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鉄紺のDNA MGCにかけるそれぞれの想い

東洋大学から世界への挑戦権をつかむ。
最高の舞台で自分のベストをつくす。

HIROYUKI YAMAMOTO, KENJI YAMAMOTO, YUTA SHITARA, RYU TAKAKU, YUMA HATTORI

卒業後も母校という襷でつながっている。

皆さんのご関係について教えてください。

山本浩:
4人とは特に交流はないのですが、大会で一緒になったら話はします。私が在籍したのは、ちょうどチームが強くなり始めたころ。当時はチャレンジャーの立場で、プレッシャーの少ない時代でした。一方、彼らは学生王者としての重圧の中で結果を出していて、正直すごいなと感心していました。
設楽:
先輩からそう言われるのはうれしいです。
山本憲:
僕は浩之さんと1年だけ一緒でしたが、レースを狙いにいく気持ちを誰よりも行動に移せていた人で、その姿勢に学ぶところが多かったです。
髙久:
僕は…、今だから話しますが憲二さんが怖かったです。
山本憲:
オレ!?
髙久:
1年の時の4年が憲二さんで、当時の東洋大学は押しも押されぬ学生王者。最上級生は神様のような存在でした。結果を残しているからそう見えたし、入学したからにはそういう存在になりたいという憧れの対象でした。
山本憲:
確かに4年の時は、学生駅伝3冠に挑んでいたので相当ピリピリしていたと思う。僕らとしても2年下の悠太の代が強かったので、負けないぞという気持ちでやってましたね。
設楽:
僕らも先輩を意識して取り組んでいました。だから優勝できたんだと思います。
髙久:
やっぱり結果を出している先輩は、オンとオフの切り替えがすごいです。こんな話、大学の時はできなかったので今聞けてうれしいです。
山本憲:
確かに1年生と4年生で絡むことは少なかったかも。でも、社会人になると母校つながりで情報共有してるよね。特に東洋大学は多くの企業に選手がいて、頑張っている人が多い分、刺激を受けることが多いですね。
服部:
僕はこの中では最年少で、入学した時にはもう優勝を狙うのが当たり前のチームでした。その伝統を崩したくない一心でした。
山本浩:
そんな中で、自分を出しながら、結果も出しているところがすごいよね。
服部:
ありがとうございます。
山本浩:
悠太は口数が少ない方だと思うけど、どんな風に後輩と接してたの?
設楽:
僕は口下手なんで、ひたすら走りで引っ張るタイプです。
服部:
僕は在学時に悠太さんが近くにいて感謝しています。世界に挑戦している様子を見ていたから、自分も世界と勝負するんだという気持ちをもって過ごせました。
設楽:
そう思われていたのはうれしいですね。僕も大学の時から服部は強いと感じていました。そんなわけで彼を含めこの5人で、これから先の日本長距離界をもりあげていきたいと思います。
山本憲:
え?もう対談シメる気(笑)?

負けたことを糧に、悔しさをバネに、自信をつかむ。

大学時代、自信をつかんだ瞬間は?

