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Special interview プロボクサー ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト 村田諒太

努力したプロセスを胸に

Ryota Murata 村田諒太

Profile
経営学部経営学科 2008年卒業

奈良県出身。高校時代に主要大会すべてのタイトルを獲得し、東洋大学に進学。卒業後は東洋大学職員として勤務し、2012年のロンドンオリンピックで金メダルを獲得。プロ転向後は、WBA世界ミドル級王座を2度獲得。名実ともに日本を代表するプロボクサーとなる。

Special interview プロボクサー ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト 村田諒太

力を発揮できるのは
自分で決めたことだから

ボクシングとの出会い

村田選手は中学時代にボクシングと出会い、オリンピック金メダリスト、プロボクシングの世界チャンピオンになりました。ボクシングを始める前はどんな少年でしたか?

やんちゃと言われれば、やんちゃな少年だったんでしょうね。エネルギーを持て余していたことは間違いない。でも、中学校の先生には「エネルギーの使い道がわかっていないだけで、うまく方向が定まれば大丈夫」と思われていたようです。学校でおとなしくすることができないときに出会ったのがボクシングでした。
中学1年生でボクシングを体験したんですが、2週間くらいで逃げ出しました。カッコいいイメージがあったのに、やることは泥臭くて、あまりにもしんどくて……。2年生の夏休みにもう一度習いに行きましたが、そのときは足の故障のために続けられなくなったんです。でも、本気で打ち込めるものがほしいと思ったときに頭に浮かんだのは、やはりボクシングでした。中学3年生のときがリスタートですね。
振り返ってみると、あのときに自分で決めたこと―セルフデタミネーションが大事だったんだなと思います。自分で決めたことだったら、すごい力を発揮できますから。

心が折れた世界での惨敗

南京都高校(現・京都廣学館高校)で、のちにオリンピック金メダリストになるための基礎を固めました。

自分で「やる!」と決めてもどうしても逃げ出したくなるときがありました。それでも、恩師の武元前川先生との出会いがあり、本気でボクシングに打ち込むことができました。
東洋大学ボクシング部に入ったあと、国際大会で勝つことを目指しましたが、国内と国際大会ではまったくレベルが違いましたね。大会では1回勝っても、次の試合で負けるという感じで。全日本選手権で優勝しましたが、活躍したとはいえない成績でした。2006年のアジア大会に、自分では万全で臨めたと思いましたが、アテネオリンピック(2004年)の金メダリストにボコボコにされて心が折れ、「俺は世界では勝てないんだ」というマインドになってしまいました。
それ以降、なかなかボクシングに対して本気になれなくて。今思えば、そんな人間に運はついてきませんよね。2008年の北京オリンピックに出ることはできませんでした。
東洋大学在学中は、屈辱的なものばかりを抱えていました。ここまでは通用するけど、その先は無理。自分の弱さを知った4年間でした。それが2012年ロンドンオリンピックで活きるわけですけど、当時はそう思えなかった。
大学は4年間しかなくて、その期間で完結するかというとそんなことはありません。まだ種をまいて水をあげている段階で、芽も出ていない。そんな自分のことを卑下することはない。もちろん、そのときに集中しなくちゃいけないんですけど、焦らなくてもいい。置かれた状況で答えを求め続けることは大事なんですけどね。
今に一生懸命に向き合って、挫折したりつまずいたりしながら、ふっと過去を振り返ったときに「あのときのことはムダじゃなかったんだ」「今に繋がっているな」と気づくものだと思います。

ダメな自分に向き合い
スランプから脱却

村田諒太

自分には何かが足りない

一度現役を引退して、東洋大学の職員として働きました。だけど、パソコンも満足に打てないし、仕事らしいことは何もできない。自分のアイデンティティを失ったような気がしました。それでも、自分の中に「特別でいたい」という想いがあって…2009年に現役に復帰して全日本選手権で優勝しました。そのとき、自分の中にくすぶっていた「オリンピックに出たい」という想いが大きくなりました。
大学職員として学生と接するのは面白いし、新しいスキルが身につく。だけど、何かが足りない。自分のためにオリンピックに出ようと思いました。
東洋大学の職員として働きながら、ボクシングに打ち込む日々が始まり、自分なりに努力をしましたね。仕事をフルにしたあとで練習をしていたので、時間的にも肉体的にも厳しかった。だから、いろいろと工夫をしながらやっていました。23歳だからできたことですね。あの生活を36歳の今、「やってみろ」と言われたら断りますよ(笑)。
2011年の世界選手権で準優勝したんですが、かなりの接戦だったので「ロンドンオリンピックでは金メダルだな」と思いました。そこしか見ていなかったですね。

