INDEX

  1. 明治時代に世界を見渡し、「人が生きること」を問い続けた哲学者
  2. 漢詩から浮かび上がる旅先の情景。円了が味わったコーヒーとは
  3. 人と出会い、文化を肌で感じる「旅」を通して哲学に触れる

INTERVIEWEE



鈴木 誉志男    
SUZUKI Yoshio

1964年 東洋大学 法学部法律学科 卒業
1942年茨城県生まれ。株式会社サザコーヒー代表取締役会長。1969年に現在のJR常磐線勝田駅前にサザコーヒー1号店をオープンして以降、1998年にコロンビアにサザコーヒー農園を開設し、20年以上にわたって経営。世界のコーヒー生産地を旅して、南米、アフリカ、アジアのコーヒー生産地から直接豆を買い付けるなど、コーヒーの品質やホスピタリティにこだわった店づくり・商品づくりを続けている。
サザコーヒーオフィシャルサイト




長谷川 琢哉
HASEGAWA Takuya

東洋大学井上円了哲学センター 研究助手
1975年新潟県長岡市(旧越路町)生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程宗教学専修単位取得退学。専門分野は宗教哲学、近代日本思想。井上円了を中心とした近代日本仏教思想史を研究。

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明治時代に世界を見渡し、「人が生きること」を問い続けた哲学者



鈴木
 グローバルという言葉も知られていなかった明治時代に、3度も海外視察の旅に出た井上円了は、探究心が非常に強く、学問や教育への情熱にあふれた方だったようですね。

長谷川 大学時代に哲学と出合い、仏教を西洋哲学の目で見直して「洋の東西を問わず、真理は哲学にあり」との確信を得た円了は、哲学を軸にした教育を行おうと、東洋大学の前身となる「私立哲学館」を創立しました。1887年、円了が29歳の時です。1回目の海外視察に行ったのは、その翌年のことです。アメリカやイギリス、フランスなど欧米諸国を訪れ、政治と宗教の関わりや当地での東洋学研究のあり方を見て回り、近代化を迎えた日本のあるべき姿を模索しました。1902年からの2回目の視察では、海外の教育制度を詳しく調査しました。イギリスでは教会の日曜学校で老若男女が一堂に会して社会道徳を育んでいる姿に感銘を受け、帰国後には社会教育や生涯学習の普及に奔走します。日本全国の市町村を隅々まで講演してまわり、晩年の13年間で5,291回の講演を行い、延べ130万人以上もの人が集まったそうです。

鈴木 3回目の視察では、ブラジルやイエメンのコーヒー農園にも訪れたという記録があります。この旅はどのようなものだったのですか?

長谷川 1911年から始まる3回目の旅では、南米・オーストラリア・アフリカなどを訪れ、自身がまだ見ていなかった南半球を中心に視察を行いました。国際人として世界全体を見渡す広い視野を持とうという、強い意志があったようですね。また国内での社会教育活動に力を注いでいた円了は、教育というテーマを掘り下げ、世界中の人々の生活や産業活動などにも関心を向けました。その中で、海外のコーヒー農園で働く日本人移民のもとにも訪れています。

鈴木 円了はブラジルのコーヒー農園で働く日本人移民と出会い、その暮らしぶりに関心を抱いたようですね。日露戦争後は日本人移民に対する排斥運動が強まりましたが、そうした環境の中でも必死に生活する彼らの姿を見て、時に助言をしながら、日本人が今後世界で生きていくために必要なものを見いだそうとしたのではないでしょうか。

長谷川 おっしゃる通り、円了は外国の文化や哲学を学び取る一方で、東洋の文化や思想、日本人の特徴も深く追究していました。グローバルな視点からローカルなものの魅力をとらえ直し、日本人の精神性の向上を目指したのだと思います。

鈴木 さらに円了は、コーヒー農園の経営状況について非常に細かく分析を行っています。1日の収入は日本円に換算していくらだとか、働いている日本人移民の賃金はどれくらいだとか…。私も商売人ですから、常に経営に関する数字のことを考えています。それと全く同じようなことを円了も行っていたと思うと、感服するばかりです。

長谷川 円了は、商業道徳や実業道徳といったものにも関心を抱いていたようなのです。日常のあらゆる場面に哲学はあり、ごく普通に生活を送る人々にこそ哲学が必要だと考えたのではないでしょうか。難解な哲学理論の構築といったものよりも、「この世界の中で私たちはどう生きていくのか」というシンプルな問いが、生涯を通じて教育に取り組む円了の原動力になっていたのだと思います。

動画『旅する哲学者 井上円了』

      
 

漢詩から浮かび上がる旅先の情景。円了が味わったコーヒーとは



鈴木
 1回目の視察の際、円了はパリ万博を見学したという記録があります。ちょうど産業革命の頃で、コーヒー業界にも新しい波が起こっていました。それまでコーヒーは粉を鍋で煮て作る方法しかなく、苦みが強かったのですが、フランスを中心にドリップ式やサイフォン式の器具がたくさん発明され、どんどん味がおいしくなっていったんです。まさに黄金期を迎えたコーヒーは、それ以降世界中で需要が高まり、消費量も右肩上がりに増えていきました。円了もセーヌ川のほとりで、その当時で一番おいしいコーヒーを味わったのではないかと想像します。

長谷川 円了のお孫さんは、円了がコーヒー好きだったと語っておられました。鈴木さんのおっしゃるように、海外視察の際にコーヒーと出合い、よく飲むようになったという可能性は高いですね。

