明治時代、日本が西洋の哲学をどのように取り入れて自分のものにしていったのかを、いくつかの例を参考に考えてみます。
フィロソフィーを初めて「哲学」と訳した西周(あまね)は、哲学は「百教一致」の方法だと言い、人間を客観的に見るために重要なのは「物理」だと考えました。物理とは「自然」のことで、物理を追求して得た洞察を、心理の洞察に生かそうと試みました。なお、明治時代にnatureは「自然」と訳されましたが、自然という言葉はそれ以前から「おのずから」という読みで存在していました。これは「あるがままに」という意味です。
また、井上円了らと哲学を学んだ井上哲次郎は、著書『現象即実在論』で、「現象」の徹底的分析を通して「実在」の直観を目指しました。彼は「実在を問うことが哲学の目的である」と言っています。さらに、西田幾多郎は「自然は、自分たちもその内に生きている生きた全体である」として、「純粋経験論」を唱えました。
このように、明治時代は日本人が西洋的な「自然」という考え方に直面し、自分たちの在り方がどうあるべきかを模索を始めた時代だったのです。

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相楽 勉教授文学部 哲学科

  • 専門:現代ドイツ哲学、近代日本哲学 比較思想

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