2024年新春に開催される第100回東京箱根間往復大学駅伝競走。
この記念すべき大会に本学は82度目の出場をします。学生時代に3度箱根駅伝に出場した酒井俊幸監督と、初の総合優勝の際に5区を走り「山の神」と称された柏原竜二さんが、箱根駅伝への想いを語り合いました。
福島県出身。1年生の時、第85回箱根駅伝の5区で区間記録を更新し初の総合優勝に導く。以後4年連続で5区区間賞を獲り「山の神」と称された。卒業後は、富士通陸上競技部で活躍。現役引退後は同社企業スポーツ推進室でスポーツ振興に努める。
福島県出身。1年生から3年連続で箱根駅伝に出場し、4年生ではキャプテンを務める。現・コニカミノルタで2001年から全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)3連覇を経験。現役引退後は母校の高校で教鞭を執り、2009年より現職。
2024年新春に開催される第100回東京箱根間往復大学駅伝競走。
この記念すべき大会に本学は82度目の出場をします。学生時代に3度箱根駅伝に出場した酒井俊幸監督と、初の総合優勝の際に5区を走り「山の神」と称された柏原竜二さんが、箱根駅伝への想いを語り合いました。
柏原は元気に活躍しているようですね。しばらくぶりの東洋大学はどうですか?
寮もグラウンドも本当にきれいに整っていて、僕たちの頃とはずいぶん違いますね。
来年は箱根駅伝第100回大会になりますが、監督ご自身も在学中に箱根に出場されて。そもそもなぜ東洋大学に進学されたのですか?
高校時代の先輩が東洋大学で箱根を走っていました。他にも選手がいないかと当時の監督が高校にスカウトに来たのがきっかけです。
初めての箱根はどうでした?
「これが箱根なんだ」という感覚。今のような情報はないから、先輩の話を真剣に聞いてイメージを膨らませていました。それはそれで面白味があったと思いますね。1年生から出場していましたが、僕は貧血に悩まされ怪我も多く、全て区間2桁の順位でした。4年生の時はキャプテンとして10区を走る予定だったのが、万全の状態ではないからと起用されませんでした。当時はキャプテンは出場できないというジンクスもありました。
監督に就任されて箱根2連覇達成の時、泣いていましたよね? ご自身の学生時代からの想いがあったのでしょうか?
そうかもしれない(笑)。
酒井監督との出会いは、高校2年で参加した陸上部の合宿です。当時、監督は高校の教員をしながらご自身でも走っていましたね。
福島県高校強化合宿ですね。僕が教員になって1年目の時でした。
めちゃくちゃハードな練習内容でした。桧原湖一周30㎞とか。でも当時の酒井監督は、3分で1000mを10本、ラストには2分50秒ほどで走っていて。「すごい先生がいるな」と思っていました。
柏原が歯を食いしばって走る姿をよく覚えています。翌年、僕が選手として出場していた都道府県対抗駅伝では、柏原は福島県代表に選出されましたが、貧血のため補欠になってしまった。その時に進路や貧血対策の相談がありました。
当時はヘモグロビン値がかなり低くて。アドバイスをいただいて、対策のために嫌いなレバーや魚など鉄分の多い食品をひたすら食べたらタイムも上がりました。
柏原が高校3年の7月、福島県陸上選手権で一緒に走りましたね。1日目の5000mでは僕が勝ったけど、翌日の1万mでは負けました。
5000mのラストスパートで負けたのがすごく悔しくて、もう一度やらせてほしいと言って1万mに出ました。それまで僕は2位3位でもいいと思っていたんです。でも、あの時に「勝ちたい。引き離したい」という欲が出ました。
あの試合がきっかけになって現役引退を決めました。その時まだ東洋大学の次年度選手スカウトが続いていたので、すぐに担当コーチに連絡。コーチが柏原を訪ね、東洋大学への進学が決まりました。
さらに85回箱根駅伝に東洋大学の出場が決まり、1年生の柏原が5区を走ると聞いて、家族で応援に行きました。5区を希望したのはどうしてですか?
81回の箱根から3年連続して順天堂大学で5区を走り「山の神」と言われた福島県出身の大先輩である今井正人さんが、5区はやりがいのある区間だとおっしゃっていたのと、僕が走った福島県高校駅伝の1区が箱根5区以上の傾斜だったからです。
そう、あの区間は大変な坂です。そこでも柏原は区間1位を獲っているから。初めて箱根の5区を走っている時は何を考えていましたか?