村田さんは2012年のロンドンオリンピックで金メダルを獲得しました。日本人がミドル級で頂点に立ったのは48年ぶりの快挙でした。

オリンピックでのパフォーマンス自体はよくなかったのですが、それでも金メダルを獲ることができました。そのとき、世間の評価と自分の評価とのギャップを感じました。毎日のようにメディアに出たことで勘違いもしたし、「俺、そんなにたいしたことないんだけどなあ……」と感じながら日々を過ごしていました。
自分の中では「0点の金メダル」という評価でした。だから、「すごい村田でいなければ」「でも、そんなすごい人間じゃない」。そんな葛藤がありましたね。
2013年にプロに転向したあと、はじめは思うような試合ができず、苦しみました。そんなとき行ったのは、ダメな自分を見つめること。嫌でしたけど、ダメな試合をちゃんと見て、ダメな自分に向き合って……ダメなところが見えたときが成長するチャンスなんだと思いました。もう1つは、別の視点から見ること。この2つによって、スランプから抜け出すことができたのです。

プロで世界王者を目指して

アッサン・エンダムとの再戦
2017年10月22日、両国国技館で行われたアッサン・エンダムとの再戦。7回終了後にTKO勝ちをおさめ、日本人としては22年ぶり2人目の世界ミドル級王者に輝いた。

写真:山口裕朗/アフロ

プロでも世界一になれると思ったのは、初めて世界タイトルマッチに挑んで、微妙な判定で敗れたときですね。結果としては負けになったわけですが、あの試合で「通用するんだな」と教えてもらった気がします。「俺は世界を獲れる選手なんだ」と思いました。
5ヶ月後、アッサン・エンダムとの再戦に勝利して、世界チャンピオンになることができました。でも、その試合のパフォーマンスがよくなくて、「結果はよかったけど、内容がなあ……」という感じ。
そのあと、2度目の防衛戦で負けてから、「何がダメなのか」を追求するようになり、ロブ・ブラントとの再戦では完全な状態で試合に臨むことができました。「絶対に勝つ」と周りに宣言してリングに上がり、再び、世界チャンピオンに返り咲くことができました。
2019年12月に初防衛戦で勝利したあと、新型コロナウイルスの感染拡大によって、2年4ヶ月も試合をすることができませんでした。勝ったり負けたりという経験はプロの選手なら誰でもしていること。でも、試合の開催が決まって中止になってということを9回も繰り返した人はいないんじゃないでしょうか。精神的にキツかったけど、しんどい時期に耐える経験ができて本当によかったと思います。

村田諒太

苦しい時期を経験することは
勝ち負けよりも大切

必然的に、自分と向き合う時間になりましたね。自分のダメなところ、汚いところ、いろいろな部分が見えました。もちろん、いいところにも気づきました。さまざまなものが見えた2年4ヶ月でした。
思い通りにいかなくて、苦しい時期はある。誰もそれを望んではいないけど、経験しておけば、いつか「やっておいてよかった」と思うはずです。勝つ・負けるよりも大事なことでした。「俺って、こんなに耐久力があったんだ」という発見がありました。皆さんにも、自分がしんどいときこそ大切なんだと思ってほしいですね。

アッサン・エンダムとの再戦
2022年4月9日、さいたまスーパーアリーナで行われた、ゲンナジー・ゴロフキンとの世界王座統一戦。TKO負けを喫するも、2人の戦いに約15,000人の観衆、そして世界が酔いしれた。

写真:森田直樹/アフロスポーツ

2022年4月、ゲンナジー・ゴロフキン選手との世界王座統一戦。村田選手が積極的に攻めたものの、9回TKO負け。世界のベルトを失いました。

試合の映像は見ていません。自分が倒れたところだけですね。たしかに、序盤はいい感じで戦えましたし、相手にダメージを与えているという手応えもありました。でも、ゴロフキンは僕の得意な距離をつかんでから、戦い方を変えてきました。それに対応することができなくて……総合力という部分で相手が一枚上だったことは認めざるをえません。「ああ、負けた」と思いました。

頑張るための方法

ボクシング人生を振り返って、何を思いますか?

自分の経験上、努力して、努力して、努力して、そのうえで結果が出たときに自信になる。僕にとっては、2011年世界選手権の銀メダルがそれでした。それが、オリンピックの金メダル、プロでも世界タイトル獲得に繋がりました。でも、努力しても、いい結果が出るとは限らない。だから、怖いですよね。
僕は、努力に対して、2つの判断基準を設けたほうがいいと考えるようになりました。1つは「その結果に満足していますか?」、もう1つが「自分がやってきたことに満足していますか?」。
もちろん、結果は大切ですが、同じように、プロセスも大切ですよね。2つの問いをもっておけば、きっと大丈夫。あきらめることなく、あなたがやりたいことに向かって頑張ることができるはずです。

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