理事長・学長 特別対談 Special Interview
将来構想 Future Vision
DX・SDGs DX · SDGs
コロナ禍を経て得た知見を最大に生かし、学生の学びやキャンパスライフの充実を図るとともに、13学部・15研究科を擁する「知」の拠点として、SDGs達成に向け包括的かつ積極的に取り組んでいます。
国際化の推進 Internationalization
東洋大学では、ロシアのウクライナ侵攻が勃発した2022年2月以降、早期よりウクライナの3大学と学術交流協定を締結するとともに、継続的な大学生・研究員等の受け入れや講演会の開催を行うなど、様々な支援活動に取り組んでおり、今後も継続していきます。
創立者 井上円了とは Introducing Toyo University Founder. Enryo Inoue
東洋大学は1887(明治20)年、哲学者・井上円了が創立した「私立哲学館」により、その歴史が始まりました。急速な近代化とともに日本の社会が大きく変わろうとしていたこの時代、円了は日本人が哲学を学び、「ものの見方、考え方」をしっかりと身に付ける必要があると考えました。このことから、哲学館では、いわゆる哲学者を養成するのではなく、哲学を通して知力を磨き、広く社会の中で活躍できる人材を育成することを教育目標としました。
Toyo University’s history began in 1887, when philosopher Enryo Inoue founded a private school called the Shiritsu Tetsugakukan. Enryo Inoue believed that “for Japanese people living in the new era, philosophy will be the foundation of all thought.” Rather than focusing on training professional philosophers, he emphasized the importance of “practice of philosophy,” namely the value of ordinary people living upon their own thoughts and initiative through learning philosophy.
井上 円了(1858年~1919年)
1858(安政5)年、現在の新潟県長岡市の寺院、慈光寺の跡取りとして生まれる。10歳の頃から私塾で漢学の素養を磨いた後、16歳で長岡の洋学校(現新潟県立長岡高等学校)に入学し洋学を学んだ。20歳のとき、京都・東本願寺の国内留学生に選ばれ上京。東京大学予備門を経て、1881(明治14)年に東京大学文学部哲学科に入学し、哲学を修めた。卒業後は、新進気鋭の哲学者として、『哲学一夕話』、『仏教活論序論』などの著書を世に送り出し、高い評価を受けた。
1887(明治20)年、「諸学の基礎は哲学にあり」の理念の下、東洋大学の前身となる哲学館(後の哲学館大学)を創立すると、学校での教育とともに、全国巡回講演(巡講)や海外視察(世界旅行)を精力的に行うなど、独自の教育活動を展開した。学校経営から身を引いた後は、社会教育に傾注し、1919(大正8)年に生涯を閉じるまで、哲学堂(現中野区・哲学堂公園)の建設や講演、著述などの活動を通じて、教育による日本社会の発展と哲学の普及に力を尽くした。
旅する哲学者
井上円了は、「活書活学」という言葉で、現実世界を活きたテキスト(活書)として、実体験から活きた学び(活学)をする大切さを説きました。そして、自らも「活書活学」を実践すべく、生涯3度にわたり世界一周の視察旅行を行いました。
旅を通して、円了は、世界各地に多様な自然と文化があることを知るとともに、欧米先進国の教育と宗教の実情について見聞を広めました。さらに、旅で得た知見を基に日本の現状をグローバルな視野から捉え直し、自らの教育事業の指針を定めています。
このような地球規模の「活書活学」によって、世界と日本がどこへ向かおうとするのかを探究し続けた創立者独自の哲学は、現代の東洋大学にも受け継がれています。「グローバル人材の育成」、「SDGs達成に寄与する研究の推進」など、東洋大学では今の時代・社会と向き合い、教育研究の推進と将来構想の策定に取り組むとともに、自己の哲学を磨き、物事の本質を見究められる人材の育成を行っています。
教育の門戸を広げる志
「余資なき者」(経済的余裕のない人)も、「優暇なき者」(時間的余裕のない人)も、哲学を中心とする諸学を短期間で修得できる。1887(明治20)年、井上円了は哲学館を創立するに当たり、このような趣旨を掲げました。そうしたところ、50名の入学定員に対して、希望者が殺到し、ついには200名ほど集まったところで入学謝絶となりました。
その翌年には、地方に住むなどの理由で通学できない人を対象に、『哲学館講義録』を頒布し、通信教育にも取りかかります。さらに、1890(明治23)年には、円了が自ら全国各地に出向いて講演を行う全国巡回講演も開始します。こうした取り組みは、広く民衆に教育機会を開放する試みとして、画期的なものでした。
現在、東洋大学では、教育の門戸を広げようとした創立者の志を受け継ぎ、6学部8学科に第2部・イブニングコースを設置するほか、社会貢献センターにおいて公開講座や講師派遣事業を行うなど、幅広い学びの場を提供しています。
哲学者にして妖怪博士
井上円了は、哲学者であると同時に妖怪研究の先駆者として知られています。円了が最初に妖怪研究に取りかかったのは、東京大学在学中のことで、いわゆる化け物だけでなく、俗信や精神現象、天変地異など、広く世の中で不思議とされている事象が研究の対象となっていました。こうしたものに対して、円了は科学的なアプローチでその解明に取り組みました。この極めてユニークな研究は、やがて妖怪学という独自の学問に体系化され、哲学館での講義や著書、講演などを通して、「妖怪博士」の異名とともに世間にも知られていきました。
