古代、中近世、そして近代。現代日本からは想像もできないほど、不便で暮らしにくかった時代にも、人々は生きがいを見つけ、何かを遺している。歴史学とは、名もなき人々の積み重ねをひも解いていく学問だ。史学科の鈴木道也教授は、「歴史を学ぶことで、人とは何か、考えてほしい」と語る。

別世界をイメージする楽しさ

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もともと私は日本史が好きだったのですが、学生時代にヨーロッパを旅行し、古い建物や農村を見て、その美しさに魅力を感じました。この建物を建てた時代の人々は、どのような暮らしをしていたのだろう。美しい町や村では、もう何百年も連続して人々が暮らし続けてきたのだなと考えると、感動したものです。この地域の歴史をもっと研究したい、と思い、西洋中世史を専門に研究しています。

授業は、5世紀から15世紀にわたる、1000年間の中世ヨーロッパの歴史が担当です。ヨーロッパにはこの頃、現代の日本とはまったく別の社会がありました。歴史学は、現代に遺されている歴史的な手がかりを分析し、当時の社会や人々のくらしの様子を探って、自分なりに歴史像を組み立てる学問です。史料という根拠から、論理的に筋道を立てて説明していきます。しかし、中世ヨーロッパ社会の様子は現代社会とかけ離れ過ぎているので、まずはどんな社会だったのかイメージすることが大事だと思っています。授業では原典史料、建築物や芸術作品、音楽など当時が伝わるものを見せますので、五感をフルに活用して中世ヨーロッパを感じてください。

歴史学者の思いを感じる

授業とは別に、私が力を入れて研究しているのは、13世紀から14世紀のフランスです。世界のどの地域・どの時代でも、権力者は自分の政治を誇りたくて、学者に歴史の本を書かせることが多く、歴史学ではそういった歴史書を史料として読み解きます。当時の王朝でも『王の物語』という歴史書が書かれていて、私はこれを研究しています。

この時代はちょうど、読み書きに使う言葉が、古代から中世にかけて使われていたラテン語から、現代まで使われているフランス語に変わる時代でした。このため『王の物語』を書いたこの時代の学者たちは、それまでに書かれたラテン語の歴史書を、試行錯誤してフランス語に書き直しているのです。つまり、ラテン語で書かれていたそれ以前の歴史書と、『王の物語』を比較すると、歴史家たちが過去をどう受け止めていたのかわかります。彼らの悩みが伝わってきて、面白いものですよ。

全てのものに歴史がある

昔の歴史学者は「歴史を学ぶと未来が見える」と言いました。しかし、残念ながら未来を予測できた歴史学者は多くはありません。でも、歴史学を学ぶことの意味は、未来予測だけではないと、私は思っています。

すべてのものに歴史があり、人が関わっています。現代に比べれば、古代も中世も近世も、人々の寿命は短く、交通手段も悪く、生活に不便な時代でした。でも、人々はその時代なりに一生懸命工夫して楽しみ、何かを遺しています。歴史学の面白さは、それぞれの事件にどのような人々がどんな思いで関わってきたのかを研究し、関わりの様子をイメージしていくことです。パズルが完成すると、だからそういう結果になったのかと理解できます。

歴史をイメージすることを繰り返していくと、自然に「人とは何か」と考えるようになります。この「人」とは、歴史上の人物も、現代に生きる自分の周りの人も同じです。「名もなき人」こそ、歴史の主役です。「人とは何か」を考えると、人が好きになり、自分も他者も認めることができるようになります。それはこの先のみなさんの人生に必要な、大きな力になるはずです。

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鈴木道也教授文学部 史学科

  • 専門:西洋中世史

  • 掲載内容は、取材当時のものです