2015年10月15日から12月17日まで、東洋大学白山キャンパス内の井上円了記念博物館で、企画展「ヨーロッパのメルヒェン世界―グリム童話と挿絵の黄金時代―」が開催されました。展示された約20点の挿絵は、企画・監修した大野寿子先生の収集と大学附属図書館所蔵のものです。グリム童話を中心としたグリム兄弟の業績について、文献学的立場から研究を続けている先生が、企画展の見どころからグリム童話の学び方、楽しみ方まで、その魅力を語ります。

企画展にみる挿絵の黄金時代

グリム童話は、2005年にユネスコ世界記憶遺産に登録されました。その第1巻初版刊行200年を記念した国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として―」を、東洋大学創立125周年記念行事の1つとして本学で開催したのが2012年のことです。グリム童話は、実は創作童話ではありません。グリム兄弟が収集した民間伝承です。「グリム童話は本当に童話なのか?古代研究者グリム兄弟の実像にせまる!」。このようなキャッチコピーを配した2012年のシンポジウムでは、グリム童話成立、グリム兄弟の思想、グリム童話のヨーロッパや日本への影響といった「200年の歩み」がテーマでしたが、一番関心を集めたのが、グリム童話の挿絵の歴史でした。

このとき、カッセル(ドイツ)のグリム兄弟博物館(2014年閉館)館長が持参してくださった、グリム関連の貴重書や挿絵を展示したところ、長蛇の列ができてしまいました。来場者アンケートにつづられた、「またこのような挿絵の展示を!期間ももっと長く!」という要望に、3年越しでお応えするかたちで、この企画展を約2カ月にわたって開催する運びとなったのです。今回は、「挿絵の果たす装飾と叙述の役割」にスポットを当て、ウォルター・クレイン、アーサー・ラッカム、エドマンド・デュラック、カイ・ニールセンという4人の挿絵画家による、グリム童話を中心とした絵本と挿絵を展示しました。彼らは、19世紀後半から20世紀初頭の「挿絵の黄金時代」に、ロンドンで活躍した人気挿絵作家です。アール・ヌーヴォーとアール・デコにちょうど挟まれたこの時代、出版技術の発達とともに、クリスマスプレゼントに豪華版ギフトブックを贈る文化が定着し、見応えのある挿絵が数多く生まれました。

芸術とは、絵画などの大きな作品だけではありません。小さな挿絵もまた1つの芸術であり、そこには小さくても深みのある「空想世界」という異界が広がっています。そんな100年くらい前の挿絵を見つめてみると、1つのお話にいろいろな画家が挿絵を描いており、当時の流行だったオリエンタリズムやジャポニズムなどの様子がよく見てとれます。「西洋のお話に東洋風の挿絵?」というように、テキストと挿絵の関係性だけでなく、それらが時代とも絡み合い影響し合っていく…という観点で見てみるのも、グリム童話の挿絵の楽しみ方の1つです。

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ウォルター・クレイン画「カエルの王(子)さま」等、1874-76年、個人蔵。

挿絵がなかったグリム童話初版

『グリム童話』の本当の名前は『子供と家庭のメルヒェン集』といい、もともとはドイツ語で書かれ、第1巻初版は1812年に、第2巻初版は1815年に出版されました。しかし、実はそこには、挿絵がまったく付いてはいなかったのです。
兄のヤーコプ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムは、司書を経て大学教授となり、文学、言語学、法学、歴史学、そして今でいう民俗学や文化学などを総合的かつ学際的に研究していました。多岐にわたる研究の中で彼らが追い求めたもの、それは、「ドイツ的なもの」と「いにしえのもの」を発掘し保存することでした。ナポレオン率いるフランス軍に占領され、神聖ローマ帝国が滅亡した時代です。国がなくなる…自分たちの国民意識やアイデンティティに、危機感を覚えたのかもしれません。

「メルヒェン」はもともとドイツ語からきたことばです。ここで、「メルヘン」ではなく「メルヒェン」とつづるのは、1.原語の発音により近い表記だから、2.「メルヘン」だと、ふわふわした乙女チックなイメージ等、日本人に独特なイメージが加わってしまうからです。ドイツ語のメルヒェンとは、もともとは短い報告といった意味で、しかも口承であって、文字に書かれたものではありませんでした。
母語によって、グリム兄弟にとってはドイツ語で、母から子へ、子から孫へとだんだんと語り継がれてきたメルヒェン。でも万が一、政治的につらい時代がやってきて、ドイツ語で話してはいけないなどという状況になったら、口承が途絶えたり、メルヒェンがありのままの姿をなくしてしまうのではないでしょうか。短くて取るに足らない些細なお話でも、子供の頃に誰もが耳にして、だから誰もが知っている。そんな「メルヒェンは民族の宝物なので、書き留めて後世に伝えたい」という兄弟の思いから、お話が集められ、『グリム童話』が生まれたのです。