服部:
1年の時、全日本大学駅伝のアンカーだったのですが、1位を2位に下げてしまいました。準備万端だったのに、他大学のエースと競り合った時自分の力が発揮できず、力のなさに失望しました。そこから自分を変えて、先輩に食らいつき、長い距離に対しても自信を取り戻すことができたので、結果も現れてきました。
設楽:
本来なら僕が走る区間だったのですが、調子がよくなくて。1年生に走らせてしまったことは上級生として情けない気持ちでした。
髙久:
僕も出場していましたが、つらいところを後輩に任せてしまいました。今でも服部が泣いている姿を覚えてます。つなぎ区間で満足している自分が情けなかったです。
服部:
いえ、学年は関係ないし、学年が上だからといってアドバンテージがあるわけではないので純粋に自分の力がなかったんだと思います。でも、そう思っていただけていたことはうれしいです。
髙久:
僕が自信をつかんだのは、2年の出雲駅伝です。3大駅伝初出場で、区間賞と区間新をとれました。1年の時はケガばかりで補欠にすら入れず自信をなくしていました。2年目の春から体を絞り、夏合宿をこなして、この結果が出ました。そこから全日本、箱根と走る権利を獲得してチームに貢献することができました。
設楽:
髙久は1年の時はさっぱりでしたが、2年から一気に強くなったなと思います。上級生の背中を追いながら、練習の間の過ごし方も徹底していた。そこが結果につながったんだと思います。
髙久:
悠太さんとは1年の時は話せなくて、他の同級生が話しているのを見てうらやましく思っていました。でも僕が結果を出すにつれて仲良くなって、部屋に遊びに行けるようになりました(笑)。
設楽:
後輩の中でいちばん仲良くしていたのが髙久。自分が不在時に自分の部屋でテレビを見ていた時は、ちょっと調子に乗っていると思いましたが(笑)。
髙久:
すいません(笑)。
設楽:
僕のきっかけは、1年の箱根で負けた時。1年から3大駅伝を経験させてもらったんですが、その時は本当に欲がなくて、勝ちたい気持ちもまったくなかったんです。それなのに1年の箱根で負けた時、大手町で悔し涙を流しました。今でもはっきりと覚えています。それからですね、勝ちたい気持ちが芽生えたのは。
山本憲:
その時僕はアンカーでしたが、悠太が泣いている姿は今でも覚えてます。
設楽:
それから1年間、練習量や食事量を増やして、翌年の箱根7区で区間新が出て、僕でもここまでできるんだと思いました。3年、4年の箱根でも区間賞がとれたのも、2年の時の箱根の走りが大きかったと思います。
山本憲:
誰もが区間新が出るとは思ってない中で出た、すごい走りだったと思う。僕の話でいうと、自信を得たきっかけは同期が強かったこと。柏原はじめチームをひっぱる選手が同級生にいて、自分の基準を押し上げてくれたことが大きかったですね。周りにつられて自分も努力することができました。
山本浩:
自信を得たというのとはちょっと違いますが、今につながる経験という意味では、4年の時の箱根駅伝が思い出されます。2区を走ったのですが、直前でケガをしてしまいました。でもどうしても走りたくて、痛みを押して出場、結果は区間17位とチームに迷惑をかけてしまいました。でもその後5区の柏原が逆転して往路優勝。ゴール地点で皆と喜んでいたら、前任の川嶋監督と会って、「結果を出してないのに、何を浮かれてるんだ!」と30分ほど説教をされました。復路でも優勝したのですが、当時を思い出すと、今でも悔しさが先に来て、二度とあんな思いはしたくない。その気持ちが私の原動力になっています。

酒井監督がいなければ、今の自分はなかった。

酒井監督の印象は?

設楽:
酒井監督は…厳しかったですね(笑)。入学前は優しかったのに入学したらまったく違って。それでもここまで成長できたのも、陸上を続けているのも監督のご指導のおかげ。今は結果で恩返ししたいと思います。
服部:
僕にとっても厳しい監督でした。「世界を舞台に活躍してほしい」という熱い思いがいつも伝わってきました。ついて行きさえすれば結果を出せるという絶対的な信頼感があり、競技を続けられたのも、毎年自己ベストを更新できたのも監督のおかげです。
髙久:
確かに傍で見ていても、悠太さんや服部にはすごく厳しかったと思います。でも彼らなら乗り越えられると監督も信じていたんじゃないでしょうか。僕なら心折れてると思います(笑)。
山本憲:
僕にとっても酒井監督との出会いは大きかったです。当時、真面目でもなく結果も出ていない僕を、箱根のメンバーに選んでくださって、その期待に応えたい一心で、陸上を一番に日々の生活を送るようになりました。それが今につながっていると思います。
髙久:
ふだんはニコやかですが、状況に応じて切り替える監督です。親元を離れて寮に入り、叱られたり、褒められたりする中で「この人についていけば大丈夫だろう」という気持ちが芽生えました。陸上選手である以上に、人として成長させていただきました。
山本浩:
私は直接ご指導いただいていませんが、コニカミノルタに入れ違いで入社した時に同僚の先輩から酒井さんの現役時代の話を伺いました。印象としては、すごく知的な方。酒井さんの同級生の先輩からは「アイツは読めない」という声も聞きましたが(笑)、選手の特長に応じて接し方を変えてるからだと思います。私も将来指導者をやりたいので、すごくいいお手本です。
服部:
今回MGCに出場するわけですが、やっぱり監督がいなければ、ここまでマラソンに対して強い思いを持ってなかったと思います。「箱根の次はマラソンだ」と言い続けてもらえたおかげでこの舞台に立てるのだと思います。
髙久:
僕も酒井監督に「箱根がゴールじゃない。通過点だ」と何度も言われたからこそマラソンをやってみようと思いました。トレーニングも大学時代がベースになってます。
山本憲:
僕もそう。大学時代があるから今があります。陸上は走れるだけじゃ速くならないとか、学業との両立が大事とか、一人の学生として競技に臨む姿勢そのものを教えていただきました。
山本浩:
東洋大学には学業優先の伝統があります。高校の時、複数の大学からスカウトがあって、ちょっと調子に乗っていたのですが(笑)、東洋だけは「まず勉強だよ」と言われて我に返ったのを覚えています。学生なんだから学業が優先で、両立が基本。そのおかげで実業団でも、仕事と競技の両立の中で「どうやれば強くなれるか」を自分で考える力が身に付いたんだと思います。

