Dialogue
知の旅を照らす対話録
Record 2
いのちは、つながっている。
あなたの「感性」が、地球の未来をつなぐ。
正解のない時代と言われる今、あなたは何を学びますか?
立教大学の西原総長と東洋大学の矢口学長が、2つの大学の共通事項である「環境」*を題材に、多様に語り合いました。
人生を変え、幸福を追求するための「知」や「アカデミア」との出会いを届ける特別対談です。
*立教大学は2026年4月に環境学部を開設。東洋大学は2027年4月に環境イノベーション学部を開設予定。
※所属・役職等は、2026年4月取材当時のものです。

前編
地球を「肌」で感じる!
過去から未来につなぐ「守る」意思
01
秋田県・横手で育った矢口先生。「川のドジョウが驚く」お話。

ご出身はどちらですか?
秋田県の横手なんですけれども、水田が一面にわあっと広がる盆地で育ちました。そこで過ごした子ども時代、今でも覚えている母とのエピソードがあります。もう60年も前の話になりますが、当時は今のように下水道が全て整備されているわけではなくて、台所の排水は直接、近くの小川へ流れこむという時代でした。ある日、大きな鍋でうどんを茹でたのですが、母はうどんの茹で汁を流そうとするときに、同時に冷たい水道水も一緒に流していたんです。私はもったいないと思って、「なんで茹で汁だけ流さないの?」と聞くと、母は「(大量の熱湯で)川のドジョウが驚くからだよ」って言ったんです。私はもう、びっくりしてしまって。
その言葉が本当かどうか確かめたくて、慌てて外に飛び出して、ぐるっと回って小川の出口まで見に行きました。そうしたら、ドジョウたちが茹で汁の流れてくるあたりに、いっぱい集まっているんですよ。きっと十分に冷めたゆで汁を食べるのにちょうどいいんだろうなと、子ども心に納得しました。自分たちの生活の向こう側にいる生き物のことを考えて、お水を足して配慮するという営みがあったんですよね。「ああそっか、ドジョウも生き物なんだ」って思った経験です。
矢口先生は、何年の生まれでしたでしょうか?
私は1956年。第1回目に登場していただいた森本あんり先生と同じなんです。
そうでしたか!私は1962年生まれですので、先輩ですね(笑)。
そうですね。ちょっと先輩(笑)。農村の四季折々に色を変える田んぼの美しさを眺めるのが大好きでした。なんて綺麗なんだろう、気持ちがいいなと。子どもの頃はそんなふうに自然と関わっていました。
02
工学から神学の道?西原先生の「人生が変わった瞬間」。

私のほうは、「環境」と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、学生時代に取り組んだ原子力エネルギーを考える研究会のことでした。原発が周囲の自然に与える影響を調べたり、原発事故が起きたときのシミュレーションを行ったり。後に東日本大震災で現実のものとなってしまいましたが、学生時代から懸念していました。青森県の六ヶ所村を訪れたこともあります。そこでは、自然環境への影響もさることながら、地域やコミュニティの分断が課題としてありました。
なるほど。西原先生の学生時代について、もう少し詳しくお聞かせください。ご経歴を拝見すると、工学部を卒業された後に神学の道へ進まれています。何か理由やきっかけがあったのでしょうか?
私は4代続けて京都大学の金属工学科出身の家系で、私も京大金属工学科を卒業したのですが、その後に神学に転向しました。きっかけは、大学のサークルでした。子どもたちと遊ぶ、いわゆる子ども会の活動をするサークルに入ったんです。バスに乗って向かったのは、在日韓国・朝鮮人の方々が多く住まわれていた地域でした。
1980年代初頭ですね。
もともとは京都駅付近に住んでいた方が多いのですが、新幹線建設などの際になかば強制的に立ち退かされたんです。水道もガスも電気も十分になく、小火が起きれば小屋が焼き払われてしまうような環境でした。その焼け跡の隙間で、私は子どもたちと遊びました。
私は京都に生まれ育ちながら、自分のすぐそばにある差別や日本の植民地支配の歴史を、何一つ知らなかったんです。ある時、そこに住む同じ歳の在日の青年と出会い、親しくなりました。彼と二人でねぎ焼きを食べながら、私は彼に言いました。「お前も俺も同じ人間やから、俺はお前のこと差別せえへんよ」と。でも、それを聞いた彼は突然怒り出して私の胸ぐらをつかみ、怒鳴ったんです。「何が一緒やねん。お前は日本人やろ、俺は朝鮮人やろ、立ってるところが違うねん」そう言われて、私はハッとしました。
私自身が立っている場所、私が歩んできた歴史とは一体何なんだろうって、いろんなことに気づかせられる機会になったんです。それから、歴史をはじめ、さまざまな哲学や思想など、いろんなことを学び始めました。
03
聖書の言葉を、「肌」で理解する。

