知の旅を照らす対話録

Dialogue

知の旅を照らす対話録

Record 2

矢口 悦子
東洋大学 学長
西原 廉太
立教大学 総長

いのちは、つながっている。
あなたの「感性」が、地球の未来をつなぐ。

正解のない時代と言われる今、あなたは何を学びますか?
立教大学の西原総長と東洋大学の矢口学長が、2つの大学の共通事項である「環境」*を題材に、多様に語り合いました。
人生を変え、幸福を追求するための「知」や「アカデミア」との出会いを届ける特別対談です。

*立教大学は2026年4月に環境学部を開設。東洋大学は2027年4月に環境イノベーション学部を開設予定。

※所属・役職等は、2026年4月取材当時のものです。

後編

AI時代こそフィールドへ!
言葉にならないリアルな経験を学生時代に

06

無批判の怖さ。人類の学びは止めてはいけない。

矢口
矢口

東洋大学では、2年前に「東洋大学いのち総合研究機構」を設置しました。創立者・井上円了の「相含(そうがん)」の思想がベースにあります。動物も植物も、あらゆるものがお互いに含み合い、関わり合って存在しているという考え方です。そういうことを全体として捉えることがなければ、どんな研究も危ういものになりますよということを、検証しようとする試みです。
学内公募をした重点研究11本に、数億円の予算を投じているのですが、その応募条件に「学部横断型」かつ「文理コラボ」を課しました。たとえば、生命科学と社会学のように、理系と文系がチームを組んで応募してもらう仕組みにしました。やり始めたら面白くて、キャンパス内の風通しがすごく良くなりました。ナノテクノロジーからバイオミメティクス、さらには人の暮らしまで、あらゆる分野が「いのち」という軸で向き合い、語り合い始めたんです。

西原
西原

面白いですね。

矢口
矢口

ただ、私が常に意識していることは、既存の「SDGs」という記号に安住しないことです。私が大学院を終え非常勤講師をしていた頃の1992年、リオデジャネイロで地球サミット(国連環境開発会議)がありました。あの時「SDGs」の「D」、つまり「Development」をどう訳すべきかで大論争がありました。
今は誰もが迷わず「開発」と訳しますが、当時は「開発」ではなく、「発達」や「発展」といった内発性を含むものであるべきだという主張がありました。ディベロッパーのイメージが定着してしまうのではないかと。アマゾンに暮らす先住民の方が言った言葉が、今でも心の中に残っています。「私たちはこれから発見されるのか?私たちは前からここにいた。なぜ外から来た人たちに一方的に開発されなければならないんだ」と。
誰かに開発されるのではなく、自らの内発的な思いで発展していく。この言葉の感触を忘れて、国連が推奨するからと無批判に使うことに、私は今でも慎重でありたいですね。生物の長い歴史のなかで、人間が学びきれていないものは無限にあるわけで、そういうものから謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けたいです。

07

7世代後の子孫を想う。先住民の知恵から学ぶこと。

西原
西原

矢口先生のおっしゃる「開発」への違和感、本当によくわかります。立教大学が新設した環境学部では"Environmental Justice"(環境正義)を一つの柱に据えています。最初にお話した、学生時代の原子力エネルギーの研究会では、いわゆる核廃棄物の処理についても学んでいました。そのときに大きな示唆をくれたのはアメリカ先住民の思想でした。イロコイ族という民族には、何か重要な決定をするときに必ず、「それが7世代後の子孫にどのような影響を与えるか」を考えて決断を下すという伝統があるんです。

