About Toyo University パリ大会メダリスト対談 鏡 優翔×松下 知之

“パリ大会を振り返って” メダリスト特別対談

パリオリンピックでメダリストとなった鏡優翔選手と松下知之選手のお二人に、大会を振り返っていただきました。

鏡優翔
総合情報学研究科総合情報学専攻 博士前期課程 1年
サントリービバレッジソリューション株式会社 所属
中学3年生でJOCエリートアカデミーに入校。国際大会で輝かしい戦績をおさめる。本学社会学部在学中の世界選手権2023 女子最重量級にて、日本人として20 年ぶりの優勝を果たす。2024年、大学院へ進学し、パリオリンピックレスリング女子76kg 級で日本初の金メダルを獲得。

松下知之
国際観光学部国際観光学科 1年

豊富なスタミナを活かした積極的な泳ぎとレース終盤での粘り強さを武器に世界ジュニア選手権などの国際舞台で、個人メドレー競技における結果を残す。本学入学前の2024年3月に日本代表に選出され、パリオリンピック男子400m個人メドレーでは自己ベストを大幅に更新し、銀メダルを獲得。

つらく厳しい練習や経験が、揺るぎない自信を持たせてくれた。

松下

私はパリオリンピックに向けて5月中旬から渡欧して準備を進めてきました。気候や食事などの環境に慣れながら、欧州グランプリ3 連戦に出場し、実戦の中で今の自分に何が足りていないかを確認したり…。その後、約1ヶ月スペインで高地合宿を行って最後の追い込みをかけました。ヨーロッパでの準備期間が長かったので、選手村に入ったときはいよいよ本番が始まるんだという感覚が芽生えましたね。鏡さんはいつパリに入られたんですか?

私は試合の4日前に選手村に入りました。自分の性格上、普通に過ごしているとずっと緊張で張り詰めてしまうと思ったので、あえておちゃらけていましたね(笑)。大会マスコットの帽子を被ってオリンピックのサングラスをかけて、他の選手の応援に行ったり。

松下 

私も他の選手の試合を応援したり会場の雰囲気を純粋に楽しみました。

 

小学生の頃から憧れていた舞台に立つために厳しいトレーニングやつらい経験をたくさんしてきたので、どうしても緊張してしまうこともありました。ただ、この緊張は今ここにいる人にしか味わえないものだと思えた瞬間に喜びに変わって… 。

松下

自分も小学生から夢見た場所でした。スイマーにとって最高峰の戦いに出られるというだけでも嬉しかったんですが、最大限の努力を積んで臨んだ方が絶対に楽しいと感じていて、最後まで妥協せずに本番を迎えたいという想いがずっとありました。

オリンピック出場までの道のりを思い返すと、代表選考の予選中に大きな怪我や手術をして、レスリングが思うようにできない期間がとにかく苦しくて。でも体づくりとリハビリで心肺機能だけは落ちないようにして他の強化に取り組んだり、その度にいろいろと乗り越えてきたなと思います。

松下

やはり精神的なつらさはありました。特に高地でのトレーニングでは肉体的なきつさに加えまだ周りに仲間も少なくて、毎日が己との戦いでした。あまりにもつらすぎて、休もうかと思う日もあったくらいです。

この大会が終わればもう二度とこんなきつい練習はできない。そう思えるくらいに追い込めたからこそ、絶対に金メダルを獲れるという自信しかなかったです。

松下

私も直前の3ヶ月間、本当に良い練習ができたという自負がありましたし、その成果を出せれば必ず自己ベストを更新できると思っていました。

楽しんだ人が勝つ。世界最高峰の舞台で歓喜が訪れた瞬間。

レスリング女子の解説をされていた登坂絵莉さんには「オリンピックを自分で作らないで」と伝えられたんです。それは、登坂さん自身も吉田沙保里さんから伝授された言葉で、オリンピックを大きな舞台として捉えすぎると、プレッシャーが増してしまうから、いつも通りにね、と。観客や歓声は格段に多くても、戦う舞台はいつもと変わらないマットの上ですからね。

松下

なるほど。私は、本学卒業生でもある大橋悠依選手にとても支えていただきました。前回の東京大会での経験談として、どんな気持ちで試合に臨んでいたのか、その準備の過程など3ヶ月を通して教えてくださって。「何が起きるか分からないから、ライバルを意識しすぎず自分のレースを大事に」と伝えられたおかげで、目の前のレースに自然と入ることができました。

私は大会最終日に自分の試合があったので、他の階級の結果がすでに出ていた状態でした。望んでいた結果を出せた人、悔しい思いをした人、各々がどんな状態だったのかを共有してもらい、自分自身のメンタルコントロールの参考にしていました。仲の良い男子選手に話を聞いてみたんですが、共通していたのは「大舞台が楽しい」「楽しんだもの勝ち」という言葉でした。

松下

会場入りすると、まず歓声の大きさに驚きましたね。同じ種目で金メダルを獲った地元フランスの選手がいたので、地響きのような大きな歓声が巻き起こっていて、試合前に初めて武者震いを経験しました。ただ、最初の予選ですごく良い手応えがあったので、肩の力も抜けて緊張が一気にほぐれてリラックスできましたね。決勝前もただただ楽しみでした。実際に、決勝のレースも周囲とのペースを合わせながら冷静に展開を見ることができましたし、そこから自分の得意な後半勝負に持ち込めました。

私も普段通りに試合ができたと思います。独特の緊張感はありましたが、決勝の入場前に隣にいた前田翔吾コーチの方が私よりも緊張していて、それに気づくくらい周りを見る余裕がありました。でも、いざ金メダルが決まったという瞬間、実は困惑してたんです。人生をかけた目標をこの瞬間、ついに掴みとったという実感はなくて。それからモニターを見たり、コーチや応援してくれていた方々もみんな泣いて喜んでいるのが見えて、私、勝ったんだなと。そして本能の赴くままコーチとウイニングランをしました。私はそんな感じだったんですが、メダルが決まった瞬間どうでした?

松下

私はレース中はメダルに届くかギリギリの勝負だと自分でもわかっていました。だから銀メダルだとわかったときには本当にすごく嬉しかったですし、なにより3ヶ月の努力が報われて良かったと安堵したのを覚えています。やってきたことが必ず報われる世界ではありませんが、信じて努力すれば良い結果がついてくるんだと思えました。

パリオリンピックを終えた今、メダリストが次に目指すもの。

松下

オリンピックでの決勝レースでの自身の出来は、技術的にはまだ7 ~ 8 割だと思っています。世界のトップ選手とは少し差があると感じていますが、まだまだ自分も成長途中にあるので、もっといろんな舞台で勝負したいです。また、メダリストになったことで「負けられない」という気持ちも強く出てきました。これからまた1年1年を大切に過ごし、自己ベストを更新していきたいですね。そうしたら4年後、絶対にトップ選手を追い抜けるだろうと思います。

今まで、夢と目標は分けて考えてきました。たとえば、夢はプロ野球の始球式に出たいとか叶えばいいなと思うこと。目標は「達成するもの」です。オリンピックで金メダルを獲ることは人生の目標であり、達成した結果、テレビ番組や始球式にも呼んでいただいて、夢まで叶い始めました。「オリンピックで金」という大きな目標を成し遂げた経験は、絶対に活かすべきであって、今はそれをどんなかたちで活かしていけるのかを考えているところです。