妖怪学は、根拠のない思い込みや偏見に惑わされず、物事の本質を見極めることの大切さを説くものであり、日本を精神面から近代化しようとする試みでもありました。
東洋大学×漫画
創立者・井上円了を漫画化
チャレンジ精神に満ちたその生涯を全世代に
井上円了哲学センターは、2023年3月18日、東洋大学は創立者・井上円了の思想や生涯を作品化した漫画『円了』を公式Webサイトで公開。哲学者、生涯教育の先駆者、妖怪博士、仏教者、世界旅行者など様々な顔をもつ井上円了の姿を、附属高校を含めた自校教育の教材のみならず、子供から大人までに伝えることを目的として制作しました。漫画は、『B(ベー)~ ブラームス20歳の旅路』等を描いた留守keyの舩渡正展氏(本学OB)、青山敬典氏が担当。「幕末から明治という激動の時代を生きた教育者円了を、ひとりの人間として描いてみたい」とコメントしています。
事業報告 Reports
教育 EDUCATION
自己の哲学を磨き、物事の本質を理解する人材の育成
Developing Human Resources Who Can Cultivate Their Own Philosophy and Understand the Essence of Things
研究 RESEARCH
文理にわたる多様な研究を推進し、様々な社会の課題解決に寄与
Promoting Diverse Research Endeavors in the Humanities and Sciences to Contribute to Solutions for Various Social Issues
社会連携 SOCIAL COOPERATION
教育・研究機関として社会と連携し、開かれた大学へ
Collaborating with Stakeholders as an Educational and Research Institution to Become a University Open to Society
スポーツ SPORTS
スポーツを「哲学」し、人と社会と世界を結ぶ人材を育成
Developing a philosophy of sports and promoting education aiming to connect people and society around the world
附属学校・幼稚園 ATTACHED SCHOOLS AND KINDERGARTEN
変化の激しい時代の中で自身の哲学を持ち、明るい未来を担える人材を育成
Developing Human Resources Who Have Their Own Unique Philosophies and Are Able to Create a Bright Future in These Rapidly Changing Times
経済・財政 Economy & Finance
経常経費の見直しや活性化、教育研究経費比率の向上などを通し、学校法人東洋大学の継続的発展の基礎となる健全な財政に基づく予算編成を行っています。
データ Data
東洋大学のいまを読み解くデータ集。
沿革 History
井上円了の志を継ぎ、歩み続けた130年 130 years of continuing Enryo Inoue’s vision
1887年~
- 1887(明治20)年 井上円了が本郷区龍岡町の麟祥院内に私立哲学館(東洋大学の前身)を創立する
- 1897(明治30)年 小石川区原町に新校舎落成(現・白山キャンパス)
-
1899(明治32)年
私立京北尋常中学校※を開設
※現・東洋大学京北中学高等学校
1905年~
- 1905(明治38)年 京北幼稚園を開設
- 1906(明治39)年 私立東洋大学と改称
- 1916(大正5)年 日本の私立大学で初めて女子の入学を許可
- 1920(大正9)年 「私立」の冠称が廃止され、東洋大学へ改称
1949年~
- 1949(昭和24)年 新制大学に移行、文学部を設置
- 1952(昭和27)年 大学院を設置
- 1961(昭和36)年 川越キャンパス(埼玉県)を開設
- 1963(昭和38)年 東洋大学附属姫路高等学校(兵庫県)を開設
1964年~
- 1964(昭和39)年 東洋大学附属牛久高等学校(茨城県)を開設
- 1977(昭和52)年 朝霞キャンパス(埼玉県)を開設
- 1997年(平成9)年 板倉キャンパス(群馬県)を開設
2005年~
- 2005(平成17)年 朝霞キャンパス(文・経済・経営・法・社会学部)の1・2年次を白山キャンパスに統合し、4年間一貫教育開始
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2006(平成18)年
大手町サテライト(東京都)を開設
白山第2キャンパス(東京都)を開設 -
2011(平成23)年
総合スポーツセンター(東京都)完成
学校法人京北学園と法人合併し、京北中学校・高等学校、京北学園白山高等学校、京北幼稚園を併設校とする
2012年~
- 2012(平成24)年 創立125周年を迎える。125周年記念館(8号館)にて記念式典を挙行
-
2014(平成25)年
東洋大学附属姫路中学校(兵庫県)開設
文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援(タイプB)」採択 -
2015(平成27)年
京北中学校・高等学校が東洋大学京北中学高等学校に校名変更し、東京都文京区白山に移転
東洋大学附属牛久中学校(茨城県)を開設 - 2017(平成29)年 赤羽台キャンパス(東京都)を開設
2021年~
-
2021(令和3)年
赤羽台キャンパスに新校舎「WELLB HUB-2」が完成
ライフデザイン学部・ライフデザイン学研究科が赤羽台キャンパスに移転 -
2023(令和5)年
赤羽台キャンパスに新校舎「HELSPO HUB-3」が完成
赤羽台キャンパスに福祉社会デザイン学部と健康スポーツ科学部を開設