高等学校

第61回卒業証書授与式を行いました

2026年2月27日(金)

 卒業式看板 会場2025

第61回卒業証書授与式を挙行し、404名が巣立ちました。

卒業証書授与の様子

 

 呼名担任 証書授与

学校法人東洋大学附属学校井上円了賞授与の様子

円了賞2025-2

学校長賞授与の様子

校長賞

学校長式辞

式辞2025

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理事長告辞

 告示2025

   東洋大学理事長の安齋 隆より告辞がありました。

「日頃の学びの積み重ねが基礎になる。自分磨きの旅はこれからも続きます。東洋大学附属姫路高等学校で学んだことを誇りに思い、自信をもって、卒業というこの良き日を出発点として力強い一歩を踏み出してほしい」と、卒業生へ励ましの言葉が贈られました。

来賓祝辞・メッセージ祝電披露

祝電1 祝電2

ご来賓の方々から心のこもったご祝辞を賜りました。また、メッセージ祝電もいただきました。

 

 祝辞1

   育友会長様からお祝いのお言葉をいただきました。

 同窓会祝辞

   同窓会長様からお祝いのお言葉をいただきました。

在校生送辞

送辞2025 

   先輩方のひたむきな学びや活動への姿勢に感謝し、その歩みを讃えつつ、未来への思いを込めて在校生代表がはなむけの言葉を贈りました。

卒業生答辞

答辞2025 

卒業生代表は、「本校での三年間の学びと仲間との思い出を胸に、哲学の姿勢と『利他の心』に立ち返りながら、混迷する社会の中でも自分の信じる道を見極め、支えてくださった方々への感謝を力に、それぞれの未来へ力強く歩んでいきたい」と決意を述べました。

卒業生保護者代表謝辞

謝辞2025 

  保護者代表より、関係者ならびに教職員への感謝の言葉と、卒業生への期待の言葉が述べられました。 

教室の様子

教室の様子2025 2025教室の様子
  

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式   辞

 

 

 梅の花が風に舞い、早春の息吹が感じられる、この佳き日、東洋大学附属姫路高等学校・第六十一回卒業証書授与式を挙行いたしましたところ、ご来賓の方々のご臨席を賜り、卒業生の前途を祝福していただけますことは、卒業生はもとより、教職員一同、この上ない喜びであります。ご臨席くださいました皆様に、心からお礼申し上げます。

 また、保護者の皆様には、三年間、または六年間にわたり、お子様の育成に心を砕かれ、栄えある日を迎えられましたことに、心より敬意と祝意を表す次第であります。そして、この間、本校教育の充実発展のために、多大なご尽力を賜りましたことを、厚くお礼申し上げます。お子様は、これから様々な荒波に遭遇されることもあるかと思いますが、困難にくじけず、幸せな人生を築かれることを念願してやみません。

 そして、卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。ただ今、卒業証書を授与しましたが、皆さんの高校生活での、たゆまぬ努力に、心からの称賛と祝福の拍手を送ります。「英知」の気風あふれるこの学び舎で、「友情」を育み、「自立」への階段を一歩一歩昇ってきた青春の日々の経験は、よき思い出として、いつまでも燃え続け、一生の大きな財産になるものと信じています。特に、春夏連続甲子園出場を果たした野球部の皆さんの活躍は、校内だけでなく地元の皆様にも、勇気と感動を与えました。アルプスで応援を行った生徒の皆さんも、最高の思い出になったと思います。卒業生の皆さん全員が、今手にした卒業証書を決して汚すことなく、これから迎える新たなステージで、高く力強く、さらなる成長を遂げてくれるよう祈ります。ただし、今日の日の栄誉は、多くの人々に支えられてきた結果であるということは、決して忘れてはなりません。「水を飲む時、井戸を掘った人の恩を忘れるな」という中国のことわざがあります。この意味するところを、よく考えてください。

