「法曹」とは、法律の実務に従事する専門家として司法制度を支える弁護士・裁判官・検察官の総称です。法曹になるためには、国家資格の中でも最難関と言われる司法試験に合格する必要があります。試験を突破する鍵を握るのは、「なぜ法曹になりたいのか」という志だと言われます。労働問題のエキスパートとして活躍する山口弁護士、2017年度の司法試験に合格した長谷川さん、小暮さん、そして法学部4年生で法科大学院への進学を控えた保科さん。東洋大学法学部出身ながら立場の異なる4名が、「法曹」の魅力や将来展望について語り合いました。

生活に身近な法律を感じながら「法曹」を目指すまで

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山口弁護士:まずは大前提として、私が法曹を目指していた時代と現在とでは、司法試験の制度がだいぶ変わっています。また法科大学院も創設される前のことですので、今日集まっていただいたみなさんとは取り組んできたことなどが異なるかもしれません。共通点と言えば東洋大学法学部出身であることですね。もともと私は社会科の教師になりたくて法学部に入ったのですが、みなさんは大学進学の当初から法曹を目指していたのですか?

長谷川:僕はそうですね。きっかけは高校生のとき、家族が法律に絡むトラブルに巻き込まれたことがあり、弁護士に大変お世話になったのです。”法律=人を守る力”であるということを実感した出来事でしたね。そんな経験もあって、大学は法学部1本に絞って受けました。

保科:僕も高校時代から法曹を目指して、大学も法学部のみ受験しました。きっかけは東日本大震災。僕は宮城県仙台市出身で幸い家族は無事だったのですが、多くの被災者が法律によって生活を立て直す場面を多く見てきました。ただ一方で、法律を活用できずに救われなかった人がいたのも事実で…。”損得”というと言葉は軽いのですが、ごく普通の生活を営む上でも法律の知識は欠かせないと、身近で感じていました。そうした人たちを救いたいと思ったのが、法学部に進学した最初の動機でした。

小暮:僕が法曹の道を意識し始めたのは大学3年のときなので、2人と比べるとだいぶ遅いのですが…。

山口弁護士:私も本腰を入れ始めたのは大学3年からでした。ずいぶん昔の話ですが、ちょうどそのときに、東洋大学で司法試験に向けての支援講座が始まったんですよ。今も大学3年からのスタートは遅い方ですか?

長谷川:いえ、逆に保科さんや僕のほうがレアケースかもしれません。僕の周りでも大学3年の進路選択の時期に、法科大学院の受験勉強を始める人が多かったですから。

山口弁護士:なるほど。今も大学へ入学してから卒業後の職業選択をして、法曹を目指しても遅くないということなのでしょうか。

小暮:僕は、大学受験の頃は別の目標があり、もともとは音楽大学を目指していました。ところが高校3年の時点でもう1年ほど修行をしないと音大は難しいだろうと先生に言われまして、かといってそこまでは親からの経済的援助は受けられない。だったら普通に大学受験をしようと、特にこだわりなく、さまざまな大学・学部を受けたというのが正直なところです。

法学部での学びから開花した「法曹」への道

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山口弁護士:だいぶ大幅なシフトがあったわけですね。ということは、大学で初めて法律に触れたわけですか?

小暮:そうですね、高校では法律についてのごく初歩的なことしか学びませんから。

長谷川:それが、僕は不思議だと思うところです。法律は社会生活を送る上でのルールであり、生活のごく身近なところにあるものなのに、なぜそれを高校できちんと教えないかと。

山口弁護士:確かに日本で暮らしていると、なかなか法治国家の良さには気付かないかもしれないですね。ただ、そうした意識もこれからは少々変わっていくのではないでしょうか。大学時代に読んだ司馬遼太郎の『アメリカ素描』というエッセイには、多様な国籍の人々が集まって成り立つアメリカが、国として一つにまとまっている基盤は法律である、ということがさまざまなエピソードを通して描かれています。

