セルフコントロールの手法をストレスフルな現代社会で役立てる

2007年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。2010年、同研究科博士号(社会心理学)を取得。東洋大学社会学部准教授を経て、2021年4月より現職。一般社団法人日本経験サンプリング法協会 代表理事も務める。

TOYO PERSON

人間は、生きていく上でさまざまな衝動に揺り動かされることを避けては通れない。しなければならない仕事があっても遊びたい誘惑に駆られるし、ダイエットをしたいと思っても食欲に負けてしまう。怒りや悲しみといった強い感情がこみあげて冷静な判断ができなくなることもある。しかし、人間にはそうした衝動を制御して、より望ましい方向に向かわせる心の仕組みが備わっている。それが、「セルフコントロール」と呼ばれるものだ。近年、コロナ禍により誰もが長期にわたって我慢を強いられる生活を経験した。その中で、セルフコントロールの重要性が以前にも増して注目を浴びている。そこで今回は、心理学的なアプローチからセルフコントロールの仕組みを明らかにし、社会に役立てようと試みる社会学部社会心理学科の尾崎由佳教授にお話を伺った。

自らのふるまいを監視するモニタリングという仕組み

「心理学者は自分の苦手なことを研究テーマに選ぶことがよくあります。私も例に漏れず、自分の弱点を研究対象にすることにしました。やらなければいけないとわかっていることなのに、どうしても先延ばしや言い訳をしがちで、なかなかそれができない。その理由と改善策を探るために、セルフコントロールの研究に取り組むことにしたのです」
尾崎教授が専門としているのは、社会心理学の中でも、「社会的認知」と呼ばれる領域だ。人が周囲の状況をどのように捉えているのか、またその状況にどのように働きかけるのかといったことに関する心の仕組みを明らかにすることを目的としている。尾崎教授は、その中でも特にセルフコントロールを主題として研究を続けている。学生時代から長年のテーマとしてきたのが、自己制御におけるモニタリング、つまり自らのふるまいを監視する仕組みだ。
「人間にとって衝動自体は悪いものではありません。例えば、美味しいものを食べたいという気持ちは、栄養を摂取して生きていく上で必要なものです。その一方、人間はダイエットをしたいというような将来の目標のために、望ましくない衝動に自らが動かされそうになっていることに気づき、それを抑えて軌道修正することもできます。本能的な衝動は脳の中心部近くにある大脳辺縁系と呼ばれる原始的な部分に起因していますが、衝動を抑える機能には前頭前皮質という比較的新しく進化した部分が大きく関与します。この前頭前皮質が自らのふるまいを監視する仕組み、つまり『モニタリング』によって、目標に向かって順調に進んでいるか常にチェックを行っているのです。しかし、時にそのモニタリングが充分に機能せず、望ましくない衝動を抑えられない、つまりセルフコントロールに失敗してしまう場合があります。そこで、その原因を明らかにし、モニタリングをうまく持続させる仕組みをサポートするべく研究を進めてきました」
尾崎教授はそのために独自の手法を開発し、さまざまな心理学実験を行ってきた。
「セルフコントロールの実験で難しいのが、失敗する瞬間を捉えづらいということです。実験室に来てくださった参加者さんの目の前にお菓子を出して、これを食べないでくださいねと伝えたところで、誘惑に負けて食べてしまう大人は誰もいません。非日常的な環境で人に見られていると思うと、セルフコントロールに失敗することはまずないのです。しかし、どうにかセルフコントロールの失敗例についてデータを集めたいと思って実施したのが、スマートフォンで1日に数回×数日間にわたって簡単なアンケートに答えてもらうという『経験サンプリング法』を用いた調査です」
ある調査では、ランダムなタイミングで調査対象者のスマートフォンに簡単なアンケートを送り、直近で『やってはいけないことをしてしまった』もしくは『やらなければいけないことをしそこねた』出来事があったか、その時の周りの環境はどうだったか、どのような気分であったかといった質問に回答してもらった。そして、この回答データを解析して、どのような状況でセルフコントロールの失敗が起きやすいのかを検証したのだ。
「面白いのは、“『やってはいけないことをしまった』『やらなければいけないことをしそこねた』出来事はありませんでしたか?”とたずねることを繰り返すだけで、しだいにこうした失敗が減っていったことです。このように尋ねられることで、自分の直近のふるまいに注意が向きやすくなり、結果としてモニタリングの働きが強められたのでしょう。モニタリングは元来、目標追求から逸れそうになっていることに気づいた時に自力で軌道修正をするための仕組みですが、そこにほんの少し働きかけるだけで効果が強まるのです。現在、この『経験サンプリング法』の手法を応用して、スマートフォンを通じて日常に気づきを与えることでセルフコントロールをサポートする介入法の開発に取り組んでいます」