その後、この地域で、キリスト教の関係者が中心となって行っていた現場研修会に参加するようになりました。日中は、古鉄工場で一世や二世のおじさんたちと一緒に汗を流しながら働き、何も喋らない彼らの背中を見ていろんなことを考えました。夜はカトリックの地域センターに集まって、みんなで経験を分かち合い、そして聖書を読みました。
大学の工学部の授業とは、全く異なる体験だったんでしょうね。
そうですね。実は私、高校は3年間ミッションスクールだったんですけど、聖書の授業なんて何も覚えていないし、毎朝の礼拝も欠席多数で親が呼び出されるほどの不届き者だったんです。でも、研修会の現場で聖書を開いたときに、初めてイエスという人がどんな人だったかを、肌で理解したんです。
イエスは、差別されたり、虐げられたり、隅っこに追いやられて捨て置かれた人たちのために生きた。そして最終的には十字架にかかって死んだ。その生きざまを見たときに、この社会や世界を変えていく、人間の尊厳を徹底的に追求するその姿に、はっとさせられたんです。そこから、神学の道へスライドしていきました。
なるほど。そういう経緯があったんですね。
もちろん工学部でもちゃんと勉強しまして、企業の内定ももらっていましたが、卒業時の段階で「ちょっと違うな」と思いまして。公害問題の研究者であった指導教授の影響もあり、名古屋にある、立教を創立した聖公会の学生センターに招かれてそちらに就職し、人権・平和の問題や環境問題に関わっていました。責任をもっていたプログラムの一つに都市と農村のセミナーがあり、名古屋の都市と岐阜県の農村を連携して、学生たちと活動していたんです。そのうちに、もう少し神学を深めたいという思いになり、立教大学大学院に進学して、今に至ります。
でも、4代続いた工学の家系で、その転身を納得させるのは大変だったのでは?
親は泣きましたけどね。当時は新宗教の問題が盛んに取り上げられた時代ですから、心配だったと思います。父は私が在学中にがんで亡くなりました。亡くなる前に一度だけ、入院先の病院を抜け出して居酒屋で飲んだことがあったんです。最初で最後なんですけど。その時に、「お前のやりたいことはようわからんけど、お前の人生やから頑張れ」と父は言ってくれました。
そういう経緯があって、私は今でも宇宙工学や金属工学が好きなんです。矢口先生は今、授業をなさっていますか?
週に1日だけ、担当しています。
そうですか。残念ながら私は今、授業をもっていないんです。しかし、私の最も得意な授業は、「科学とキリスト教」でした。科学と神学って水と油みたいですが、ルーツは実は一緒なんです。
まさに、文理融合を体現されているのですね。
04
学生セツルメント。社会課題に果敢に向き合ったかつての若者たち。

西原先生のお話を伺っていて、思い出したことがあります。この都内にも、かつては非常に貧困な状況に陥った地域がありました。女性たちのセツルメントについての博士論文を書いた女性がいます。
かつて製紙工場で働きながら貧困の中に生きていた人たちがいました。徳永直氏の『太陽のない街』という小説にも描かれています。そこで、YWCAの女性たちが「私共の家」というセツルメント(社会福祉事業)を運営していたんです。彼女はその埋もれた歴史を、当時東京YWCAが出していたガリ版刷り機関誌を調べあげて論文にまとめたんです。
それは貴重な記録ですね。私の子ども会の活動も、まさに京大セツルメントの流れを汲むものでした。
さっき伺って、そうかなと思いました。
そう。今はもうなくなっちゃったんですけどね。
私が学生の頃も、まだセツルメントはありました。文京区周辺は活動が活発なところで、東大セツルメントは、関東大震災後にできたんですよね。
お詳しいですね。私は2020年にNHKの連続テレビ小説『エール』、そして現在も『風、薫る』でキリスト教考証を務めているのですが、その時に、大正時代の東京でも、いろんなセツルメント活動が行われていたことを知りました。
そうなんですね。当時のセツルメント周辺大学の学生たちも活動に参加していたようです。みんなで集まって、経済的に困難な子どもたちと一緒に遊び、医療の無料提供や人生相談、法律相談まで、学生たちが行っていたんですね。
矢口先生は関わっておられた?
私自身は学生時代、山登りに明け暮れていて、壮大な自然の中で心洗われるという経験が多かったです。でも、あとになって、そうしたセツルメント活動に携わっていた人たちの話を知ったときに、その価値の大きさに気づかされました。
05
SDGsという言葉・記号を超えて。根底にある人間の責任。

