。
そして第3段階では、模擬排水を用いた試験において、実際にアナモックス菌で排水処理を行った水がきれいになっているか、水質評価を実施します。ここまでが、アナモックス菌を使った基礎試験のフェーズ(第1フェーズ)です。
このプロジェクトの最終的なゴールは、きれいな水社会を実現するための社会実装にあります。そのため次のフェーズでは、実用化に向けたスケールアップの検討を予定しています。第1フェーズでは1リットルの反応槽を使用して実験を行いますが、第2フェーズでは最終的には300リットル規模の大型培養槽を設計し、大型デモプラントを使用した実験を行います。
第3フェーズでは、環境への影響を総合的に評価します。アナモックス菌で水はきれいになったものの、消費エネルギーが増えてCO2が増えたのでは意味がありません。また、アナモックス菌で排水処理した後の放流水による生息魚類の影響も評価します。この評価で良い結果が出れば、国内の排水処理施設はもちろん、海外へも技術移転ができるものと期待しています。
現在の排水処理では、硝化脱窒法という処理方法が広く用いられています。排水中の窒素はほとんどがアンモニア(NH4+)です。反応槽に、アンモニアを分解する硝化菌を入れ、酸素を送って酸化させると、全て亜硝酸(NO2-)や硝酸(NO3-)に変換します。これを酸素のない反応槽に送り、脱窒菌を加えると、無害な窒素ガスとなって大気中に放出されます。この方法は、酸化の過程で多くのエネルギーを消費し、しかも多量に増えた細菌が汚泥となり、大量に発生するという欠点がありました。
アナモックス菌を使うと、硝化脱窒法より効率的にアンモニアを分解することができます。酸化すべきアンモニア量が半分ですみ、酸化に要するエネルギーも半分になります。反応槽も半分の大きさでよくなるためスペースの削減になります。そして汚泥の量も約80%程度減少します。
最近では、アナモックス菌を使って畜産廃棄物や下水汚泥から窒素を除去する方法も研究されていて、廃棄物を利用したバイオマス燃料利用促進にも期待が高まっています。
アナモックス菌を使用することで排水処理にかかるエネルギー消費量が半減するため、全国の下水処理場で導入していただくと大幅な消費電力の削減につながります。導入していただくためには、データの信頼性や大型プラントでの成功実績が不可欠です。そこで、第2フェーズのシステム化(スケールアップ)や第3フェーズのシステム評価の成果がその重要なポイントになるかと思います。
本プロジェクトは東洋大学の工業技術研究所 環境技術研究会が主体となり、理工学部や総合情報学部、情報連携学部、国際学部、経済学部、情報連携学部、教員10人のチームで取り組みを進めています。アナモックス菌の培養条件の検討では、理工学部応用化学科で微生物を研究されている研究者に、システムの全体的な評価については経済学部総合政策学科の研究者に、流域生物への影響評価では都市環境デザイン学科の研究者に、このシステムを社会実装する際の合意形成の段階では総合情報学部総合情報学科の研究者になど、幅広い分野から協力していただいています。このプロジェクトを通じて、異分野の研究者が「水」を共通項として有機的につながれたことは大変すばらしいと思っています。
化学は人の生活を豊かにしてきましたが、一方で、大気汚染や水質汚染など負の側面ももたらしました。化学を愛する者として、私はそのことに胸をいためていたのですが、大学時代に、汚れた環境をきれいな状態に戻すのもまた化学の力だと学び、以来、それが私の研究のモチベーションになっています。
アナモックス菌による排水処理は世界でも注目されており、2000年頃にはオランダで世界第1号機となる排水処理プラントが実稼働しました。日本では2013年に、私が民間企業に在職中、アナモックス菌による排水処理プラントの建設に携わり、実用化に成功しています。次世代に美しい水環境のバトンをつなぐため、今後も普及啓発に努めていきたいと考えています。
東洋大学理工学部応用化学科准教授。
東邦大学大学院理学研究科化学専攻 博士前期課程修了。工学博士(早稲田大学大学院)。日立プラント建設株式会社 に入社後、株式会社日立プラントテクノロジー、株式会社日立製作所 技術開発本部 主任研究員、オルガノ株式会社 開発センター 課長を経て、2017年東洋大学理工学部准教授に就任。専門は、環境工学、化学工学、微生物工学。公益社団法人 日本水環境学会 運営幹事。