About Toyo University Professor's Scoop-ゴロウィナクセーニヤ准教授(社会学部 国際社会学科 )

Professor’s Scoop ゴロウィナクセーニヤ准教授

学問の領域は、広く深く日々進化しています。本学の教育・研究を担う教員の目に、世界はどのように映るのか。
在日ロシア語圏移住者の人生や暮らし、それらを巡る環境について研究されている社会学部のゴロウィナクセーニヤ准教授に、日本の「ダイバーシティ(多様性)」について伺いました。

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社会学部 国際社会学科 准教授

ゴロウィナクセーニヤ

Profile

博士(学術)。ロシアのサンクトペテルブルク国立大学で日本語を専攻し、日本に留学へ。東京大学にて文化人類学を学ぶ。在日ロシア語圏移住者の調査を中心に、移住・国際結婚・ジェンダー・物質文化などを広く研究する。

移民の生活を通して、その想いを知る。

私は文化人類学者として、在日ロシア語圏移住者コミュニティを調査しています。なかでも日本人と結婚したロシア人女性を中心に研究してきました。移住に至る経緯、現在の様子、将来の夢にわたる人生設計を伺い、その選択にどんな苦労や制限があったのかを現実の声を聴くことで、移民の方々が日本での生活や環境をどのように理解し、感じているのか、その世界観をそのまま伝えることを大切にしています。
現在、日本に行きたいけれど、行けないという外国人は多くいますが、配偶者の就労まで許可されるビザを取得するには多くの基準を満たすことが必要です。またスキルを持つ人以外の移住は簡単ではありません。特定技能制度で対象の職業が彼らの取り組みたい仕事ではない場合もあります。移住者に対して自国語の学習などを半義務化する社会統合プログラムを実施している国もある中、移住者の日本語教育に政府が関与し始めたのはここ数年の出来事です。日本語を身につけないと日本では生活しにくく、差別的な視線を受けることもあります。社会統合のプログラムが前進していけば、経済的にも文化的にも移民の貢献度が日本で高まってくると思います。

社会システムとしての“ 多様性” の本質とは。

日本人の中に外国の価値観や、L G B T Q に関心を持とうという意識は確かにあり、海外のお祭りや風習も柔軟に受け入れ、楽しむ土壌もあります。それらは大切ではありますが、あくまでも互いを理解する交流の一歩に過ぎず、多様性の本質ではありません。実際に、その人たちが日本人の中に平等に存在しているかと言われると肯定できない現実があります。特に顕著な場面のひとつとして、何か問題や危機が起こったときに、全員が平等に扱われないことが挙げられます。例えば、石川県の地震のときにもいろいろな事例が見られたのですが、移民というだけで周囲の人が不審に思ったり、当事者たちも「日本人と同等に扱われていない」と感じたり、緊急時だからこそ見えてくる実態があります。同じ日本に住み、日本人と同じ労働をして、同じ場所で、同じように災害を経験したとしても「外国人だから」という理由だけで、サポートや支援の手が遅れることもあるのです。この現状を乗り越えるためには、社会的厚生やシステム自体を整備しなければいけません。それには政策や法律、ルールといった行政的な側面と、個々人の価値観の変化が必要になるでしょう。

“ 日本は遅れている” というイメージに惑わされない。

「日本は多様性において諸外国から遅れている」というイメージを持つ人が多くいらっしゃいます。しかし、本当にそうでしょうか。すでに日本の中には「多様性の島」はいくつも存在しています。国際結婚をしたカップルとその友人たちといった個人レベルから、ブラジル人街のように街全体を移民の方々で形成する地域まであります。日本人女性の7 割ほどが出産後、専業主婦にならずに仕事を継続していますが、これは欧米諸国と比較しても見劣りしない水準です。諸処の労働問題を解決する必要があるとはいえ、「日本は女性の就労について諸外国から遅れている」といった理解は必ずしも正しくありません。日本人は「日本独特な文化や価値観」の存在を信じすぎる側面があります。日本は特別であり、同時に特別ではないという意識を持つ必要があります。さまざまな価値観が存在しますが、それらが混ざり合うことは現代では避けられません。日本人は日本人が思うよりも、非常に柔軟で多様性自体を好み、諸外国と比較してもジェンダーフリーになっているのが現状です。日本全体が遅れている訳ではなく、個々人のレベルで多様性が広がっていることを知ることがまずは大切なのではないでしょうか。

多様性から一個人として尊重される時代へ。

普段私が触れ合う学生や若い世代の中には、問題意識を抱えていないからこそ、多様性を受け入れているという現象が起きています。これまで取り上げられてきた課題やその歴史的事実を知らないことで問題になることもありますが、その分固定観念を持っていない。だからこそ人種やジェンダーといった属性をありのままに素直に受け入れる人が増えている印象があります。この十数年で「超多様性」という概念も生まれてきました。テクノロジーの発展により、国家間の人々の往来はさらに盛んになり、例えばフランス人とポルトガル人の子どもがモロッコで生まれイスラム教徒になった、という非常に複雑なレベルの多様性が存在しています。日本自体もともと単一民族国家ではなく、アイヌ民族や琉球王国、朝鮮をルーツに持った方々が生活しています。こうした背景として存在するものを無いものとして扱わないことも大切ですし、一方で自分自身のルーツを保ちたくない人も存在します。人によってはそれが思い出したくない過去かもしれない訳です。これから先は出自や背景に関わらず、一個人として尊重される時代に行き着くのかもしれません。