MGCで2位以内に入り、2020年東京オリンピックへ。

最後にMGCへの意気込みを。

服部:
最低でも自分の力を100%出しきって2位以内に入ることが目標。東京オリンピックは、自国開催ということで今までのレースとは確実に違います。プレッシャーも相当なはず。出走できれば、平常でいられないことが普通だと思って臨みます。
髙久:
テレビで見るものだったオリンピックに出られるチャンスがあるということは、自分がここまで努力して這い上がってきたことの証だと思います。ただこの5人の中でベストタイムが一番遅いので、先輩や後輩に胸を借りるつもりでリラックスして走ります。そしてMGCを通して人間としても成長したいです。
設楽:
注目度が高いのはわかりますが、自分にとってはあくまで出場する大会のひとつ。特別な準備もせず、いつもどおり戦うだけです。ただ応援はすごいと思うので、それを力に変えて日本代表を勝ち取りたいです。
山本憲:
僕は高橋尚子さんに憧れて陸上を始めました。もともとそんなに早くはなかったけど、努力すれば夢がかなうっていうことを、あの日の僕のように、誰かに感じてもらえるような走りをしたい。そして僕に憧れてくれるような人がいてくれたら最高です。
山本浩:
私は33歳なので、年齢的にもオリンピック挑戦は最後。だからこそ何が何でも2位以内に入って代表を決めたい。あと、こんな日本トップレベルのランナーしか出ないレースに出場できること自体が楽しみ。後輩たちと、おもしろいレースにしたいですね。

箱根駅伝2006年〜2019年までの戦績

  総合優勝 総合2位 総合3位 往路1位 復路1位
2019年(第95回) 東海大学 青山学院大学 東洋大学 東洋大学 青山学院大学
2018年(第94回) 青山学院大学 東洋大学 早稲田大学 東洋大学 青山学院大学
2017年(第93回) 青山学院大学 東洋大学 早稲田大学 青山学院大学 青山学院大学
2016年(第92回) 青山学院大学 東洋大学 駒澤大学 青山学院大学 青山学院大学
2015年(第91回) 青山学院大学 駒澤大学 東洋大学 青山学院大学 青山学院大学
2014年(第90回) 東洋大学 駒澤大学 日本体育大学 東洋大学 東洋大学
2013年(第89回) 日本体育大学 東洋大学 駒澤大学 日本体育大学 駒澤大学
2012年(第88回) 東洋大学 駒澤大学 明治大学 東洋大学 東洋大学
2011年(第87回) 早稲田大学 東洋大学 駒澤大学 東洋大学 早稲田大学
2010年(第86回) 東洋大学 駒澤大学 山梨学院大学 東洋大学 駒澤大学
2009年(第85回) 東洋大学 早稲田大学 日本体育大学 東洋大学 東洋大学
2008年(第84回)