口伝えであれば挿絵は不要です。各自が物語の光景を想像すればよいのです。しかもグリム兄弟は、言語学者でもあります。民間伝承という「ことばの連なり」のかけらを、記憶という地層から「発掘して修復して保存する」という、まるで考古学者のような作業をしているつもりのグリム兄弟には、最初は挿絵など必要なかったのです。第2巻(1819年)にようやく挿絵が添えられましたが、たったの1枚でした。ところが、グリム童話の外国語訳、特に英訳(1823年)で、有名な風刺画家クルックシャンクの挿絵がたくさん入り、それがよく売れたのです。そこでグリム兄弟も、メルヒェン50話をセレクトした「小さな版」に、一番下の弟で画家のルートヴィヒ・エミール・グリムの挿絵を7枚付けて、1825年に刊行しました。

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ルートヴィヒ・エミール・グリム画「いばら姫(=眠れる森の美女)」等、1825年、東洋大学附属図書館蔵。

グリム童話は、二人が生きている間に第7版(1857年)まで刊行されますが、版を重ねるたびに、特にヴィルヘルムが、改編と改作を行うようになります。語り継がれてきたお話の中には、もともとは大人向けのものもあったので、子供には不似合いな描写を手直ししたのです。たとえば、妊娠をにおわせるようなちょっとエロティックな描写や、残酷すぎる描写です。タイトルが『子供と家庭のメルヒェン集』ですから、もっともなことではありますが、お話のありのままの姿の保存という、元来の収集の目的とは矛盾します。とはいえここは、最初は分からなかった挿絵の価値をだんだん認めていったのと同様に、考え方が少しずつ変化していったと捉えるべきでしょう。しかし兄のヤーコプは、オリジナリティを極端に大切にする人でした。大切にするあまり、さまざまな国の資料を使って論文を書く際に、それらをあえてドイツ語に翻訳しなかったのです。数カ国語を自在に操るヤーコプの論文は、われわれのようなグリム研究者泣かせの論文となりました。このように、オリジナリティを大切にする兄と、必要に応じて変わっていくことも大切だと考える弟。当然議論もしたでしょうが、お互いがお互いの良き理解者であったといえましょう。

翻訳が、翻訳者による1つの解釈であるならば、挿絵もまた、画家による1つの解釈です。解釈はあくまでも解釈であってオリジナルではない。とすれば、グリム童話に挿絵が付くことは、オリジナリティ重視のヤーコプには、もしかしたらもっての外だったかもしれません。しかし、口頭伝承とは、まるで伝言ゲームのように、誤解や変化というプロセスを内包したものと考えるべきです。そして、そう変化することこそが自然なのです。とすれば、「テキストを描いてみたい」という欲求が自然なものである限り、挿絵が施されていくのもまた自然の流れといえるでしょう。物事の「自然の流れ」、これもまた、二人が重視したイメージです。ですから、一人の人間がつくった創作文学よりは、民の間に自然に伝わってきた伝承文学の大切さを伝えたかったのでしょうね。

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カイ・ニールセン画「バラのつぼみ(=眠れる森の美女)」、1925年、個人蔵。

グリム童話の学び方、楽しみ方

グリム童話が好きな学生には、「本当のグリム童話への扉を開きたかったら、ぜひドイツ語を学んでください」とよくいいます。日本語訳は、グリム童話への最初の入口にすぎません。すばらしい翻訳はたくさんありますが、翻訳はあくまでも1つの解釈です。さらに深く知りたいならば、オリジナルを自分で読んでいただきたいのです。たとえば、15番目のお話「ヘンゼルとグレーテル」の「お菓子の家」は、原語では「パンの家」なのです。ですから、ドイツの絵本ではこの家に、ドイツ人がよく食べる「ブレーツェル」という塩味のパンがほぼ必ず描き込まれます。一方、「お菓子の家」という和訳だけを読んで描かれた挿絵には、本当にスィーツな感じの家が多いのではないでしょうか。もちろん、それが悪いこととは思いません。きっと「自然の流れ」です。でも、本当の姿や真実を知ろうとするときに、他人の解釈に頼るだけではいけません。できれば本物に触れ、自分の目でその価値を確かめてほしい。だからこそ、原語ドイツ語に触れてみていただきたいのです。