矢口
矢口

すごいですね。

西原
西原

核廃棄物は、地層処分して人体や環境に影響が出ないようになるまでに、何十万年という途方もない年月がかかるんですね。でも、私たちは数年後の利益ばかりを見て、その時間軸を忘れてしまっている。他にも、立教大学と縁の深い、北海道でアイヌの人々に寄り添ったジョン・バチェラー宣教師のエピソードも興味深いです。彼がロンドンの本部に書き送った報告書を読むと面白いことが書かれていました。
19世紀末、イギリスから北海道に来たバチェラー宣教師は、「神様の家」である教会にアイヌの長老たちを招きますが、彼らはいつも子熊を連れてくる。バチェラーが「熊は臭いがするからやめてくれ」と言っても、長老たちは「熊は神様なんだから、神様の家に来るのは当たり前だ」と譲らない。
また、バチェラーが荒れ果てた北海道の地にちゃんと作物ができるようにと、イギリスから化学肥料を取り寄せて、「これを使えば作物がよく育つ」と勧めるも、彼らは断固拒否。「この土地は神様の土地だ。そこに人間のまがいものを混ぜてはいけない」と。今でこそ無農薬とか普通にありますけど、そうした先住民たちの発想を学ぶのはとても大事です。バチェラーは彼らのことを「わからずや」と報告書に書いていたんですけどね(笑)。

矢口
矢口

私の生まれた東北も、人口減少に加えて、昨今の熊との共存をめぐる問題など、おかれている状況は非常に切実なものです。土地の営みをどう未来につないでいくのか、大きな転換点にあると思います。例えば、東北地方には「刺し子」と呼ばれる伝統手芸があります。一針一針、布を縫い固めることで補強し、長く大切に使う。もともとは厳しい暮らしの中から生まれた生活のための知恵でした。しかし今では「もったいない」という価値観とともに世界中に広まり、希少価値がついた民芸品として高額で取引されています。あるいは、かつて労働者の労働着であったボロボロの穴の開いたジーンズも、突然ビンテージとして高額で飾られるようになる。
もちろん、地域の文化や技術が評価されること自体は喜ばしい事です。ただ、その一方で、本来その文化をはぐくんできた人々の暮らしや歴史が見えなくなり、「高額なモノ」として消費されてしまう側面もあります。私は国内外の綺麗な刺繍や民芸品を見るたびに、その背景にある人々の営みや、評価される過程で失われていくものについて思いを馳せてしまいます。高額で取引されれば、それだけで地域や作り手が救われるという単純な話ではありません。その価値化の過程で、何が守られ、何が失われていくのか。そうした割り切れない問いに向き合うことも大切なのではないかと思います。そういうことを、学生たちともじっくり話してみたいですね。

08

開発の向こう側へ。フィールドで学ぶ意義。

矢口
矢口

東洋大学も、2027年に「環境イノベーション学部」を新設する予定で、現在準備を進めております。私たちが目指すのは、共創(自分たちの力だけでなく、学外の多様な人々と協力すること)を通じて環境に関わる人を育てることです。自分の身の丈のところから責任をもち、それを実現できる知識とスキルを身に付けてほしい。
ただ、その際に、技術を開発しようとする人には、その向こう側に「この技術は誰かを不幸にしないか」「正しい道なのか」と問うことができる、哲学する人であってほしいです。そして、政策立案やコミュニケーションの仕事をする人には、自分が言葉にしたことを確実に実現できる「技」を一つでも持てるようになってほしいです。無責任に言って終わり、開発して終わりではないようなあり方が重要ですよね。

西原
西原

非常に共鳴します。本学の環境学部も紆余曲折がありましたが、最終的には完全なる文理融合の学部として立ち上げました。教員は環境学の専門家が集まっています。1874年の創立以来、150年にわたり立教大学が大切にしてきたリベラルアーツ教育の結晶みたいなものを、新学部で作ろうと考えました。