保科:アメリカはよく”訴訟大国”だと言われますね。

山口弁護士:争いは避けたほうが人間関係がスムーズにいく、というのが日本人の国民性なので、よほどのことがない限り訴訟もしたがらない。一方で、アメリカ人はむしろ法律で裁いてもらったほうが、後々もスッキリする、という考えの人が多いようです。しかしこれからは、日本にも多様な国籍の人が暮らすようになります。それだけに異なる価値観がぶつかったときに、法律に解決を求めるケースも増えてくるのではないでしょうか。

長谷川:法律がもっと身近なものになるかもしれない、ということですね。

小暮:人間同士の争いを解決するのも法律の役割ですが、僕自身は法律の学びに別の魅力を感じていました。たとえば、東洋大学の屋上から副都心のビル群が一望できますが、この光景を作っている背景には都市計画法などの法律がある。そのように法律を学ぶことで世の中の仕組みを知り、街の風景まで変わって見えてくることに魅力を感じていました。

山口弁護士:音楽家志望だっただけあって、小暮さんはロマンチストですね。そうした純粋な知識欲から、難関の司法試験を受けるモチベーションはどのように芽生えたのですか?

小暮:長谷川さんや保科さんのような強い動機があったわけではないのですが、昔から漠然と「人を幸せにする職業に就きたい」と考えていたなかで行き着いたのが、法曹という道でした。山口先生も、もともとは社会科教員志望だったのですよね?

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山口弁護士:ええ。その意識が変わったのは、大学2年のときでした。オーストラリアのタスマニア島を一人旅していて、左手足を失ったイギリス人旅行者と出会ったのです。障害を抱えながらも、何でも一人でやってのける彼のタフさに、自分はなんてのんびり生きてきたんだろう…と逡巡しました。そして高いモチベーションを持って何かに取り組もうと考えたときに、法学部なのだから、やはり司法試験に挑戦しようと決めたのです。逆説的になりますが、私も小暮さんも法学部でなかったら、法曹という道はなかなか考えなかったかもしれませんよね。

小暮:そうですね。山口先生も受験を決めたタイミングに東洋大学で司法試験の講座が始まったとおっしゃっていましたが、僕も法科大学院の受験を決めたのは、法曹の魅力を教えてくれたゼミの教授の影響と支援が大きかったですから。

長谷川:僕の友人には、当初は法曹志望でしたが、公務員の方がやりがいがありそうだと道をシフトした人もいましたね。

山口弁護士:法学部といっても道は一つではありません。幅広い選択肢があり、人や学びとの出会いを通して可能性が開けていくのも、大学で学ぶ意義ですね。

変わりゆく日本社会の中で求められる「法曹」のあり方とは

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山口弁護士:司法試験に合格した長谷川さんと小暮さんは、いよいよ司法修習。そして保科さんは法科大学院に進むわけですが、みなさんその後の志望は考えていますか?

保科:僕はまだ弁護士か検察官かで迷っています。もともと震災をきっかけに人助けをしたいと思って法学部に入学したので、その視点であれば弁護士かもしれません。裁判傍聴をしたときに、とても悲しい殺人事件を目の当たりにしてしまいました。前提として、犯罪は許されるものではありません。そして裁かれるべき犯罪は裁かれるべきであると考えています。その上で、犯罪にはその人の生きてきた環境も大いに関係してくると感じました。そして、犯人をただ裁くだけでなく、更生の手助けをしてみたいと思います。

山口弁護士:殺人という一点だけを切り取れば100%黒ですが、その事情や背景を汲み取った上で、被害者や犯人の今後、そして判決による社会的影響などに鑑みて、最も適切な収まりを考えるのが法廷という場です。法律とは白黒を決めるための道具のようにみえても、現実にはそんなにくっきり色を付けられることは少ないのが、難しくも面白いところだと思いますね。

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長谷川:僕は弁護士になりたいと考えています。そして、いずれは独立して、自分の名前で弁護士事務所を構えたいですね。自ら実績を築き、顧客と信頼関係を結ぶことが、弁護士という職業の醍醐味なのではとイメージしています。

小暮:僕は、現在、弁護士以外の法曹にも魅力を感じているのですが、仮に弁護士になるとすれば、専門は今後考えていきたいと思っています。山口先生は労働問題がご専門だそうですが、弁護士は専門を持った方がよいのでしょうか?

