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伊藤 圭汰さん(国際地域学部国際地域学科卒業)

※国際学部は2021年より卒業生を輩出する予定です。

氏名: 伊藤 圭汰

卒業学部学科: 国際地域学部 国際地域学科

卒業年度: 2016年3月卒業

所属ゼミ: 岡本郁子ゼミ

就職先: コンテナ船の運航会社(2018年8月退社)→青年海外協力隊へ参加

(会議終わりに同僚と)

 

◯東洋大学を目指したきっかけ

 私が東洋大学国際地域学部を目指すきっかけとなったのは高校2年生のときの修学旅行でした。私の通っていた高校は、修学旅行でベトナムとカンボジアへ行く珍しい高校で、当時はそんなところへ行かず、普通に沖縄に行きたいと思っていました。が、いざ行ってみるとそれまで抱いていた途上国へのイメージが大きく変わりました。観光客目当てに母親と物乞いをしている小さな女の子、学校へ行かず川で遊んでいる男の子たちなど、学校で行われた事前研修でそういった境遇の子供たちがいるということを学んでいましたが、机に座って学んだことと、実際に自分の目で見ることに、ここまで違いがあるのかと衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。それまで日本で過ごしている間には、毎日三食ご飯を食べ、毎日学校へ行き、部活動に汗を流し、お風呂に入って、空調の聞いた部屋で寝ることに何も疑問を持っていませんでした。ですがこの修学旅行を通じて、いかに自分が恵まれた環境にいるのかと認識することが出来ました。それと同時に自分に何ができるのかを知りたくなり、東洋大学国際地域学部を目指しました。

 

◯東洋大学での4年間

 国際地域学部の授業では、実際に途上国で活躍されていた教授陣の実際の体験を直接聞くことができ、途上国や国際協力へ関心のある学生にとって、興味深いものばかりでした。また、周りの同期や先輩方も様々なかたちで国際協力と携わろうとしており、長期休暇中に海外ボランティアに参加していたり、バックパッカーとして途上国を巡っていたり、その話を聞くだけでも刺激になったのを覚えています。そういった情報が手に入りやすい環境があるのも国際地域学部の強みだと思います。また、新しいことにチャレンジしやすい、そのチャレンジを応援してくれる環境が整っており、国際協力に興味がある人には良い選択肢の一つになると思います。

 過酷な途上国での体験を楽しそうに話している教授陣を見て、「自分もこのような大人になりたい」と強く思い、さまざまな方から話を聞いていく中で青年海外協力隊というものに興味を持ちました。草の根外交官として、現地の人々と共に生活し、異なる文化、習慣に溶け込みながら、草の根レベルで活動を行う青年海外協力隊に魅力を感じ、全国各地で行われている、協力隊説明会や座談会に参加し、たくさんの体験談を聞くことが出来ました。ますます協力隊に参加したいと気持ちが募る中、大学四年生の時、就職活動と並行して青年海外協力隊を受験しました。その際は「環境教育」という職種で応募しました。ほとんどの職種は専門性や社会人経験が求められるものばかりでしたが、この「環境教育」は新卒で応募できる数少ない職種でした。応募書類に関して所属ゼミの岡本郁子教授をはじめ、多くの教授陣に添削してもらい、手厚く指導をして頂きましたが、残念ながら当時は落選してしまい、一般の会社へ就職しました。

 

卒業後から青年海外協力隊に応募するまで

 私は大学卒業後、都内でコンテナ船の運航会社へ就職しました。就職活動をしていた際に意識していたことは、海外とつながることのできる仕事かどうかという点です。特に日本は多く資源や物資を海外からの輸入に頼っているのが現状であり、それらを実際に輸入している船の運航会社であれば、海外とつながっていることをより実感出来ると考え、入社を決めました。入社後、私は運航会社のメインである、船舶の運航管理をする部署に配属されました。貿易のことや船については全くの無知だったため、毎日学ぶことが多く、最初は大変でしたが、新しいことを学ぶことはとても刺激的で毎日充実していました。主に日本発―台湾・中国・東南アジア向けの船舶の運航管理を担当しており、本社を台湾に持つ会社だったため、本社担当者と英語を使ってやり取りすることも多く、英語力も身に付けることが出来ました。船舶が入港するにあたって本社と各港の代理店との意見が食い違い、なかなかスケジュールが決まらないことがよくありましたが、お互いの意見を数字に落とし、互いに納得してもらえるように配慮しながら管理していました。そのおかげで立場の異なる関係者の意見をうまく繋ぎ、円滑に仕事を進める交渉力・折衝力を鍛えることが出来ました。また、担当していた航路では、さまざまな宗教を信仰している国があり、それぞれの宗教行事のため港が閉鎖することなどもあり、働きながら異文化に触れることもできました。会社にも仕事にも慣れてきた2年目後半、学生の頃に学んだこと、社会人として経験したことを詰め込み、無事青年海外協力隊に合格することが出来ました。

