東洋大学は“知の拠点”として
地球社会の未来へ貢献します
東洋大学は“知の拠点”として地球社会の未来へ貢献します
2022.10.26発行
地震、台風、集中豪雨。自然の猛威に対して「一人の犠牲者も出さない」ようにするために行政から住民に発信される避難情報ですが、はたして今の在り方に問題はないのでしょうか。「避難情報廃止論」を唱える理工学部都市環境デザイン学科の及川康教授が、日本の防災の課題や展望について語ります。
確かに、住民側としては「行政から何らかの指示が出る」のは当たり前と考えるかもしれません。
その考え方が先生の唱える「避難情報廃止論」につながるのですね。
避難情報というのは、気象庁が観測データに基づいて出す防災気象情報と違い、行政の担当者が自ら判断して出すものです。ですから、その判断に空振りや見逃し等の誤りがあれば、住民やメディアからの非難は避けられません。結果、担当者はできるだけ機械的に避難情報を出し続けることになり、それがシステムの形骸化を招きます。行政と住民とが完全に分断されてお互いに主体性を持てなくなるくらいなら、避難情報などは廃止してしまった方がよいというのが「避難情報廃止論」です。「私たち(We)」で立ち向かうという姿勢以外に、防災に対してどんな意識が必要でしょうか。
「諦観」の概念も必要だと思います。諦観には「本質をはっきり見極めること」と「諦めること」という両方の意味があります。自然が引き起こす災害では想定外が起こりうるし、当然マニュアル通りにはいかないこともあるでしょう。そこで、問題の本質をはっきり見極めて最善策を模索すると同時に、それが絶対にうまくいくという保証はない、と無謬性への固執を諦める覚悟を持つという意味なのです。例えば、2016年公開の映画『シン・ゴジラ』では、災害に対する諦観の重要性を見事に表現しています。この映画では、ゴジラという想定外の生物に対してマニュアル通りの防災では対応できないことに気づき、「うまくいかないかもしれないが、できることをやるしかない」と考え、過去の経験を最大限に利用して未知なるものへ対応しようとする人々が描かれています。こうした姿勢は、今後の日本の防災においても重要であると考えるのです。「絶対に大丈夫」ということはないからこそ、一人ひとりが誰かに任せきりにしたり、依存したりせず、主体的な姿勢で全力を尽くす。その中でお互いが一体となり、「私たち(We)」という共通意識で、あらゆる災害に立ち向かっていけるのではないかと思うのです。
東洋大学理工学部都市環境デザイン学科教授/博士(工学)
2020年9月日本災害情報学会廣井賞(学術的功績分野)受賞
専門分野:災害社会工学、土木計画学
研究キーワード:災害情報、避難行動、意識調査分析
著書・論文等:避難情報廃止論とは何か[災害情報, No.19(1)]、「津波てんでんこ」の誤解と理解[土木学会論文集F6(安全問題), Vol.73, No.1]