環境といえば、「SDGs(持続可能な開発目標)」について、先生はどのように捉えていらっしゃいますか?
立教大学では、この4月に「環境学部」を新設しました。ただ、私はあえて学内で「SDGs」という言葉を前面に出していません。もちろん、理念としては理解していますが、もっと根源的な問いを大切にしたいんです。実は、環境学部の新しい研究棟を竣工する際、定礎板に刻む言葉を私が揮毫(きごう)することになりまして。
総長自ら、手書きで?
ええ。施設課から「ワープロじゃダメです」と言われまして(笑)。
やっぱり味わいが違いますしね(笑)。
それで、お正月の書き初めとして、一生懸命書きました。家族からは厳しく指導されましたが。
いいですね。ぜひ見に行きたいです。
定礎文には聖書の言葉が刻まれているのですが、私は、創世記1章31節にある「見よ、それは極めて良かった」という言葉を選びました。神がこの世界を創造し、すべてを完成させた時の言葉です。空・海・大地、そしてすべての生きとし生けるものを見渡し、その完全さに「見よ、それは極めて良かった」と自ら感嘆している箇所です。キリスト教では、神がつくった世界の完全性のことを、英語で "Integrity of Creation" (被造物の完全性)と言います。これが、サステナビリティやSDGsの根源的な思想の一つだと私は考えています。"Integrity of Creation"をいかに持続させていくか。それが私たち人間に与えられたミッションなんですね。
聖書の世界では、人間には「管理人」という役割が与えられています。神が「極めて良かった」と感激した被造物を、あなたがちゃんと大切に整えて守りなさいと。だから、人間にはその"Integrity of Creation"をしっかりサステナブルに維持する責任があるんです。
ところが、十九世紀の産業革命以降、人間は自分の責任を忘れて、管理人ではなく「支配者」になってしまった。自分たちの利益のために、空も海も大地も生き物も搾取した。その結果が今の環境破壊です。だから今一度、私たちは自分たちが管理人であることを思い出し、"Integrity of Creation"をサステナブルにする責任を確認しなければならない。それが環境学部創設の根底にある思いです。
Wisdom Pebbles
知恵の小石
極めて良かった
なるほど。
すべてはつながっているんです。「いのち」のあり方として見れば、大地も空も海も、宇宙までもが一つのガイア(地球の生命体系)として結びついています。聖書の中に「体」のイメージを説いた話があります。左手が痛むと右足も痛みを感じ、内臓が病めば息が苦しくなるというもの。体はすべてが有機的につながっている。地球もそれと同じで、世界のどこかが痛めば、必ず別の場所にその影響が出る。そういうふうにつながっている世界をいかに大切に守っていけるかが、今を生きる私たちのミッションなのだと感じています。
そして、もう一つ大事なのが、SDGsの理念である"No one left behind"(誰一人取り残さない)」です。"Integrity of Creation"が縦軸とすれば、横軸は"No one left behind"。多様な人々が誰一人のけ者にされることなく、いかに共に生きることができるか。サステナビリティだけでは、本当の意味での持続可能性は実現しません。縦軸と横軸の両方が揃って初めて、真の意味でのSDGsが成り立つのです。
本当にその通りですね。東洋大学としても、その有機的な結びつきをどう学問として捉え、アプローチしていくか、まさに今、大きな挑戦を始めたところです。
(後編へ続く)
今回の対談のテーマは「環境」ですが、それを聞いて私が思い出したのは、本当に小さい頃の、自分が育った田舎の風景です。山の中でも海のそばでもなく……