自らのふるまいを監視するモニタリングという仕組み

パンデミックにより浮かび上がった課題と光明

セルフコントロール研究の知見は、すでに海外では幅広い分野で応用されており、生活習慣を改善することや、より高い目標達成を目指すことのために役立てられている。学生時代は好奇心から研究に没頭していた尾崎教授だが、現在はセルフコントロール研究の有用性を広く知らしめて社会で役立てたいという思いが強くなったと語る。2020年9月に刊行した著書『自制心の足りないあなたへ―セルフコントロールの心理学』もそうした思いで書き上げた。
「セルフコントロールについて初めて触れる方でもわかるように、冒頭では基礎的な解説を加えています。続いて、先行研究について幅広く網羅した上で、自身の研究成果の一部を紹介しています。一章ずつ読み進めていただければ、最後にセルフコントロールの全体像が見えてくることでしょう」
尾崎教授の著書は、一般向けにわかりやすく書かれていると同時に、学術書としても優れていることが評価され、2021年度の日本社会心理学会出版賞を受賞した。執筆時にはすでにコロナ禍が始まっていたが、この未曾有の危機における人間心理について十分なデータが集まっていなかったため、あえて言及することを避けたという。だが、壮大な社会実験ともいえる前代未聞の状況を、尾崎教授は注視してきた。
「この度のコロナ禍では、世界中の誰もが先の見えない自制を求められるという状況が起きました。社会心理学者としては非常に興味深く、セルフコントロールの重要性を改めて確認できたと言えます。その一方で、研究を行う上では制約と可能性の両方を感じています。制約としては、いま観察されている人間行動が、パンデミックという特殊な状況下での心理状態を反映しているのか、それとも通常の人間心理としてどこまで一般化できることなのかが不明瞭になりがちであることが挙げられます。一方、大きな可能性を感じているのは、オンラインでの心理データ収集の技術が急速に進展したことです。人々の日常生活の一部となってきたオンライン会議システムやSNS、スマートフォンやウェアラブル・デバイスを活用した技術を組み合わせれば、心理学研究のニューノーマルともいうべき手法を実現できると考えています」

パンデミックにより浮かび上がった課題と光明

自制心は鍛えることで成長を続ける

コロナ禍は今後も予断を許さない状況であり、再び、自粛生活を強いられる可能性もある。自粛疲れも叫ばれる中、自制心を保ち続けるために、尾崎教授はセルフコントロールの観点から次のような方法を提案している。
「1つは“習慣化”することです。最初はマスクを着けることに抵抗があったかもしれませんが、日々繰り返し着けていると当たり前になってきます。そのように、コロナ禍において望ましいふるまいを何度も地道に繰り返し、困難を感じないくらい自制している状態に慣れることで、ウィズコロナの生活に適応できます。もう1つは他人の力を借りることです。セルフコントロールといっても、すべて自分で制御する必要はありません。例えば、ステイホーム中に料理を作ったり、オンライン飲み会を楽しんだりしている様子をSNSなどで発信する。そうして日々の自分の振る舞いを他者の目に触れる状態にすることでモニタリングが強化され、自制心の働きを促してくれる効果があるのです。緊急事態宣言が解除されて間もないタイミングで迎えたハロウィンは心配されたほどの混乱を招きませんでした。インフルエンサーと呼ばれる人々が早い段階からオンラインで楽しもうとSNSを通じて呼びかけるなど、若者たちの間で互いに自制を促す動きがあったこともその要因だと思います。コロナ禍の中でどう振る舞うべきかを発信する若者が増えるにつれて、彼らの間で独自の社会的リアリティが形作られていく様子は非常に興味深いものでした」
 自制心は、生涯にわたって成長し続けるほぼ唯一の精神的な活動だと主張する尾崎教授。知的能力や社会的スキルの成長はたいてい成人期以降に横ばいになるが、自制心だけは年齢を重ねても鍛えることでずっと上昇し続けるのだという。
「昨日より今日の方が確実に成長していると信じて、自制心を鍛えていただきたいと思います。セルフコントロールの研究をすればするほど、人間ってなんて良くできているのだろうと思います。一方で、わかっているのに失敗してしまう不完全な面もある。そんな人間に対して感じる愛おしさが、研究のモチベーションになっています」

自制心は鍛えることで成長を続ける

取材日(2021年11月)
所属・身分等は取材時点の情報です。