2024年春、板倉キャンパスは朝霞キャンパスに移転し、新たな学びをスタートさせます。1997年開設からの27年を振り返りました。
来春、板倉キャンパスが朝霞キャンパス(埼玉県朝霞市)に移転することになりました。1997年の開設時からここで教えていた身としては感慨深いですね。
そうですね。私は他の研究機関にいましたが、生命科学部の初代学部長であった掘越弘毅先生のお声がけで、開設時に非常勤講師として関わったのが始まりでした。
国際地域学部と生命科学部の2学部で始まりました。1号館の3階は両学部の先生方の研究室が並んでいました。私のいた国際地域学部と違い、生命科学部の研究室は実験室なので換気扇が付いていて、夕刻になると食べ物を作るいい匂いがしてくるんですよ。こちらもふらっと訪ねたりして、理系と文系両学部の垣根を越えた交流もしばしばでした。
2009年に国際地域学部が白山に移転し、同時に生命科学部も植物学、極限環境微生物学、化学合成、薬学など、幅広い研究者により理学や農学などを包括した全く新しい学びの学部に発展しました。それにあわせて研究体制をより充実させようと5号館が造られました。今に続く生命科学部の研究体制はその頃に作られたんですね。
私はその後、生命科学部の学科だった食環境科学科が学部として設置された2013年に生命科学部に着任しました。その時には街並みも整い、キャンパスには先進の実験設備が揃った5号館も完成していました。
5号館は1階から3階まで学科によって青・緑・赤とフロアカラーを決めていて、きれいで分かりやすいですね。
2004年設置の植物機能研究センターは、農作物の品種改良などを研究し、その後、環境系の研究のセンターとしても使用されていました。生命科学の分野は植物、動物、生態系など非常に幅広いです。
動物を研究に扱うこともその頃からですね。
そうですね。動物飼育室では実験に使うマウスやラットを飼育しています。また、板倉キャンパスは分析機器が充実していて、研究者にとっても学生にとっても素晴らしい環境です。
図書館もキャンパス開設時から地域の皆さんが誰でも利用できる開かれた大学でした。
地域と共に歩んできたキャンパスですが、かつては沼だった土地で、杭もいっぱい入れて、建設当時は大変だったと聞いています。
当初は足元も悪くてね。正門からの道のブロックがでこぼこになったりして、懐かしい思い出です。
最初は建物が1・2号館と食堂、図書館、体育館だけでした。建物の周囲は歩きにくく、地盤沈下が落ち着くまで4年ほどかかりました。
私が着任した頃は、学生食堂前の池の辺りでバーベキューするのが研究室のお楽しみイベントでした。
附属牛久高校から寄贈された桜が100本あり、自然環境に恵まれ、気持ちいいキャンパスです。
野鳥も多く、先日は駐車場をキジが歩いていましたよ。
開設当時は小さかった木々も大きく育って、本当にこの街と環境に育まれてきたことを感じます。
時代に先駆けて新しい分野を切り拓いた場所ですね。また近隣の企業の皆様にもお世話になりました。農地もあり、食品工場も多く、食環境の研究には実に良い環境でした。
キャンパスに通う学生たちは立地の面で苦労もあったかもしれません。ですが、遠くからでも通って実験を繰り返し、研究をまとめるというのは強烈に印象に残る4年間だったと思います。それは学生の自信にも繋がるのではないでしょうか。
板倉キャンパスの卒業生は多士済々で、国内外のさまざまな分野で活躍しています。このキャンパスで教員をして本当に良かった。キャンパスはなくなっても、板倉で学んだ記憶が卒業生の皆さんに残り続けるとうれしいですね。
朝霞キャンパスへの移転により、食環境科学部は今の2学科から3学科になり、新たに周囲の大学や研究所、企業との共同研究も展開できると考えています。
生命科学部は、川越キャンパスから移る生体医工学科と、動物と環境に着目する生命科学科、植物や微生物を扱う生物資源学科の3学科体制になります。移転後は、食環境科学部とともに改組により、生命(いのち)と食に関する総合的な教育研究拠点を展開できるので、今から楽しみです。
板倉キャンパスでは、皆でとても長い時間を過ごしました。地域の方々には心から感謝の想いをお伝えしたいです。そして、ここで学んだ卒業生の方々には、大切な思い出として深く心に刻んでいただきたいですね。