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ヨーロッパ経済を仔細に読み解き 世の中が抱える課題を浮かび上がらせる

経済学部川野 祐司教授

EUには現在、ヨーロッパの27の国々が加盟している。その中には、ドイツ、フランス、イタリアのようなG7に名を連ねる大国から、人口50万人程度のマルタのような小国までさまざまな特色を持った国が含まれる。それぞれの国で積み重ねてきた歴史や文化、言語が違うのはもちろん、経済規模や産業構造も大きく異なる。そうした国々が、政治、経済、法律など、国家の根幹を成す重要な制度の統合を進めている。それは、「壮大な実験」と例えられるほどにチャレンジングな前例のない試みだ。そんなEUの経済について研究を続けているのが、経済学部の川野祐司教授だ。20年以上にわたる研究生活の間、常にEUの動向を注視してきた川野教授は、2021年4月に『ヨーロッパ経済の基礎知識2022』と題した本を上梓した。どのような想いで筆をとったのか、お話を伺った。

書籍を通して発信することで
研究成果を社会に還元したい

 「『ヨーロッパ経済の基礎知識2022』は、主に2020年代以降のヨーロッパ情勢についてまとめた本になっています。通常の総論的な書籍であれば、歴史的な部分から紐解きますが、本書では過去の出来事をカットして、ヨーロッパの今がわかるような内容に編集しています。2019年に刊行した『ヨーロッパ経済の基礎知識 2020』の改訂版となっていますが、すべて書き直すつもりで執筆に取り組み、直近の資料も参照しながら最新の情報をふんだんに盛り込みました」
 川野教授が専門に研究しているのは金融政策だ。しかし、本書では金融のみならず、各国の社会や文化、観光まで幅広く解説している点も特徴となっている。
「専門家はどうしても自身の専門分野に特化した本を書く傾向にあります。しかし、視野を広げなければ社会の仕組みをとらえることはできません。そのため、環境問題など専門外の分野についても徹底的にリサーチして解説しています。また、私の研究対象であるEUの加盟国だけでなく、ヨーロッパの50カ国と地域すべてを網羅しているのも本書の特色となっています」
そうした編集方針をとった理由を川野教授はこう語る。
「世の中には優秀な研究者が数多くいますが、せっかくの優れた研究が広く知られないままになっているケースも多々あります。しかし、私は自らの研究成果を社会にしっかり還元していきたい。本を出版することはそのための方法の1つなのです。『ヨーロッパ経済の基礎知識2022』は研究書としての側面も持ちますが、学生から商社やシンクタンクに勤める社会人まで、幅広い読者を対象に実践的に使っていただける本となることを目指して書き上げました」

通貨統合の行く末を見守るべく、
EU研究をスタート

 川野教授がEU経済について研究を始めたのは、EUの通貨統合が開始されたことがきっかけだったという。
「大学院生だった1999年に、EUの統一通貨であるユーロの導入が始まりました。金融政策を専攻していた私にとって、異なる国々が同じ通貨を使うようになることに驚かされたと同時に、本当にそんなことが可能なのかという疑問も湧き上がりました。そこで、ユーロの行く末を見てやろうという思いが芽生え、EU経済の動向を追い続けることにしたのです」
 川野教授の研究は、公式の統計資料や文書を徹底的に読み解くことから始まる。そして、頭の中でストーリーを組み上げて、事実と照らし合わせて仮説を検証していくのだ。現地調査は基本的には行わないが、海外へ赴いた際には独自の視点で情報を収集する。
「住民たちのリアルな生活を読み取るため、海外では郊外のスーパーマーケットに行って、並んでいる商品をチェックすることが多いですね。大きなスケールで経済を捉えた論評は多いですが、私は地に足をつけた経済を見る必要があると思っています。また、他者の意見を聞くと客観的な判断がしづらくなるため、インタビューも行わない方針を取っています。海外へ行った時も国内でリサーチをしている時も、常にアンテナを広く張って、とにかく情報を詰め込むことを心がけています。“どうしてこんな斬新なアイデアを思いつくんですか?”と聞かれることがよくありますが、私としては仕入れた情報の中でリンクする部分を抽出して、それを研究課題に落とし込んでいるだけなんです」  EU経済の研究を長く続けてきた川野教授だが、興味が尽きることはない。
「EUは7年ごとに中期計画を策定しますので、その度に状況が変わり、新たに研究すべきことが出てきます。科学とは異なり、経済学は結論を出しにくい学問です。また、何が正しく、何が正しくないのかを説明することも難しい。さらに、統計の数字が変わるだけで状況の読み解き方が変わりますし、最適解も変わってくる。研究に終わりがないことこそが、経済学の面白さだと考えています」