10位

       
2007年(第83回) 5位        
2006年(第82回) 10位        

MGCファイナリスト(男子)の出身大学

順位 大学 人数
1 東洋大学 5
2 青山学院大学 4
3 駒澤大学 3
4 国士舘大学 東海大学 2
上武大学 拓殖大学
7 早稲田大学 山梨学院大学 1
学習院大学 日本大学
明治大学 中央大学
順天堂大学 國學院大學
神奈川大学 麗澤大学
京都産業大学  

酒井監督から5人へのエール

山本 浩之へ
直接指導はしていませんが、実業団の後輩でもあるので頑張ってもらいたいです。本格的に陸上を始めたのが大学からと聞いたので、吸収率が高く真面目な性格だという事が分かります。東洋大学が箱根駅伝で初優勝した時の2区では、相当な重圧と、ケガもあった中で、その役割を全うし、とても責任感の強い選手です。MGCの国内最後の選考レースも土壇場で粘って出場権を獲得。当日の暑さによって、もつれるレースになれば持ち前の粘り強さを発揮して、大いにチャンスはあると思います。
山本 憲二へ
大きくてまっすぐな瞳が印象的な選手。21秒差で早稲田大学に競り負けた第87回箱根駅伝のアンカーを担いました。あの時の強い眼差しは今でも忘れられません。「次の年、絶対リベンジするんだ」という強い気持ちを胸に、翌年の3区を先頭で駆け抜けた使命感の強い有言実行型の選手です。弟二人(信二、修二)は兄の背中を追いかけて東洋大学に進み、闘うスピリッツも引き継ぎました。今後の飛躍がさらに楽しみで、日本を代表するマラソン選手に名を連ねてほしいと思います。
設楽 悠太へ
1年次の箱根駅伝で負けて泣いて以来、「怯まず前へ」の精神で主導権を握るレースを確立して一気に強くなりました。自分を追い込む集中力と、練習の質は他の人にはマネできない彼の魅力の一つです。大学在学中は、双子の兄、啓太とともにチームを牽引してくれました。マイペースで飄々としたイメージとは裏腹に、自らに与えた課題に対してとことん突き詰める覚悟の持ち主でもあります。大舞台での内に秘めた闘争心が結果に結びつく事を期待しています。
髙久 龍へ
1学年先輩の設楽兄弟を間近で見ていて「素質では彼らを超えられない。だから自分は練習量で勝つしかない」と努力し続けた選手です。いつも自分はまだまだという気持ちを持ち続けながら、コツコツと練習を積み重ねて、ここまで上がってきたのは凄いと思います。MGC選考レースにも何度もチャレンジして出場権を獲得したのは髙久らしいなと。現状に甘んじることなく、一歩ずつ確実に強くなっている髙久に今後も限りない可能性を感じています。
服部 勇馬へ
箱根駅伝2区の2年連続区間賞、30km学生記録の樹立と結果を残し続けました。在学中からマラソンのオリンピック代表を目指したのは勇馬だけです。マラソンへの適性も高く世界へ挑戦する野心も併せ持っています。社会人となり環境の変化に戸惑った期間もありましたが、その中でさらに自分の殻を破り日本を代表するランナーになってくれました。2時間7分台の自己ベストから、まだまだ伸びると思いますし、東京オリンピック以降の代表も狙ってほしいです。
最後に全員へ
大学卒業後、実業団という次のステージで成長を続けている君たちの姿に、現役生は大きな刺激と自信をもらっています。
全員が箱根優勝メンバーである君たちの活躍が、「箱根から世界へ」を体現してくれています。チーム東洋の鉄紺の襷をさらに光り輝くものにしてくれて、指導者としてこれほどうれしいことはありません。MGCは一発勝負。東洋で育んだ「自立心」と「その1秒をけずりだせ」の精神を糧に、最高のレースをしてくれることを願っています。
酒井 俊幸 監督Toshiyuki Sakai
東洋大学 陸上競技部 長距離部門監督
1999年 経済学部 第一部経済学科卒業
元東洋大学 陸上競技部キャプテン