INDEX

  1. 日本の食生活を脅かす米不足。その理由と原因とは?
  2. 米の収量を増やすには?暑さに強い米づくりのカギを握るTGW6遺伝子
  3. 日本で伝統的に受け継がれる米づくりのノウハウを活かし、栄養価の高い米づくりを

INTERVIEWEE

廣津 直樹

HIROTSU Naoki

東洋大学 生命科学部 生物資源学科 教授
博士(農学)。専門分野:作物学、植物分子生物・生理学。東北大学卒業後、独立行政法人農業生物資源研究所、南クイーンズ大学作物研究センター、スリランカ国立基礎研究所などを経て、2018年4月より現職。

日本の食生活を脅かす米不足。その理由と原因とは?



――まず、先生のご研究内容について教えてください。

遺伝学を用いて米の収量を向上させる研究を行っています。また、米は収量だけでなく品質も重要なので、稲に含まれる成分についても研究し、良質な米の生産を目指した品種改良を行っています。

大学時代、農学部での学びを進める中で健康の根源である食べ物に重要性を感じ、稲の研究を始めました。現在は、不足しがちな亜鉛や鉄といった栄養の吸収効率を高めることを目指しています。亜鉛の含有量を増やすのではなく、体内での亜鉛の吸収を阻害している「フィチン酸」という物質に着目し、その量を減らす方法について研究中です。海外には、これらの栄養素の摂取を穀物に依存しているにもかかわらず、米の収量が足りない国があります。そうした世界の栄養問題の解決を目指し、スリランカをはじめ、海外をフィールドとして共同研究を進めています。


――昨年の夏、日本において米不足が大きな問題となりました。これについて、先生はどうお考えですか?

報道などでは、猛暑の影響で米の収量が一時的に低下したことが一因だと言われています。しかし私は、あれだけ価格が吊り上がるほど収量が減少したとは考えていません。さまざまな要因が考えられますが、流通の過程で滞りが生じたことや、米が買い占められて高値で転売されるなど、投機の対象となってしまったことが大きく影響しているのではないでしょうか。

私たちは米に対して、安定的に供給され、不足することはないと思っていましたよね。そのイメージが崩れ、価格が高騰している今、米の注目度が上がっています。加えて、多くの方は「なんでもっと米を作らないの?」と感じているでしょう。もちろん、米の作付面積を増やせば、米をもっと多く作ることは可能です。しかし、たくさん作ってその分流通価格が下落すると、農家さんの生活を苦しめることになります。稲作は中小規模の農家にとって儲けが少ない農業で、彼らの生活や社会の発展のためにも政策的な価格のコントロールはある程度必要です。一時的に不足したから今すぐ増やすべきだとは、一概には言えないのかもしれません。
 

米の収量を増やすには?暑さに強い米づくりのカギを握るTGW6遺伝子



――近年、夏になると猛暑といわれるほど気温が上がります。このような昨今の気候変動は、米にどのような影響を与えているのでしょうか?

稲は暖かい地域で生まれたので、暑さには比較的強い植物といえます。しかし、気温が上がると、米の品質に影響が出てしまいます。例えば、みなさんがスーパーなどでよく購入するであろう「コシヒカリ」は、暑さによって品質が左右されやすい銘柄。猛暑の中で育つと、「未熟粒」と呼ばれる白く濁った米が増えてしまいます。米の品質は見た目によって等級が分けられており、現在日本で広く流通しているのは、「一等米」と呼ばれる透き通って見える米です。猛暑の影響で、この一等米の割合が減り、品質が低下してしまうのです。

米の見た目の違いは、成長過程で生まれます。先ほどお話しした通り、稲は本来暖かい地域で栽培される植物であり、気温が高くなると米の成長が早まります。稲が育ち、米を実らせるとき、葉や茎に溜まった炭水化物(デンプン)をそこに転流し、詰め込みます。しかし、暑さによって成長が早く進みすぎると、転流・詰め込みが追い付かなくなってしまいます。その結果、米の粒が大きくなる過程で、炭水化物の詰め込みが不十分になり、隙間ができてしまうのです。そこに光が乱反射して、米粒が白く濁って見えるようになります。このようなメカニズムによってできた米が、未熟粒です。一等米と比べて、栄養価に大きな差はないでしょう。しかし、不透明な白い見た目や、精米の際に割れやすいという特徴から、未熟粒はどうしても敬遠されがちなのです。

