第2回:「書」を「遺した」盲目の国学者・塙保己一
第2回目のWeb展示のテーマは「国学者・塙保己一」です。
塙保己一(1746-1821)は古代から近世末期まで、歴史・文学・宗教・言語・風俗・美術・音楽・遊芸・教育・道徳・法律・政治・経済・社会・その他各分野にわたる「書」を分類収録し、「群書類従」という形で出版し「遺した」江戸後期の学者です。
なぜ塙保己一は群書類従を出版し、「書」を「遺した」のでしょう?
それは「あちこちに散らばっている貴重な一巻、二巻といった書をまとめて、出版して遺しておけば、わが国について学ぶものに非常な助けになるに違いない」と保己一は考えたからです。
保己一は「群書類従」の編纂を志してから、幕府や大名・公家・寺院の援助を得て、全冊(666冊)の刊行を終えるまで、実に41年もの歳月を費やしました。後に続編続編(1,185冊)の編纂を子や孫が受け継ぎ、完全な刊行は保己一の死後90年が経ってから達成されました。ちなみに今年はちょうど、保己一の没後200年です。
なぜ「書」を「遺した」ことは、大事なこととされるのでしょうか?
一つの答えとして、「書」を後世に遺すのは「書と人とを結びつけることで、新たな創造に繋げることができる」という意義があると思います。
例えば江戸幕府には紅葉山文庫と呼ばれる、将軍が使う図書館がありました。
その紅葉山文庫を熱心に利用したのは、かの名将軍徳川吉宗と言われています。
吉宗は新たな施策を立てるため、多くの情報・知識が必要でした。そこで紅葉山文庫から先人の智慧が詰まっている「書」を取り寄せ、利用したのです。その「書」から得た知見により、吉宗は「享保の改革」と総称される数々の施策を打ち出していきました。
このように「書」と「人」が出会うことで、新たな創造が生まれ、引いては社会が良くなる可能性があると考えられるでしょう。
そんな群書類従を編纂した保己一を語る上で外せないこと。
それは彼が盲目だったことです。
彼は目が見えないので、周りにいる人から本を読んでもらい、その内容を完璧に暗記したと言われています。かのヘレン・ケラーが人生の目標にしたという逸話も残っています。
上の写真は、昭和12年にヘレン・ケラーが塙保己一の偉業顕彰を目的に設立された温故学会を訪問した様子を収めたものです。
今Web技術が発達し、群書類従は冊子からデータベース化し、便利に利用ができます。
もし保己一がデータベース版「群書類従」に触れたらどのような感想を持つのか…そんな想像をしながら、「書」を楽しんで頂ければ幸いです。
<塙保己一に関連する図書館資料>
■データベース
・群書類従(ジャパンナレッジLibから接続)
■図書
・塙保己一編『群書類従』続群書類従完成會 , 1959年-1960年
・太田善麿著,日本歴史学会編『塙保己一(人物叢書 / 日本歴史学会編137)』吉川弘文館, 1988年
・温故学会編『塙保己一論纂』錦正社, 1986年
・花井泰子著『眼聴耳視 塙保己一の生涯』柏プラーノ, 1996年
・中江義照著,温故学会編『塙保己一研究中江義照記念論文集 』温故学会 , 2004年
・ヘレン・ケラー [著] ,小倉慶郎訳『奇跡の人ヘレン・ケラー自伝』新潮社 , 2004年
・本庄市史編集室編『本庄市史 』本庄市 , 1976年
・おでかけNA埼玉制作班編『埼玉絶景散歩 : 里山の風景と恵みを楽しむ 』徳間書店 , 2019年
・高林正夫著『音でみる心も色も : 紅葉から慎太郎まで、作家が描いた視覚障害者像』本の泉社 , 2018年
・プリントアクセシビリティ研究会著『音声でも読める印刷物の作り方 : プリントアクセシビリティ・ガイドブック』プリントアクセシビリティ研究会 , 2010年
・石山洋, 鈴木瑞枝, 南啓治編『江戸文人辞典 : 国学者・漢学者・洋学者』東京堂出版 , 1996年
・川久保剛, 星山京子, 石川公彌子著『方法としての国学 : 江戸後期・近代・戦後』北樹出版 , 2016年
■新聞
・毎日新聞社点字毎日部『点字毎日』
■雑誌
・日本映画教育協会『視聴覚教育』
■電子ブック
・岡村敬二著『江戸の蔵書家たち (読みなおす日本史)』吉川弘文館,2017年
掲載日:2021年8月25日