矢口
矢口

学部を新設する川越のキャンパスは「こもれびの森」と呼ばれるエリアがあり、約5㏊の美しい自然が広がっています。理工学部と総合情報学部がありますが、理工学部は60年代に企業のサポートを得て作られた学部で、企業での実習と学内での学びを行き来する「サンドイッチ・システム」を日本でも相当早くから導入した珍しい学部です。
その原点をもう一回考え直したのです。環境に関わる企業や団体、行政などの現場に積極的に足を運び、そこで得た経験や課題意識を大学に持ち帰って学ぶ。そんな往復を何度も繰り返してほしいと思っています。大学で基礎を学び、社会の現場で実践する。そして再び大学に戻って考え、また現場へ向かう。環境イノベーション学部では、そんな『大学と社会を往復する学び』を実現したいと考えています。キャンパス自体をフィールドにしようということで、新たな校舎は地下水や太陽光を活用できる完全なZEB(Net Zero Energy Building)構造にしました

西原
西原

うちの環境学部でも木造の新研究室棟が完成しまして、Nearly ZEB認証(一次エネルギー消費量を実質75%以上削減)を取得しました。

矢口
矢口

建物全体でエネルギー消費量実質ゼロを目指していまして、地下水を循環させる輻射式のエアコンを取り入れたり、建物内のセンサーが温度、湿度だけでなく、CO₂濃度や振動、騒音などを計測して空調や照明を自動制御したりと、徹底的な省エネをやっているのです。その上で、新校舎で使う電力のほぼすべてを太陽光発電で賄ってしまおうと。この地域は太陽光発電や地下水を活用しやすい環境でもありますので、それらをうまく活かすことを考えました。
実験や実習は、理工系とデジタル系がベースとなりますが、文理融合で人文科学や社会科学領域も学べるようにします。科学コミュニケーションを専攻したり、教職を目指せるようなコースも用意しています。

西原
西原

環境学部は文系と理系で入試が分かれていて、文系入試の学生は、初年次教育で理数系の授業をしっかり学べるようになっています。そして面白いのは、本学の環境学部でも大事にしているのも、やはり「フィールド」なんですね。教室での学びを終えた後、夏休みにフィールドを訪れますが、その時に必ず文系・理系の教員がペアになって行きます。学生も文系・理系が同じ現場を体験します。文系マインドの発想の人たちと、理系の経験をしてきた人たちが、同じ対象を議論し合う。これが本当に面白いんですよ。

Wisdom Pebbles

知恵の小石

机を離れて
自分の目で
世界を見つめる
矢口
矢口

さっそく、東洋大学でも取り入れたいですね!

西原
西原

ぜひ、フィールドも一緒にできればいいですね! 立教大学では北海道の酪農学園大学と連携協定を結んでいます。都市型の大学と広大なフィールドをもつ大学と、お互いのアドバンデージを活かしあう関係なんです。

矢口
矢口

いいですね。合同発表会を行ったり、互いのキャンパスを行き来したりできれば、学生の世界はさらに広がるはずです!

09

データ化されないものの価値。身体に根ざした情緒と感性を培う。

矢口
矢口

AI時代において、フィールドで実体験することについて、考えるところがあります。AIは道具としてすごく賢く、今まで時間がかかっていたデータの整理などを瞬時にやってくれますが、何のためにそれを使っているのかを学生自身が分からないとおかしなことになる。だからこそ、まずは適切な使い方ができるよう、基礎をしっかり指導できるように模索しています。

西原
西原

想定以上の速さで進化するAIに使われるのではなく、使いこなす術を身につけなくてはいけない。立教でもAI活用を進める一方で、倫理的な観点も重視しています。
ただ、やはり大事にしたいのは「データ化されないもの」です。インターネット上の膨大な情報から回答を引き出してくるのがAIですが、ビッグデータになり得ず、AIの餌食にならないものがあります。
例えば、本学の講師でもある芸術社会学者の河原啓子先生は、芸術作品とは芸術家の「沈思黙考の痕跡」であるとおっしゃっています。鑑賞者もまた、作品を前にひそやかに内的思索を巡らせるわけですが、こうした制作者の痕跡と鑑賞者の内面的な対話は、記録に残さない限りその場ですぐに消えてしまうものです。

