考えることをやめた瞬間、本当の意味で我々は状況の奴隷に成り下がってしまう

TOYO PERSON

3年生から所属しているゼミでは、自ら選んだ経済学者の人生や思想の足跡をたどり、それを分かりやすく発表しています。1人の人物の生涯を深く掘り下げることが、これほどまでに面白いものだと気づかせてくれたのは、このゼミでした。その人物について調べることは、単に個人の事績を追うだけでは終わりません。恩師や家族、対立する派閥の思想など、調査対象は多方面に広がっていきます。そうした網の目のような関係性が重なり合い、最終的に現代の私たちにまでつながっていると考えると、なんだか途方もない縁を感じずにはいられません。

大学に入って驚いたのは、その圧倒的な蔵書の多さです。本は、自分にはない経験や文化、価値観を体験させてくれます。作者自身の経験や徹底して集めた資料に裏打ちされた本はあたかも自分が体験したと錯覚するほどのリアリティで打ちのめします。このリアリティを拝借して、人生の糧にすべく、日々読書を続けています。

日本人は常に多数派でいたがるというのはあながち間違いではない気がしますが、「状況の奴隷」であることは万国に共通するものだと思います。絶対に間違っている答えであっても、自分以外の人がそれを選ぶ状況であれば自分も間違ったものを選ぶというのは、愚かだ・間抜けだと思う反面、身の回りにありふれた事象だと思います。授業中、多数決を取る時に自分の意見ではなく手を挙げている人が多い方に挙げたり、いじめの現場を目撃しても他の人もそうだったからと見て見ぬふりをしたりすることもよくあることです。状況の奴隷である我々がそれを脱却することは簡単なことではありません。それでも、考え続けることには意味があると思います。考えることをやめた瞬間、本当の意味で我々は状況の奴隷に成り下がってしまうのだから。

掲載されている内容は2025年8月現在のものです。