また、グリム童話はよく残酷だといわれますが、その残酷の定義は一体何でしょう?グリム兄弟がカットした部分も確かにありますが、それでも、残酷だと思われる場面は残りました。でもなかには、しつけのため、約束を守らせるために、あえて残酷な罰を想定することもあるでしょう。「指切りげんまん」の「指切った」のように。ただし、実行してはいけません。あくまでも想定です。また、21世紀の日本人の考える残酷性と、『グリム童話』が世に出た19世紀ドイツにおける残酷性は、同じとは限りません。現代の「残酷」の定義をグリム童話に当てはめるのではなく、グリムの時代と文化をまず眺めてみてみる、つまり、「一度その時代背景や文化的背景に落とし込んでみる」という作業が必要です。これもまた、オリジナルに触れる作業です。グリムを研究するのなら、グリムに寄り添ってほしい。これが、グリム童話のもう1つの楽しみ方です。

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アーサー・ラッカム画「ヘンゼルとグレーテル」、1920年(1909年)、東洋大学附属図書館蔵。

とはいえ、「翻訳比較」という楽しみ方もあります。決定版第7版の完訳は複数出版されていますので、ゼミでは、それを一語ずつ表にして⽐較をすることがあります。たとえば、木にリンゴが実っている様子を、「リンゴがたわわに実った」と訳しているものと、「リンゴが鈴なりだった」と訳しているもの。どちらも間違いではありません。でもそのニュアンスの違いを調べていく。すると、「たわわ」だと実の重さが重視されおり、「鈴なり」だと「神楽鈴のようにたくさん」という意味で視覚が重視されていることに気付きます。こうして訳を相互比較しつつ、その翻訳者が表現したい世界観を鮮明にしていくという楽しみ方もあるのです。しかし、その訳が正しいのか正しくないのかは、やはり最後にドイツ語をみて判断することになりますね。

アニメ化されたり映画化されたりしたもの、つまりスピンオフとオリジナルとの比較もまた、オリジナルを知らないと、なかなかうまくはいきません。たとえば、グリム童話53番目のお話「白雪姫」で、姫は王子のキスでは目覚めないのをご存知ですか?12番目のお話「ラプンツェル」で塔の上に閉じ込められるのは、実の両親が彼女を手放す約束をしたからだということをご存知ですか?まだまだありますので、ぜひ自分で探してください。

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エドマンド・デュラック画「バドゥーラ姫」、1913年、個人蔵。

そしてもちろん挿絵も、グリム童話の楽しみの1つです。たとえば今回の展覧会の、1.日本の浮世絵の影響を受けているクレイン、2.森を好んで描き、妖精の無気味さとかわいさを繊細なタッチで描いたラッカム、3.ロココとアラビアンと日本の何ともいえないミックスが見てとれるデュラック、5.北欧テイストと中国テイストが混在しているニールセン。この四人の画家たちの、物語を叙述し装飾するだけでなく、それぞれが生きた時代の流行が透けて見えるような美しい挿絵たちに、癒された人も多かったと思います。
西洋におけるオリエンタリズムとは、いわば「仮想東洋」を描くことともいえます。そこには、たとえば浮世絵のような松の木の下に、ターバンを巻いたアラビアンな人物が描かれたり、中国風といいながら日本の畳や床の間のような空間が描かれたりといった「ちぐはぐ」も目立ちます。変だと思うかもしれませんが視点を変えてみると、たとえば現代の日本人が「シンデレラ」という「西洋」の挿絵を描くとき、女性の衣装はロココ、男性の衣装はヴィクトリア朝、建物はゴシックといった「ちぐはぐ」もまたあったりするのです。でもそれは批判すべき事柄ではありません。そこに溢れているのはきっと、挿絵画家のイメージした「仮想西洋」なのであり、そのような想像力こそが大切なのですから。

挿絵がいざなう物語の世界は、100%現実でも100%虚構でもなく、双方が微妙に入り混じっている世界なのです。現実と非現実が入り混じっているとは、メルヒェンの世界そのものにもいえることです。それらの「混ざり方」あるいは「ちぐはぐ」のバランスを見極め分析することは、「ちぐはぐ」をただ批判するよりも難しいかもしれませんが、数倍も楽しく、広い視野へと必ず導いてくれます。お話に出てくる小さな子供や名もない大人たちの「生きざま」を私たちに提示しつつ、しかも、豊かな想像力や柔軟な判断力の必要性も教えてくれる、これが『グリム童話』なのです。

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大野 寿子教授文学部 国際文化コミュニケーション学科

  • 専門:ドイツ文学文化、伝承文学、文化人類学・民俗学
  • 研究テーマ:グリム童話における「森」、「異界」、「魔女」など。グリム兄弟における自然、森と人間の文化史、伝承文学とエコロジー教育など。

  • 掲載内容は、取材当時のものです