――未熟粒を減らし、さらに収量を増やすこともできる遺伝子を発見されたとお聞きしました。

米の収量は、穂の数、穂につく籾の数と米粒の大きさの掛け合わせで決まります。私は収量を増やすための手段として、粒の大きさに着目し研究を進めていました。そこで発見したのが「TGW6」という遺伝子です。この遺伝子の配列が異なる、インドの在来品種「カサラス」と日本の品種「ニホンバレ」を交配させ、子ども世代・孫世代まで何千という規模で交配を重ねていく中で、TGW6がカサラス型の遺伝子配列になると粒が大きくなるという特性に気づきました。実際に、コシヒカリのTGW6遺伝子をカサラス型にすると、米粒が少しだけ大きくなります。大きさの違いはわずかなものですが、この小さな違いが収量を15%アップさせます。
 
(左)コシヒカリの米粒、(右)カサラス型TGW6遺伝子を持つコシヒカリの米粒

さらにカサラス型TGW6遺伝子には、米粒を大きくする効果に加えて、葉や茎に炭水化物を十分に溜める効果があることがわかりました。炭水化物をしっかりと蓄えることで、暑さの影響で稲の成長が早まったとしても、遅れることなく米粒への転流・詰め込みを行えます。つまり未熟粒の割合を減らす効果が期待できるのです。一般的に、ひとつの遺伝子で収量と品質の両方を向上させることは難しいのですが、カサラス型TGW6遺伝子はふたつの効果でそれを可能にしています。

実は、このTGW6は、米粒が大きくなりすぎないようにするリミッターのような機能を持ったタンパク質。植物は繁殖のために種子(=稲にとっての米粒)を作っているだけで、種子を大きくする必要はないですからね。カサラス型TGW6遺伝子は、この制御機能が壊れているからこそ粒を大きくする効果を持っている、ということです。この“壊れた”稲は、育種母本、すなわち農業試験所等で育種を行うときの材料として使われたり、日本を含めたいろいろな国でゲノム編集に用いられたりしています。一方私は、この遺伝子を「稲の薬」づくりに活用する研究を進めているところです。田に撒くだけでTGW6が働かなくなるような薬ができれば、品種の交配をしなくても、楽に収量を増やせるようになるかもしれません。
 

日本で伝統的に受け継がれる米づくりのノウハウを活かし、栄養価の高い米づくりを



――収量を上げるだけでなく、栄養価を高める研究も行われていると伺いました。

経済的や宗教的な理由から肉や魚をあまり食べない国々では、食習慣の影響で亜鉛や鉄が不足しがちです。そのため、栄養素をより多く摂取できる穀物の需要が高まっています。さらに、近年の気候変動を考慮すると、米の品質を向上させるための研究はますます重要です。というのも、大気中のCO₂濃度が上がると、穀物に含まれる亜鉛や鉄が減少することが分かってきたからです。ただでさえ不足しがちなこれらの栄養素が、CO₂増加の影響を受けてもっと足りなくなってしまいます。

そこで私は、亜鉛や鉄と結びついて吸収を阻害する、フィチン酸の量を減らす研究に取り組んでいます。研究を続ける中で、ひとつの遺伝子がフィチン酸の量を決めていることが明らかになりました。この遺伝子を、「INO1(イノワン)」と呼んでいます。フィチン酸を減らすには、遺伝的にINO1が機能しない変異体を作る、という方法もあります。しかし、フィチン酸は植物の成長にも欠かせない酵素であり、稲も例外ではありません。これが完全に働かなくなると、稲自体の成長や機能が低下してしまいます。INO1が働かない変異体を作ったとしても、農業的な利用はできないのです。そのため私は現在、後天的にINO1の機能を止める薬を開発しています。はじめは稲をそのまま育て、米粒がつくられる時にこの薬を撒けば、米に溜まるフィチン酸だけを減らすことができるでしょう。この薬の開発が実現すれば、米を食べることで、不足しがちな亜鉛や鉄という栄養素をしっかりと吸収できるようになるはずです。

――米不足で日本の食卓が脅かされた一方で、日本人の「米離れ」も指摘されています。この状況についてどうお考えですか?

私は米を食べることに社会的な意義があると考えています。まず、田んぼは日本の代表的な景観であるのに加え、洪水を抑える「治水」という機能を持ちます。つまり米を食べることは、それら資源としての田んぼを守ることにつながります。また、日本の気候は稲の生育に適していることに加え、同じ場所で同じ種類の植物を繰り返し栽培することによって成長が悪くなる「連作障害」が起きません。安定的に自国で生産できる米を食べることは、食糧安全保障に寄与する良い選択とも言えますね。

日本では、古くから米を作り、食べ、さらには研究を重ねてきました。そのため、日本には米に関するさまざまなノウハウが蓄積されています。だからこそ私は、研究者として、日本でしかできないことがあると考えます。人口の増加が著しいアジアでの食糧不足や、先ほどお話ししたような栄養の課題に対して、日本の知識や技術で還元できることがあるならば、これからも取り組んでいきたいです。
 

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