鈴木 旅先や移動中に出される食事もおそらく洋食が中心でしょうから、コーヒーを飲む機会は少なくなかったと思います。

長谷川 東京都中野区に、円了が作った哲学堂公園という精神修養の場があります。そこでは講演会なども行っていましたが、「参加者には甘酒か紅茶かコーヒーを出すこと」という決め事をしていました。さらに円了は自身の遺言にもそのことをつづっていて、今でも毎年11月に東洋大学が哲学堂公園で開催する「哲学堂祭」では、参加者に甘酒、紅茶、コーヒーを配っています。
 

井上円了 遺言 第8項 
法会ハ毎年一回、之ヲ営ミ、其日ハ祥月ニ依ラズ 11 月上旬ノ日曜ヲ用フベシ。其式場ハ和田山哲学堂ト規定シ置クベシ。其法会ニハ何人モ参会スル様ニ公開スベシ。
東洋大学ニ関係アル僧侶ナラバ、宗派ノ何タルヲ問ハズ、式ヲ開ク時ニ一回読経スルコトヲ依頼スベシ。之ニ続キテ拙著ノ一章ヲ朗読スルノ慣例ヲ作ルベシ。
当日ノ来会者ヘハ甘酒、若クハ紅茶カ珈琲ヲ差シ出スベシ。


鈴木 「茶会」のような、対話を楽しむ時間を大切にされていたんですね。

長谷川 コーヒーと共にある時間に価値を見いだしていたのかもしれませんね。パリのカフェが深夜まで活気に満ちている様子を目にした円了は、次のような漢詩を詠んでいます。
 

「巴里三春日 満城来往譁 珈琲店頭客 深夜未歸家」
—巴里(パリ)三春の日、満城来往して譁(カマビス)し、珈琲店頭の客、深夜なるも未だ家に帰らず。


また、ブラジルの貿易港サントスでは、コーヒーが輸出されていく様子を見て漢詩を残しています。
 

「河口曲如蛇 市街連浅渚 埠頭一帯舟 皆載珈琲去」
—河口は曲がりくねること蛇のごとく、市街は浅い渚に連なって建つ。埠頭のあたりの舟は、すべてが珈琲を積んで行くのである。


パリでコーヒーを飲んでいる人々や、ブラジルでコーヒーの生産者たちがどのように生活を営んでいるのかということが、円了の関心を引いたのだと思います。まだスマホがない時代、若い頃から漢詩に親しんでいだ円了は、それぞれの地域で印象深い文化に触れる度に、その情景を漢詩に残していたようです。
 

人と出会い、文化を肌で感じる「旅」を通して哲学に触れる


画像:サザコーヒー本店内観(提供:サザコーヒー)

長谷川 ところで、サザコーヒーの「サザ」というのは、仏教由来の言葉だと伺いました。

鈴木 はい。日本三大宗教の1つである臨済宗の言葉で「且座喫茶(さざきっさ)」というものがあります。「さあ、座してお茶を飲んでください」という意味で、私はそこに禅の心、日本人の美意識を感じました。そういった気持ちでコーヒーを提供できればと思い、サザコーヒー店を始めたのです。そもそも日本という国は、仏教や漢字など、外国からやってきたものを自国の中で育て、文化として高めてきた歴史があります。また、豊かな自然が生む良い水もある。こうした土壌の上で、世界に誇れる「日本のコーヒー文化」を新しく創造していきたいと考えています。このような思いで、コロンビアでコーヒー農園を20年以上にわたって経営し、世界のコーヒー生産地を旅して、南米、アフリカ、アジアのコーヒー生産地から、直接豆を買い付けています。

長谷川 コーヒーという外国の文化を日本流に変換し、ひたちなかを中心とした地域から根付かせているのですね。サザコーヒーでは、さらにコロンビアにコーヒー農園を作るなど、グローバルな視点も持ち合わせておられます。円了も西洋哲学を入口に学問の世界に入りましたが、東洋哲学や仏教を見つめ直す方向に歩みを進めていきました。西洋のものを見聞きし学ぶだけではなく、一度自分の中で咀嚼し、自分たちのものにするということ。つまり世界を回りグローバルな考え方で哲学を追究しつつ、それをローカルに落とし込むことを大切にしていました。鈴木さんのコーヒーへの取り組みは、円了のアプローチとの共通性を感じさせますね。

鈴木 そう言っていただけると大変うれしく、冥利につきます。母校・東洋大学に息づく円了の志と教えに触れ、今の私やサザコーヒーがあるのでしょう。

長谷川 コーヒーはもちろんのこと、お店の装飾や空気感、さまざまなメニューなどのすべてに鈴木さんの熱い思いが込められているからこそ、サザコーヒーは地域の方々に愛されているのですね。この度製造された「井上円了 珈琲物語」には、どのような思いが込められているのでしょうか。

鈴木 史実に基づき、円了が訪れたブラジルとイエメンで生産された最高に良い豆を使っています。ブラジルでは井上円了が訪れたとされるサンパウロの日系コーヒー農園の子孫が経営しているコーヒー豆を、そしてイエメンはコーヒーの聖地であり、最高のモカマタリの豆を使用しました。このコーヒーを飲みながら円了が旅した国々に思いを馳せ、彼が追い求めていた「人が生きること」についてゆっくり考えを巡らせてみてほしいです。

長谷川 円了は旅をしながら常にさまざまなことを考えていました。実際に出会った人々、自分の目で見た物事から問いを立て、その答えを探していました。円了は旅を通して哲学に向き合っていたと言っていいかもしれません。まさに「旅する哲学者」であり、その姿勢から私たちは多くのことを学ぶことができるように思います。本日はありがとうございました。

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