『シートン動物記』に始まる比較文学研究から現代の動物保護における問題点を読み解く

筑波大学第二学群比較文化学類卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了後、現職。日米における〈環境〉表象の比較研究、写真と文学、医療系・自然科学系ノンフィクションの分析を主な研究テーマとしている。

TOYO PERSON

子供の頃、『シートン動物記』シリーズを読んで、野生動物の世界に胸を躍らせた人も多いことだろう。イギリス出身でアメリカに渡り、博物学者・作家として活動したアーネスト・トンプソン・シートンが著した『シートン動物記』は、戦前に日本で刊行され、今ではどの図書館も所蔵する国民的文学作品となっている。しかし、シートンが活動の拠点としたアメリカ本国では、その存在がほとんど知られていないという事実をご存知だろうか。 比較文学を専門とする文学部日本文学文化学科の信岡朝子准教授は、そうした不思議な現象が起きている理由を探ろうと試みた。そして、文献を読み解いていくうちに、欧米の動物保護の考え方が決して普遍的なものではなく、文化や時代背景、政治的意図によって形作られたものだという事実が浮かび上がってきたという。さらに、それが捕鯨問題など現代の動物保護の問題にまで影響を及ぼしていると信岡准教授は語る。比較文学とはどのような研究分野なのか?それにより、我々に何を得られるのか? 信岡准教授に話を聞いた。

キーワードは『越境』と『境界』

比較文学という学問分野が生まれる契機は、18世紀後半のヨーロッパにまでさかのぼる。各国の領土が確立し、国民という意識を持った住民たちで構成される国民国家が主流になりつつあった時代において、国民を統合するためのアイデンティティが必要とされるようになった。そこで注目されたのが、独自の言語であり、それを用いて生み出された文学だった。各国が自国の文学史を作り、それをもとに文学を研究することで、文化の独自性・優位性を主張するようになった。しかしその結果、自国中心主義に陥って他国との関係性を見落としてしまったり、作品の中身を鑑賞しなくなったり、移住した作家の作品のように分類に困る文学が出てくるといった問題が生じた。そうして、時代の推移と共に次第に行き詰まりを見せるようになった文学研究に対して、その不足を補い拡充するという新たな視点のもとに19世紀後半に成立したのが比較文学という方法論だったのだ。
「比較文学は『国や文化圏、言語の違いを越えて文学を研究する“クロス・エリア”』、『文学という枠にとらわれずジャンルを越えて研究する“クロス・ジャンル”』、『ほかの学問領域との関係性に目を向ける“インターディシプリン”』という3つの要素を含んでいます。ただ異なる国の文学作品を並べて比べるのは、比較文学のごく一部にすぎません。比較文学を理解するには、『越境』または『境界』という概念がキーワードになります。私の研究対象である『シートン動物記』は、科学的な事実に基づきながらも動物の視点から物語形式でストーリーを展開するなど、フィクションを織り交ぜた作品となっており、まさに科学と文学の“境界”に位置する作品と言えます」

キーワードは『越境』と『境界』

日米で評価が大きく異なる『シートン動物記』

シートンは、20世紀初頭にはアメリカでもとても有名で人気のある作家だった。しかし、前述のように今や“忘れられた作家”であり、その名前はほとんど知られていない。「その理由のひとつは、彼が長らくカナダ文学の作家に分類されていたことにあります。イギリス出身のシートンは、幼い頃にカナダに移住してそこで育ちました。しかし、活動拠点であったアメリカで成功した事実がカナダ文学として語られることはありませんでした。シートンは、カナダ文学とアメリカ文学の狭間に落ち込んでしまったのです。もうひとつの理由は、当時の時代背景にあります。シートンが活躍した時代は、動物の生態研究において科学的な客観性が重んじられました。動物について記述する文学作品についても同様です。しかし、シートンは動物の視点に立った物語形式を作品に取り入れたことで非科学的な作家として批判される憂き目にあいます。当時、彼のような手法で作品を書いていた作家たちは、動物たちの偽りの物語を作り出す『ネイチャーフェイカー』として厳しく批判されました。そして、時の大統領でありナチュラリストでもあったセオドア・ルーズベルトまでもが批判に加勢し、「ネイチャーフェイカーズ論争」と呼ばれる激しい論争が巻き起こりました。それにより、シートンはベストセラー作家の地位から滑り落ち、人々の記憶からも消え去ってしまったのです」
一方、シートンの作品がヒットしてから約40年後の1930年代の日本では、欧米の科学を積極的に取り入れようとする反面、第二次大戦を前にして欧米的な価値観を排除すべきという風潮もあった。「当時は、日本的精神に基づいた新しい科学的思想を確立することが必要とされていました。その点、シートンが試みた科学と文学の中間的な表現は日本人の感性に響き、高く評価されることになります。そのキーマンとなったのが、動物学者であり作家であった平岩米吉です。彼の尽力により日本でシートンの作品が翻訳・出版され、良書として現代まで受け継がれていきます」アメリカと日本、それぞれの国の時代背景により、『シートン動物記』はまったく異なる評価を受けることとなったのだ。

日米で評価が大きく異なる『シートン動物記』

異なる価値観を理解しようとすることが、対立の解消につながる

シートンが批判された背景には、欧米独特の動物に対する価値観があった。狩猟文化に基づき、動物に敬意を払う一方で、人間に対しては人種差別的な意識が残っていたことも当時の書物から読み解くことができる。そうした国ごとの価値観の違いは、現代の動物保護の問題にも大きな影響を及ぼしている。捕鯨問題もその一例だ。和歌山県・太地町で行われているイルカ漁を批判的に描いた『ザ・コーヴ』というドキュメンタリー映画は2009年にアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したが、欧米の環境活動家の視点で展開される一方的な内容が日本国内で問題視された。しかし、信岡准教授によると、捕鯨問題は近年に始まったものではなく、狩猟に対する各国の考え方の違いや、1960年代のアメリカ・カウンターカルチャーの流れの中で生まれたイルカ保護の思想など、これまでの欧米の歴史の中で持ち上がった様々な要因が絡み合って現在に繋がっているという。
信岡准教授は、『シートン動物記』に見られる動物文学の論争、アラスカの先住民との交流を通して異文化理解を図った写真家・星野道夫の思想、そして『ザ・コーヴ』に象徴される捕鯨問題というこれまで取り組んできた3つの研究テーマをまとめた著書『快楽としての動物保護』を2020年に発刊した。一見関連性が無いように思える3つのテーマだが、1冊を読み解くことで、通底する問題が浮かび上がってくるのが比較文学の醍醐味だ。
「執筆するにあたっては、できる限り中立的な視点を持つことを意識しました。異文化を理解することは実に難しいものです。それにより対立が起きることもあります。しかし、お互いの価値観を押し付け合うだけでは問題は解決しません。むしろ相手の価値観の背景にあるものを理解し、尊重することこそが対立の解消に繋がるのではないでしょうか。シートンも一時は動物文学の主流にいましたが、次第に異端と見做されるようになりました。スタンダードは時代によって変わるものなのです。変化の中で“主流”という隙間からこぼれ落ちた存在に目を向けて、新たな視点を得ることができるのが比較文学という学問だと考えています」

02-3取材日(2020年11月)
所属・身分等は取材時点の情報です。