  さて、今日の輝かしき門出にあたり、二十一世紀の担い手である皆さんに、人間としての在り方・生き方について述べておきます。それは、「感覚的判断を、倫理的価値観で支えて行為する主体であれ」ということです。皆さんは、みずみずしい感性や新しい発想、異文化を受け入れる柔軟性にも優れています。反面、物質的に豊かな時代に生まれ、自己中心的であるとも言われています。確かに少子化の中、こうした傾向が広がっている、さらにSNSの発達がそれを助長しているように感じます。とかく物が豊かで便利な社会になってきますと、行動の原理が、「おもしろいか、つまらないか」、「たやすいか、面倒か」、「好きか、嫌いか」、「得か、損か」などの、自己本位の感覚的な判断が先行し、おもしろいこと、たやすいこと、好きなこと、得をすることが求められがちです。感覚的判断を全面的に否定するつもりはありませんが、果たしてこれでよいのでしょうか。それは、小さなカプセルの中だけの幸せではないかと思います。

人間は、他者との協力なしには生きていけません。社会とは、そんな人間が共同生活を営む場です。したがって、「他者の成功が自己の失敗になる」のではなく、「他者の成功に献身すれば自己も成功する」という「共生の概念」、「利他の心」が、まずありきでなければなりません。楽しいとか、好きだから、だけではなく、「善いことか、悪いことか」、「正しいことか、間違っていることか」、「公共のためか、利己的なことか」、「責任を果たしているか、無責任か」など、正邪・善悪を考え、人間の在り方・生き方の原則である倫理的価値観に裏付けられた判断が必要になってきます。

井上円了は、ソクラテス・カント・孔子・釈迦を「四聖」と称え、東京都の中野に、彼らを祀る哲学堂を建設しました。現在は、哲学堂公園として整備されています。卒業生の皆さんも、機会があればぜひ訪れてほしいと思います。その「四聖」の一人であるカントは、「感嘆と畏敬の念をもって、我々の心を満たし続ける二つのもの」として、「我が上なる星空と、我が内なる道徳律」をあげています。カントは、自然科学の研究を通して、夜空の星の美しさと、その運行の背後にある普遍的な自然法則に対して畏敬の念を感じていました。同様に、人文科学の研究を通して、人間の行為の中にも原理や法則があることに気付き、それに対しても畏敬の念を持ちました。まさにこの「我が内なる道徳律」こそが、今必要なのです。

すでに皆さんは、自分を自分で律していくことのできる年齢に達しています。今日までの学びで得た知性を働かせ、感覚的判断のみに流されることなく、わが内なる声に耳を傾けながら、行為する主体であってほしいと思います。先ほど、「水を飲む時、井戸を掘った人の恩を忘れるな」と言いましたが、今日を区切りに、今度は皆さんが、後に続く人たちのために、どんなに苦しくても井戸を掘る努力を心掛けてください。このことは、本校の建学の精神「他者のために自己を磨く」に通ずるところでもあります。

 また、卒業後、進学しても社会に出ても、皆さんが本校で学んできた哲学は、どんな学問を学ぶ際にも必要となってきます。哲学を学ぶことで、公平な目であらゆるものを見つめ、自分自身で判断し、行動することができるようになります。すなわち、哲学は「人生の物差し」、社会に応用すれば、すいぶんと役に立つものなのです。まさに、本校の教育理念「諸学の基礎は哲学にあり」です。

 石川啄木に、「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」という歌がありますが、故郷の故郷たる所以は、故郷が無条件にその人を受け入れてくれるところにあります。母校は、皆さんにとっての本当の故郷であり続けたいと思います。東洋は、山青く水清き、この地に、永遠にたたずんで、時には嵐も吹くであろう人生の中で、安心して休める止まり木として、皆さんを待っています。

名残は尽きませんが、卒業生の皆さん、今日は旅立ちの日、どうか東洋大学附属姫路高等学校・第六十一期生としての誇りと気概を持って、大きく羽ばたいていってもらいたいと思います。この書写の麓の学び舎を巣立ってゆく、四百四名、一人ひとりの輝ける未来に期待し、幸多かれと祈りつつ、式辞といたします。

                       令和八年二月二十七日

                            東洋大学附属姫路高等学校長  上田 肇

 

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