Q. 大学院後期課程に進学した理由と、進学先として東洋大学大学院を選んだ理由を教えてください。
僕は大学院前期課程までは國學院大學大学院で研究をしていました。そこで講師として東洋大学大学院の山本亮介先生が講義を受け持っており、修士課程の二年間で受講した山本先生の講義に感銘を受け、後期課程は東洋大学大学院で研究をしようと決めました。山本先生の講義では近代文学の作品研究、テクスト分析に留まらず、文学研究における「理論」を研究者はどのように捉えるべきかというメタ的な視点でも議論する機会がありました。とくに小説が「長編」となるとはどういうことなのかという問題提起は刺激的でした。修士論文を書く過程で、自身の研究対象である石川淳の戦後作品を如何に文学研究の場に位置づけるかという点に加え、自身がどのような方法、理論を選んでいくべきなのかという点についても悩むことがありました。結論はまだ見えていませんが、自身の研究がどのように位置づけられ、また価値づけることができるかということを考えながら研究できる場所が東洋大学大学院であると思います。
Q. 大学院で学んでみて気づいたこと・発見したことは何ですか?
まだ東洋大学大学院に来て日が浅いのですが、先日の日本文学文化学会での発表を終えて、やはり多くの人に「発表」という形で自身の考えを聞いてもらうことの重要性を実感しました。発表資料の中で山場や隙を作り、自身の伝えたい論点が最も強く伝わるように発表することの面白さと難しさは、学会などの発表の場がないとわからないと思いました。様々な論文に触れ、作品を何度も読み分析することももちろん重要ですが、自分が考えもつかないような視点や読みを直接肌で感じ取れる場が学会だと思います。自分がおもしろいと思って研究する視点が他の人にとってはそうでないかもしれず、だからこそ慎重に推敲を重ねたうえで新たな価値を提示できる可能性が生まれて来るのだと思います。とくに博士課程後期になり、他の研究者の指摘をどれだけ豊かに捉えられるかという思考を持つことができるようになってきたことが、僕の大きな発見でした。
Q. 現在の研究テーマについて教えてください。
石川淳という作家の戦後作品を中心に分析しています。自分にとって石川淳の「紫苑物語」を中心とする石川淳の〈物語〉作品が大きな興味の対象となっているのですが、近代文学において、また石川淳の作品史において〈物語〉というものをどう捉えるか苦心しています。そこで、これらの作品の十年ほど前に書かれた「戦後作品」をまず分析し、そこに現れる〈物語〉的な要素や語りに注目しています。作品の内容に触れてより具体的にいえば、「焼跡」として語られる戦後空間が「いくさ」が起こるような物語空間へとどのように接続、または断絶しているのかを分析しています。〈物語〉というと日本的な言葉に聞こえますが、石川淳がアンドレ・ジッドの影響を強く受けているように、ここでは石川淳の語る「散文」概念も同時に分析しなくてはなりません。そして、研究の展望としては、「ケア」や「トラウマ」といった概念と関わる物語行為から捉える視点も考えていかなければならないと思います。
Q. 指導を受けた教員とのエピソードを教えて下さい。
山本亮介先生の講義では文学理論や、また文芸批評にわたって議論されていましたが、その中でよく日本の劇場アニメーション作品も話題になることがありました。僕は趣味としてよく映画を観ているのですが、近代文学は映画の発展と隣り合わせに進んできたこともあり、思わぬ糸口から現代文学や現代思想と映画、アニメーションとの関係が議論になったりしました。最近では『ガンダム』作品におけるポストコロニアル批評などが盛んに議論されたりしています。このように、文学は書かれたテクストに留まらず、それを研究する手法もまた変化し多様化していることを実感しました。また、山本亮介先生は論文の中で「音楽」に注目するなど、刺激的な学びが多いと日々感じています。
Q.授業以外の時間はどのように過ごしていますか?
大学院の授業やチューター指導、指導教授との面談を行う日は週に一日となっているので、その他の日は週に三日ほど公立の中学校の特別支援教室で非常勤講師をしています。そこで指導している内容は研究とは直接関わりませんが、三年生の高校受験が近づくと作文指導や面接練習をすることが多くなり、忙しくもなりますが、生徒の成長を肌で感じることも多く、いい気分転換のようにも感じています。勤務時間が終わると午後は大学図書館で作業をしています。他の日は研究や余暇にあてています。僕は映画を観ることが好きなので、よく隙を見て映画館や美術館にも足を運んでいます。
Q. 今後東洋大学大学院を目指そうとしている方たちへのメッセージをお願いします。
東洋大学日本文学文化学会では文学、哲学、教育学など、横断的な研究に触れることができます。また、ゼミや学生間で議論することに留まらず、研究会を開いたりと積極的な交流があります。僕は大学院の価値は第一に研究仲間がいることだと思っています。もちろん自分の研究はある種の孤独の中で進めなければなりませんが、そうした時に、たとえ研究分野が違ったとしても、同じ目標をもち、声を掛け合える人がいるということは非常に大きなことだと思います。僕は学部を卒業した後、私立の中高一貫校の教員に就職したのですが、どうしても自分の研究、とくに卒業論文に不満があり、悩んだ末に大学院に進むことを決めました。自分が満足できるところまでもう少し勉強をしてみたいという気持ちがあるのならば、大学院に進学して研究を続けてみるというのもいいと思います。
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