山口弁護士:私は大学で労働法のゼミに所属していたことから現在に至るのですが、専門を持たずにオールマイティにやっている弁護士は多いですよ。ただ東京を拠点にするなら、何らかの専門は持ったほうが有利かもしれないですね。司法試験が年々難関になっているとは言え、東京には弁護士が多く、競争も激しいですから。

小暮:労働法を扱う醍醐味とは何ですか?

山口弁護士:労働法というより企業法務を行う醍醐味なのですが、一つには企業のトップクラスの方々などと会って話をする機会が多くあることですね。もう一つは私の経験ですが、ものづくりの裏側を見せてもらうことが多いです。それこそ調味料から航空機まで。一般の社会人であれば、あまりそのような機会はないと思います。どのような専門分野であれ、好奇心旺盛でいろいろな人に会いたい、経験をしたいという人ならば、こんな魅力的な職業はないと思いますよ。

長谷川:法律は時代によっても刻々と変わるものですが、そういう意味では一生勉強が必要な職業でもありますよね?

山口弁護士:私の専門に関連することになるのですが、これから日本は労働人口が減少の一途を辿り、10〜20年後には今ある職業の約49%がAIに取って代わられるというデータもあります。その一方で、正社員になり定年まで勤め上げるという近代的な労働のロールモデルとは異なる新しい働き方をする人も増えています。たとえば、クラウドワーカーもその一つですね。しかし、現在のところクラウドワーカーを保護する明確な法律はありません。つまり日本型の雇用モデルが壊れつつある今、これまでの法理論が維持できるのか、という議論はすでに持ち上がっています。今後、労働法がどのような方向に進んでいくのかは、私自身も興味を持っているところです。

法科大学院での学びから司法試験突破までをいかに乗り越えたか

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山口弁護士:ところで、私の時代は回数無制限で司法試験が受けられたので、一生受け続けている人もいました。しかし、国としては思考が柔軟な若い人に法曹になってもらいたいという考えから、現在の制度になったのだと思います。とはいえ、司法試験が狭き門であることに変わりはないようですね。

小暮:現在の司法試験には、「法科大学院の修了から5年以内に5回まで」という受験制限があります。僕は今年3回目の司法試験で合格しましたが、長谷川さんは法科大学院を修了してストレートで合格されました。

山口弁護士:それはかなり優秀ですよ。法科大学院でもかなりハードに勉強されましたか?

長谷川:朝7時に法科大学院に着いて、出るのが夜11時。帰宅すると12時を回っているという2年間でした。週末は週末で、授業がない分、じっくり勉強できる貴重な時間でしたし、2年間遊んだ記憶はほとんどありません。クラス全員がそうだったので、環境的に遊びたいという思考にはならなかったですね。

小暮:僕も司法試験に合格するまでは、正月も実家に帰らずに勉強していました。

保科:話には聞いていましたが、やはりそれくらい打ち込まないと司法試験には合格できないのですね。

小暮:精神的にかなり辛かったこともあります。そんな中で大きな支えの一つになったのが、大学時代の友人たちでした。遊びの誘いも、勉強だからといつも断っていましたが、付き合いが悪いやつだと見放さずに「頑張れよ」とメールをくれるなど、本当に心の拠り所でしたね。しかも法科大学院に進んでからほとんど会ってないのに、司法試験に合格したときにはお祝いまでしてくれて。やっぱり大学時代の友人は一生モノだし、彼らが困ったときには弁護士として真っ先に駆けつけたい。それが司法試験に向かう原動力にもなっていました。

山口弁護士:長谷川さんも小暮さんもタフですね。でも、そうでなければ法曹は務まらない。風邪を引いても、すぐに裁判を休むわけにはいきませんからね。私の経験から言わせてもらえば、結局、この職業で最終的にモノをいうのは、精神と肉体のタフさですよ。みなさん、これからもがんばってくださいね。

小暮・保科・長谷川:はい、がんばります!

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山口弁護士東洋大学法学部卒業

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小暮さん東洋大学法学部卒業。学習院大学法科大学院修了。平成29年司法試験合格

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長谷川さん東洋大学法学部卒業。中央大学法科大学院修了。平成29年司法試験合格

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保科さん東洋大学法学部4年生。2018年4月より東北大学法科大学院へ進学予定

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