About Toyo University 東洋大学の歴史・略年表
東洋大学の歴史
東洋大学は、1887(明治20)年に井上円了により「哲学館」として誕生しました。1889(明治22)年に校舎を新築、その後火災のために移転した哲学館は、1903 (明治36)年に専門学校令により「私立哲学館大学」となり、井上円了の退隠後に財団法人となり、1906(明治39)年に「私立東洋大学」と改称されます。1928(昭和3)年には大学令により文学部を設置する大学となりましたが、1945(昭和20)年の敗戦により新制制度に切り変わりました。
そして、東洋大学は1949(昭和24)年に文学部から新たなスタートをきり、現在、文学部、経済学部、経営学部、法学部、社会学部、国際学部、国際観光学部、情報連携学部、福祉社会デザイン学部、健康スポーツ科学部、理工学部、総合情報学部、生命科学部、食環境科学部の14学部と、大学院15研究科を擁する総合大学となりました。
それに伴い、キャンパスも白山をはじめとし、川越、朝霞、板倉、赤羽台の5つのキャンパスをもつに至りました。これからも、教育・研究・社会貢献など、東洋大学の理念を活かした新たな改革を進めてまいります。
哲学館からの出発
東京大学で哲学を学んだ井上円了は、1887(明治20)年に「哲学館」を創立しました。これが東洋大学の起源です。 哲学館が目指した教育とは、「余資なき人、優暇なき人」が「智慧を愛求する学問」(philosophy)を学び、近代化を進める日本において新たな役割を担う、教育家、宗教家、哲学家を育成することでした。 第1回の海外視察を終えた井上円了は、自らの構想を発展させて、大学設立を念願とし新校舎の建設に踏み切りますが、風災に遭い、さらに火災に遭い、人災(いわゆる哲学館事件)にも遭って苦難の道を歩みましたが、 勝海舟などの協力と全国からの支援に支えられるという、独創的な学校の運営によって、哲学館は1903(明治36)年に専門学校令により「私立哲学館大学」となりました。
東洋大学の誕生
哲学館大学となってから2年後、1906(明治39)年に井上円了は健康上の理由により大学から退隠します。退隠に際して、井上円了は全財産を寄付して財団法人を設立し、新たな校名を東洋大学としました。 その後、文化系の専門学校として着実に歩みつづけ、井上円了が1919(大正8)年に逝去したこの年に公布された「大学令」による昇格を目指しました。 人員、施設、財政などの条件を整えるのに長い年月がかかりましたが、1928(昭和3)年に大学令による認可を達成し、文学部を設置する単科大学に昇格しました。 1945(昭和20)年の敗戦により、大学制度は新制に変わり、東洋大学は1949(昭和24)年に文学部を設置する新たな大学となり、その後、総合大学を目指すことになりました。
大正中期の頃 (画像拡大)
戦後の東洋大学
1945(昭和20)年の敗戦により教育制度は改正され、多くの国民が高等教育を受けられるような体制になりました。
東洋大学は教育・研究を通して社会に貢献するという、建学の精神に則り高まる国民の進学希望に応じる体制へと進みましたが、戦後の混乱する社会にあってその道は困難なものでした。東洋大学は1949(昭和24)年に文学部から新たなスタートをきり、経済学部(1950年)、短期大学部(1950年)、大学院(1952年)、法学部(1956年)、社会学部(1959年)を設置し、1961(昭和36)年に埼玉県の川越キャンパスに工学部を設置して総合大学となりました。その後も教育体制は拡大し、短期大学への改称(1966年)、兵庫県と茨城県に附属高等学校(1963〜1964年)、経営学部(1966年)を設置し、1万人以上の大学生などが学ぶようになりました。そのため、1977(昭和52)年には埼玉県に朝霞キャンパスを開設しました。
総合大学としての歩み
総合大学となった東洋大学は、いわゆる大学紛争を経験し、その後、国際化・情報化が進む世界と日本に対応するために、新たな大学像を求めて歩みはじめました。その大きな転機となったものが、1987(昭和62)年の創立100周年でした。東洋大学の原点である井上円了の教育理念を再確認し、それを基礎として新しい建学の精神を求める活動が展開されました。時代が昭和から平成へと変わるなかで、次第にその姿が見えつつあります。
国際交流センターの設置(1987年)、都市型大学の再生を目指す白山キャンパスの再開発(1990年)、井上円了記念学術センターの設置(1990年)、夜間大学院の設置(1994年)、群馬県の板倉キャンパスにおける国際地域学部と生命科学部の設置(1997年)、 バイオ・ナノエレクトロニクス研究センターの設置(1997年)、情報ネットワークシステム「Toyo Net」の導入(1998年)など、新たな大学改革が進められ、さらに、法科大学院の設置(2004年)・白山キャンパスでの文系5学部4年間一貫教育・朝霞キャンパスにライフデザイン学部設置、井上円了記念博物館の開館(2005年)、白山第2キャンパスの開設と法科大学院の移転・大手町サテライトの開設(2006年)などが行われました。
また、2008(平成20)年10月には創立者井上円了の生誕150周年記念講演会が開催され、多くの一般の方々にも東洋大学の歴史と今を知っていただくことができました。そして2009(平成21)年には、川越キャンパスに理工学部(工学部を改組)、総合情報学部を設置し、白山第2キャンパスに国際地域学部を移転しました。
伸びゆく東洋大学
2012(平成24)年には創立125周年を迎え、白山キャンパスに125周年記念棟(8号館)を建設。国際地域学部と法科大学院を白山キャンパスへ移転しました。2013(平成25)年には、板倉キャンパスに食環境科学部を設置、文学部のインド哲学科と中国哲学文学科を統合再編し、東洋思想文化学科を開設するなど、総合大学として学びの幅を拡大しています。
2014(平成26)年には、文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援(タイプB)」に採択され、世界を舞台に活躍し新たな価値を創造する「グローバル人財」の育成を加速。2017(平成29)年には、新たに国際学部(グローバルイノベーション学科、国際地域学科)、国際観光学部(国際観光学科)、情報連携学部(情報連携学科)の3学部4学科と、文学部に国際文化コミュニケーション学科を開設しました。同時に情報連携学部の就学キャンパスとして東京都北区に赤羽台キャンパスを開設しました。
2021(令和3)年に赤羽台キャンパスに「WELLB HUB-2」が完成。4月からライフデザイン学部・ライフデザイン学研究科が移転し、白山キャンパスでは、社会学部に国際社会学科を開設しました。
2023(令和5)年に赤羽台キャンパスに新棟「HELSPO HUB-3」が完成。4月から福祉社会デザイン学部・健康スポーツ科学部・健康スポーツ科学研究科を開設、福祉社会デザイン研究科が白山キャンパスから移転し、赤羽台キャンパスの教育・研究環境が大きく拡充されました。
2024(令和6)年に朝霞キャンパス新校舎が完成。生命科学部と食環境科学部が板倉キャンパスから朝霞キャンパスに移転し「生命(いのち)と食」に関する総合的な教育研究拠点に生まれ変わりました。
東洋大学の略年表