“対岸の火事”ではない、EUの現実

 ブレクジットやコロナ禍などにより混迷した状況のEUだが、川野教授が最も注視しているのは雇用問題だという。
「ドイツでは現在、自動車の製造が滞っています。コロナ禍により加速された半導体不足も要因のひとつですが、工場での働き手不足も大きく影響しています。その一方で、若くて高学歴であるにもかかわらず職に就けない人が増えています。矛盾した状況のようですが、この問題は雇用のミスマッチにより生じています。大学で学んできた高スキル労働者は、スキルを生かせる業界への就職を希望します。しかし、それらの業界ではAIやロボットなどのテクノロジーの導入が進んでおり、雇用を大きく減らしているのです。第一次産業や第二次産業であれば人手不足で働き口が多くあるのですが、高スキル労働者はそうした仕事を選びません。そうした雇用のミスマッチに追い打ちをかけるように多くの移民が流入し、仕事を奪い合うような状況が起きています。特に若い男性に問題が起きており、食不足が深刻になっています。様々な事情が重なって、現在はEU加盟国の人口約4億4000万人のうち約1億人が貧困ラインに立っているという危機的な状況に陥っています」
 こうした状況は決して対岸の火事ではない、と川野教授。
「雇用のミスマッチによる貧困化は、2020年代に必ず世界的な大問題として頭をもたげてきます。日本でもAIやロボットの導入が進みつつあることから、同様の問題が起きることは確実です。それを防ぐためには、他国で起きている問題をいち早く把握し、解決策を検討することが大切です。私がEU研究を行っている理由、そして多くの人に今起きていることを伝えたい理由はそこにあるのです」
 EUの中でも北欧の国々はキャッシュレス先進国として知られる。キャッシュレス経済の研究者としての顔も持つ川野教授は、その動向も探ってきた。
「ヨーロッパでは以前からデビットカードが主流で、ユーロ地域全域で使えるシステムが普及しています。また、スイスは特に新技術の導入に積極的で、すでに仮想通貨で納税が可能になっているうえ、ツーク市にはブロックチェーン関連の企業が多数集結しており、“クリプトバレー”と呼ばれて世界の注目を集めています」

理由のある意見を持つ大切さを
学生に伝えたい

 こうしたキャッシュレス化の波は必ず日本にも押し寄せてくる。しかし、ここでも川野教授は警鐘を鳴らす。
「現在、年収200万円以下の日本人におけるスマートフォン所有率は約60%。スマートフォンでの決済が基本になった時、残りの40%の人はどのようにして支払いをすればよいのでしょうか? また、バーコードやQRコードを使った決済方法が主流ですが、視覚障害者の利便性は考慮されているのでしょうか? スマートフォンを使ったインターネットやゲームは楽しみたい人だけが使えばいいですが、お金を使うという行為は誰もが避けて通れないものです。そこで少数者に対して格差が生まれることは大きな問題です。ただキャッシュレス化を進めるのではなく、何のためのものなのか、誰のためのものなのか、わかりやすいビジョンを提示し、それに向けて導入を進めなければ他にもさまざまな問題が生じてくるでしょう」
 EUにおいて立法の役割を担う欧州議会という組織がある。議員数は人口によって配分されており、8317万人と最大の人口を抱えるドイツに最も多い96議席が割り当てられているのに対し、人口51万人のマルタには最も少ない6議席が配分されている。人口では163倍の差があるのに対して議席数の差は16倍にとどまっている。1票の格差を10倍程度も大きくすることで、国の規模以上の権限を持たせているのだ。
「多数者が少数者の声に耳を傾けるようにするための工夫です。そうでなければ、小さな国の意見はかき消されてしまいます。多数者が少数者を尊重する制度を作ること、それこそが民主主義だと私は考えます」
 川野教授は学生を指導する時にいつも伝えていることがあるという。
「議論をしているとさまざまな意見が学生から出てきます。正解のない課題に取り組んでいるのですから、多様な意見があっていい。しかし、意見にしっかりとした理由をつけることが大切だと伝えています。それには、自分の国のことだけでなく、さまざまな国の社会や制度を知り、幅広い知識を身につけることが必要です。そのためにも、今後もヨーロッパの情報を広く発信し続けるつもりです」

PROFILE

川野 祐司(経済学部 教授)

2014年より一般財団法人国際貿易投資研究所の客員研究員を務める。東洋大学経済学部専任講師、准教授を経て、2016年より現職。専門は金融政策、ヨーロッパ経済論、国際金融論。

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