About Toyo University Professor’s Scoop 健康スポーツ科学部 健康スポーツ科学科 准教授 竹村 瑞穂
Professor’s Scoop 竹村 瑞穂 准教授
学問の領域は、広く深く日々進化しています。本学の教育・研究を担う教員の目に、世界はどのように映るのか。
スポーツを哲学や倫理学の視点から掘り下げて研究をされている、健康スポーツ科学部の竹村 瑞穂准教授に、スポーツにまつわる研究と物事の本質を捉えるための哲学的思考について伺いました。
健康スポーツ科学部 健康スポーツ科学科 准教授
竹村 瑞穂
Profile
博士(体育科学)。スポーツ哲学を専門に、柔道や車椅子バスケのコンプライアンス委員会、日本アンチ・ドーピング機構、浦和レッズ第三者委員会の委員などを歴任。2023年4月より本学に着任。専門分野は、スポーツ哲学・スポーツ倫理学。
スポーツを読み解くために「考える」。
私の専門分野は、スポーツ哲学とスポーツ倫理学です。スポーツ哲学は「スポーツとは何か」という本質を掘り下げる原理的な学問で、スポーツ倫理学は現代社会においてスポーツ界が抱えている問題に目を向けて、倫理的に価値判断をする学問です。その中でも特に、ドーピングを禁止する根拠の是非について取り組んできました。私自身はカントの実践哲学を学び、スポーツをしている人間の身体の自由や所有の問題について論じたうえで、ドーピングが禁止される根拠はどこにあるのかを考察してきました。そこから研究対象が広がり、現在はスポーツにおける暴力的指導問題や遺伝子ドーピング、性差やジェンダーまで幅広く扱っています。
遺伝子やジェンダーを取り巻く課題は、テクノロジーが高度に進化したことで顕在化してきた難しいテーマです。スポーツは競技力そのものに高い公平性が求められるからこそ、時に人権や権利といった価値と衝突してしまうことがあります。起きた事象に対して個別に対応していくこと、競技スポーツとしての枠組み自体を考え直すこと。この2 つの視点から捉えて、哲学・倫理学がどのように貢献できるのかを日々考えています。
将来に向けて望ましいスポーツの形とは?
スポーツ哲学・スポーツ倫理学は、「スポーツ社会における正義」の問題と真正面から向き合うアプローチを取ります。スポーツという文化を、今から30年後に主役となる将来世代にどのような形で引き継いでいくのか。そういう視点から各々が「望ましいスポーツ」の形を考え、理想の形として世に向けて発信し、現状、問題が生じているルールや規制を変えていきます。
とりわけ、私は、スポーツをする主体は「人間」であることに軸を置いて研究しています。スポーツはロボットやAI が行うわけではなく、人々が生活を豊かにするために存在する文化です。人間の幸福と矛盾するルールがあった場合は、ルールや枠組み自体を問い直す必要があります。行き過ぎた勝利至上主義やより優れた記録を追い求める進歩主義は、時に暴力的な指導やドーピング違反につながる恐れがあります。人間の身体には限界があり、100mを7 秒で走ることは不可能です。それでも人間の欲望は無限にあって、記録をさらに超えていきたいという想いは、時には人生を豊かにするスポーツとはかけ離れたものになってしまいます。スポーツをすることの意義や価値を深く問いかけていく中で、最終的には制度について考えることに結びついていくのです。
絶対的正義はなくとも、思考を止めない。
私たちが倫理的判断を下すときに大切なのは、直観だけではなく論理的な推論も必要だと認識することです。直観を脇に置き道徳的に推論することで、客観性のある結論を検討できるようになる。それこそが物事を本質的に捉える哲学的な思考だと思います。ある立場に立って結論を提示すれば、異なる立場から批判されることもあります。しかし、一人ひとりが妥当と思われる根拠をもち、論理性がある結論を提示することで議論は深化します。
この世の中で、人それぞれ多様な価値観があることは当然です。例えば、競技スポーツにおける「身体の自然性」をどう捉えるのか。ドーピング問題では「薬を服用しない自然な身体」が求められる一方、性分化疾患を抱える女性アスリートが「男性ホルモンを薬で基準値まで下げないと競技に参加できない」と判断されている現実があります。ダブルスタンダードでありながらも最大多数の幸福や利益を考えると、マイノリティの犠牲を許容してしまう。長い目でスポーツ文化を考えたときに、本当にそれで良いのかという疑問も生じます。数学のように答えが一つではなく絶対的正義は存在しなくとも「答えがないわけではない」と念頭に置いて、思考を止めないことが重要だと思います。
「考えること」に時間を使う大切さ。
物事を哲学的に思考する際は自己と対話する時間が必要ですが、現代では触れられる情報が多すぎるがゆえに、一瞬で情報を大量に吸収して消費するようになりつつあります。日々目に触れるニュースなどをゆっくりと時間をかけて考えることが、すごく贅沢なことになっているのかもしれないと危機感をもっています。こうした時間が少なくなると思考が奪われ、全員が同じ考えに流されて自立性がなくなってしまいます。何かひとつの出来事を直観や感情だけで判断せず、何が起きているのかその背景をよく理解し多角的に物事を捉え、 「自分が思う望ましい何か」を少し時間をかけて考えてほしいです。本学には14 の学部があり、多様な価値観をもった人が集まっています。自分とは正反対だと感じる人とも関わりをもって、自分の常識を覆していきながら価値観を相対化していってください。
今後は、今まで取り組んできた理論研究を現場に還元するための実践研究にも励みたいと考えています。これまでさまざまな競技のコンプライアンス委員会などに参加してきましたが、スポーツによって苦しめられている子どもは驚くほど多いのです。そんな子どもたちを1人でも減らせるような仕組みやルール作りに貢献していきたいですね。