服、ファッション、モードというごく身近なものからフランスの歴史について考えてみます。「ファッション」は、フランス語で「モード」といい、フランスに対する特有のイメージとして定着しています。フランス絶対王政最盛期の国王ルイ14世時代の財務総監であったコルベールは、「重商主義」という商業中心の経済政策により、財政難の立て直しを図りました。コルベールはぜいたく品の生産を重視し、リヨンの絹織物業や北フランスのレース業といった国内産業を育成しました。そして、フランスの絹とレースを使った身なりがフランス宮廷の「ドレス・コード」となり、それらが「モード」と呼ばれるようになりました。つまり、ヴェルサイユのモードが、フランス産の絹織物とレースをヨーロッパ全体、世界に「フランスの美意識」として売り込んでいくためのものであり、「絶対王政」を「重商主義」という形で支えるためのものであったのです。18世紀に入り、パリに住む多くの人たちの間に綿織物という新素材が広がると、「モード」に新しい意味が加わり、「マス」が消費するものが「流行」になっていきます。こうしてフランスの「モード」は、ぜいたくを追求するコルベールの「重商主義」から始まり、「流行としてのモード」と、宮廷の儀礼「ドレス・コードとしてのモード」の両方を担い、現在に至るまで意識され続けているのです。現在では、産業面でのフランスの地位は低くなり、「モード」自体も多極化しています。今後もフランスが「モードの国」でいられるのかどうかを考えていきたいものです。

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角田 奈歩准教授経営学部 経営学科

  • 専門:ヨーロッパ史
  • 掲載内容は、取材当時のものです