矢口
矢口

そうですね。

西原
西原

数学者の藤原正彦先生は、真理を見つける美的感覚や情緒は、死や有限性に関わる人間固有のものだとおっしゃっています。劇作家の野田秀樹さんの東京大学の祝辞でも、AIには肉体がないが、人間には身体に根ざす心があると語られました。北海道大学の人間知×脳×AI研究教育センター長の田口茂先生は、AI時代だからこそ哲学や倫理学が必要であり、人間にはAIには捉えきれない底知れぬ深みがあるのだと指摘されています。
私も今年の入学式で話したのですが、これからの大学教育では、人間の情緒や感性が織りなすアートや、リベラルアーツの学びをこそ大切にしてほしいのです。
リベラルアーツは、人が自分らしく生きていくための術であるし、個別具体的な経験を紐づける思考の補助線になります。実は、私の専門であるアングリカニズム(16世紀の聖公会神学)は、井上円了先生の哲学と同じく、まさに個別具体性から出発する学問です。
感性や驚き、そして沈黙は極めて重要です。沈黙して考え続ける時間や、私がかつて原体験として出会った、工場で何も喋らずに働くおじさんの背中が語るものは、テキスト化されません。自分の足で歩き、確かめる。旅をして、他者と出会う。学生時代にしかできない、そうした言葉にならないリアルな経験や内面の共振を、ぜひ大学で培ってほしいと思います。

Wisdom Pebbles

知恵の小石

人間は、まだまだ
データ化されない
ものでできている
矢口
矢口

現場に行くというのは、そういうことを見てもらうためですね。多様な動植物の生きる「こもれびの森」のキャンパスで立ち止まり、散歩して沈黙の時間を持つ。鳥のさえずりを聞いたり、咲いている花を見たりすることで、解決すべき問題の大きなヒントが見つかるかもしれない。「いいね」を押し続けることから解放されて、きわめて人間的な時間を過ごす環境を提供したいですね。
AIの時代だからこそ、生身の身体で五感を働かせ、美しいものに感動したり、仲間と汗を流して、時には意見をぶつけ合ったりするような「遊び」の時間が何より大切になります。心で感じるリアルな体験こそが、AIには真似できない豊かな感性やユーモア、そしてこれからの時代をタフに生き抜くための胆力を育んでくれるはずです。

10

未来へ種をまく。「学び」という旅。

矢口
矢口

私は学生たちの学びを「ラーニング・ジャーニー(学びの旅)」と呼んでいます。3万人の学生がいれば、3万通りの旅がある。一人ひとりが、それぞれ異なる道を歩んでいくのです。旅の途中では、さまざまな人や出来事に出会い、ときには海図のない海を進むような経験をすることもあるでしょう。どこへ向かうのか、何を見つけるのかは、一人ひとり違います。だからこそ私たちは、学生たちが自分の意思でさまざまな方向へ進めるように支えたい。寄り道をしてもいいし、立ち止まって考えてもいい。そうした一人ひとりの学びの旅を支えていく。これは、生身の人間だからこそできる学びだと思うからです。

西原
西原

教育は「種まき」ですから。私たちがまいた種が、いつ芽を出し、花を開き、実をつけるかは、我々にもわからない。例えば、卒業生が50歳になって、ああ、あの時のことはこういうことだったのかってわかる時があるかもしれない。それでいいんです。種をまいて、水をやりながら、あとは神に委ねる。ところで、立教大学は今、「セカンドステージ大学」もやっています。50歳以上の方から、すごい人気でね。
学び直しの熱意が、若い学生たちを圧倒しています(笑)。最前列にかじりついて質問する大人たちの姿勢から、若者たちが学んだり、教員もリタイアした名誉教授陣が揃ったりして、なんか楽しいんです。リベラルアーツっていうのは、一生学び続けるための術を自分で身につけることだと改めて思いますね。そういう学びができる大学になるといいなって。

矢口
矢口

私たちも同じ思いです。2つの大学で、ぜひ手を取り合って目指していきたいですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

西原
西原

こちらこそ、ありがとうございました!