もう、うれしいしかなかったですね。とにかく気持ちよくて、ずっとニコニコしていましたね。翌日は歩けなかったですけれど。
歩けなくなるほど力の全てを出し切れるのが柏原なんだよね。そうして、東洋大学は初の総合優勝を果たした。素晴らしかったよ。
そして翌年、僕が2年生の時、酒井監督が就任されました。
これは考えてもいなかったことでした。前任監督の退任が決まり声が掛かったのですが、勤めていた高校の陸上部で新たな取り組みをしていたところで、ずいぶんと悩みました。でも、自分が現役だった頃に苦労し、その後に得た知見を母校のために役立てたいと決心しました。それは初の総合優勝の後。あの頃、柏原はどんな気持ちでしたか?
次からは優勝したチームを率いなければという想いでしたね。
就任した年の86回は総合1位で2連覇を果たしましたが、87回では早稲田大学に負けて2位になった。
早稲田は速かった。でも勝てなかった理由はそれだけじゃないですね。
優勝した早稲田とは21秒の僅差。そこから、チーム全員が関わり、一人一人があらゆる努力と工夫を惜しまずにトップを目指す“その1秒をけずりだせ”というスローガンが生まれました。
そして4年ではキャプテンをやれと言われて。僕は嫌だと言ったんですよ。苦手なコミュニケーションや調整は他のメンバーに任せて、僕は監督に話をもっていくだけの歴代一何もしないキャプテンでした。
人にやってもらうのがいいキャプテンなんです。皆がそれぞれの役回りを担うことが“1秒をけずりだす”ことになる。
87回で負けた経験が、改革のチャンスになりました。出雲、全日本、箱根の3冠を目指そうと、皆の気持ちが高まっていった。
3冠達成こそ成りませんでしたが、翌年の箱根駅伝では再び総合優勝を果たすことができました。
チームを背負うキャプテンはプレッシャーも大きい。でも柏原は気持ちが強いから。4年連続の区間賞も獲り、さすがの走り。キャプテンが走れないというジンクスも終わらせることができました。
今は僕たちの時代よりも、食事やトレーニングがより効果的なものになっていて、その成果も表れている感じですね。
データに向き合って自己分析することで、走りのパフォーマンスの対策もできる時代です。あとは大事なのが個々人の闘争心ですね。感情が強く動くと表情も変わる。駅伝はチーム競技だから、常に想いを伝え合える関係を築くことも必要。柏原が昔言っていた“友達ではなく仲間”という言葉はとても良い表現でした。
来年の箱根駅伝は、東洋大学としては何度目の参加ですか?
82度目ですね。100回全部参加している大学はおそらくないと思いますよ。今年の99回は10位。なんとかシード権を獲得したので、何としても盛り返したい。今は優勝を目指せるチーム作りに力を注いでいます。我々の象徴である鉄紺の襷を繋ぎ、怯まず前へと走る姿がテレビに映り、観てくれる皆さんが元気になれる。そんな箱根駅伝にしたいですね。
楽しみですね。
目標は箱根駅伝だけではありません。陸上競技部は、常に世界への挑戦を視野に入れています。日本代表を目指して、五輪や国際大会で金メダルを獲ろうという想いに向けて日々練習しています。
部員たちには、闘争心を剥き出しにして自分の走りを貫き通してほしいですね。それができた先に結果がついてくるのですから。後輩たちの活躍を期待しています。
パリ2024五輪マラソン日本代表選手選考競技会として2023年10月15日(日)に開催される、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)に東洋大学卒業のアスリートが多数出場の権利を獲得。ご声援よろしくお願いします。
経済学部経済学科
2012年卒業
マツダ所属
理工学部機械工学科
2014年卒業
三菱重工所属
経済学部経済学科
2015年卒業
HONDA所属
経済学部経済学科
2015年卒業
ヤクルト所属
食環境科学部健康栄養学科
2017年卒業
積水化学所属
総合情報学部総合情報学科
2021年卒業
トヨタ自動車所属
経済学部経済学科
2023年卒業
コニカミノルタ所属