1887年(明治20年) | 井上円了が東京府本郷区龍岡町の麟祥院内に私立哲学館(東洋大学の前身)を創立する |
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1897年(明治30年) | 2度の校舎被災を経て、小石川区原町に新校舎を再建する(現在の白山キャンパス) |
1903年(明治36年) | 私立哲学館大学と改称する |
1904年(明治37年) | 哲学堂(現在の東京都中野区哲学堂公園)が落成 <昭和19年東京都へ寄附> |
1906年(明治39年) | 私立東洋大学と改称する <「白山の哲学」と称される> |
1916年(大正5年) | 女子の入学を許可する <男女共学の先駆となる> |
1919年(大正8年) | 創立者井上円了、大連(中国)にて客死する |
1920年(大正9年) | 私立東洋大学を「東洋大学」に改称する |
1924年(大正13年) | 東洋大学校歌を制定 |
1928年(昭和3年) | 大学令による東洋大学の設置が認可され、文学部を創設 |
1937年(昭和12年) | 創立50周年記念式典を挙行 |
1949年(昭和24年) | 新制大学に移行し、文学部を設置 |
1950年(昭和25年) | 経済学部、短期大学部を設置 |
1951年(昭和26年) |
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1952年(昭和27年) |
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1956年(昭和31年) | 法学部を設置 |
1957年(昭和32年) | 法経学部(第2部)を発展的に解消 |
1959年(昭和34年) | 社会学部、大学院社会学研究科を設置 |
1961年(昭和36年) | 川越キャンパス(埼玉県川越市)を開設し、工学部を設置 |
1963年(昭和38年) | 附属南部高等学校(青森県南部町)、附属姫路高等学校(兵庫県姫路市)を開設 <附属南部高校は1977年閉校> |
1964年(昭和39年) |
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1966年(昭和41年) | 経営学部を設置 |
1967年(昭和42年) | 創立80周年記念式典を挙行 |
1972年(昭和47年) | 大学院経営学研究科を設置 |
1976年(昭和51年) | 大学院経済学研究科を設置 |
1977年(昭和52年) |
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1987年(昭和62年) |
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1990年(平成2年) | 井上円了記念学術センターを設置、白山キャンパス再開発スタート |
1992年(平成4年) | 白山キャンパス1号館が完成 |
1994年(平成6年) | 工学部で10月入学制度を導入、白山キャンパス2・3号館が完成 |
1995年(平成7年) | 東洋大学コミュニケーションマークを制定 |
1996年(平成8年) | バイオ・ナノエレクトロニクス研究センターを設置 |
1997年(平成9年) | 板倉キャンパス(群馬県板倉町)を開設し、国際地域学部・生命科学部を設置 |
1998年(平成10年) | 通信衛星利用の遠隔授業システム「スペース・コラボレーション・システム」並びに情報ネットワークシステム「ToyoNet」を導入 |
2000年(平成12年) | 井上円了の足跡を継承した「全国講師派遣事業」がスタート |
2001年(平成13年) |
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2002年(平成14年) |
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2003年(平成15年) |
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2004年(平成16年) | 法科大学院(専門職大学院法務研究科法務専攻)を設置 |
2005年(平成17年) |
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2006年(平成18年) |
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2007年(平成19年) |
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2008年(平成20年) |
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2009年(平成21年) |
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2010年(平成22年) |
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2011年(平成23年) |
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2012年(平成24年) |
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2013年(平成25年) |
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2014年(平成26年) |
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2015年(平成27年) |
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2016年(平成28年) |
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2017年(平成29年) |
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2018年(平成30年) |
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2019年(令和元年) | 井上円了没後100周年記念事業を展開 |
2020年(令和2年) | 井上円了没後100周年記念事業を展開 |
2021年(令和3年) |
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2022年(令和4年) |
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2023年(令和5年) |
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2024年(令和6年) |
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