 

(雨期明けのバガモヨの浜辺)

 

◯協力隊での活動

 私はタンザニア連合共和国プワニ州バガモヨ県という地域で活動していました。タンザニア最大都市のダルエスサラームから乗り合いバスで3時間ほどの場所です。バガモヨは1800年後半ドイツ領時代の首都だった場所で、当時の名残を感じることが出来る建物などが残っており、観光客も多く訪れます。また、インド洋に面しており、古くから交易も盛んな街であり、かつては奴隷貿易の輸出港として栄えた過去もあります。交易が盛んなこともあり、タンザニア全土から様々なバックグラウンドを持った人々が集まって暮らしていました。

 配属先はバガモヨ県庁コミュニティ開発課の管轄にあるドゥンダ郡事務所コミュニティ開発課へ配属となりました。ドゥンダ郡事務所にはリーダーにあたる行政官1名、農業課、家畜課、保健課、教育課、漁業課、コミュニティ開発課にそれぞれ12名おり、全体で10人にも満たない小さな事務所です。しかしドゥンダ郡の人口は17千人程度いるため10人では到底カバーしきれていないのが現状です。

 私の要請内容はO&ODOpportunities and Obstacles to Development)というJICAプロジェクトの補完業務でした。ドゥンダ郡内のカオレ村を対象に2009年頃から取り組まれているプロジェクトで、私は3代目隊員として派遣されました。このO&ODプロジェクトは「行政からの支援を待たず、住民にとって必要なものを、住民同士で資金を出し合い整備し、そのコミュニティの能力強化を図る」というものでした。例えば、道路の整備や、学校のトイレ・教室、共同の貯水タンクなど住民が考える住民にとって必要なものをこれまで整備してきました。同僚はこのプロジェクトに10年近く取り組み、日本で行われた研修にも参加しておりO&ODのプロフェッショナルでした。そんな同僚からO&ODについて教えてもらいながら業務に取り組み、プロジェクトの策定から実施、見直し、改善までいわゆるPDCAを行いました。今年度に策定したプロジェクトの進行を同僚とモニタリングしながら、適宜アドバイスをしていく予定でした。しかし対象村であるカオレ村でのO&ODは成熟しつつあり、それまでは積極的に取り組まれていましたが、徐々にマンネリ化し始め、なかなかプロジェクトが進行しないことが増えてきました。住民の意識改善のために何かできないかと同僚と模索している中、このプロジェクトはタンザニア政府からも有効性が認められ、全国各地で行われることが決まりました。その一環として、全国各地でプロジェクト専門家チームによる講習会が行われています。その際、私が関わっていたカオレ村もO&ODの有効事例の1つとして紹介されており、注目されています。それを一つのきっかけとして、他地域で新しくO&ODに取り組む際、実際に経験した村の人や同僚などを講師として派遣し、これまでの経験を基にアドバイスなど行うことで、自分たちのこれまでを振り返り、また、外の村を見ることで、自分たちの村の良い点、改善点など新たな視点を持ち、住民の意識改善につなげていけたらと考えています。

 

(旅行で訪れたルアハ国立公園)

 

 土日や長期休暇には、同期隊員の任地へ遊びに行ったり、国内旅行したりしました。タンザニアにはキリマンジャロ山、サファリで有名な国立公園、アフリカのハワイとも呼ばれるザンジバル島があり、旅行するには最適な国です。

 20203月、コロナウイルスの影響により、全世界で活動する約1900名の隊員が日本へ一時帰国することになりました。当初はコロナウイルスが落ち着き次第、再派遣される予定でしたが、世界的に感染が拡大し、収束する見通しが立たない中、このまま収束するのを待つか、諦めて新しい道へ進むか検討し、私は再派遣を諦め、新たな道へ進むことに決めました。この選択が正しいかどうかはまだわかりませんが、これが正しい道だったといえるよう、今後とも精進していきたいと考えています。この協力隊として活動した12か月は、私の人生の中で最も濃い時間でした。また今後とも何かしらの形で国際協力の分野に携わっていきたいと考えています。これを読んでいる皆さんと日本、はたまた世界のどこかで会えることを楽しみにしています。

以 上

(休日のバガモヨ)