INTERVIEWEE
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西田 洋巳
NISHIDA Hiromi
東洋大学 食環境科学部 食環境科学科 教授
博士(農学)。専門分野:微生物学。東京大学大学院卒業後、理化学研究所、東京大学、富山県立大学を経て2022年4月より現職。
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山田 雅人
YAMADA Masato
成政酒造株式会社 取締役・杜氏
富山県南砺市で日本酒製造、卸売業を営む成政酒造の取締役兼杜氏。杜氏になる前は富山県立大学で助教として研究に携わり、その際に西田教授と同じ研究室であった。西田教授の「蔵付きバクテリア」に関する研究においても、初添サンプルの提供などを通じて全面的に協力している。
伝統文化ともかかわりの深い日本酒。 実は、日本は昔からバイオテクノロジー先進国だった?

──古くから親しまれてきた日本酒ですが、日本の文化のなかではどのように位置づけられてきたのでしょうか。
現在の日本酒の製法が確立されたのは明治時代。その原点はさらに室町時代にまで遡ります。日本酒の主な原料のひとつは、昔から日本人の生活の中心にあり、神事とも密接な関係がある「米」です。神棚にお供えするものと言えば、まさに米や日本酒ですよね。また、日本にすむ八百万の神々は年に一回、10月に出雲に集まって会議を開くとされています。集まった神々の議題のひとつは「今年どれだけ米がとれたか、来年の米の生産はどうするか」といったことなのだとか。彼らは一か月間話し合い、そして酒盛りをし、また各地へ帰っていくのです。このように、米や日本酒は古くから神事や祭礼と結び付けられてきました。
──ただの嗜好品ではなく、日本人にとって重要なものだったのですね。日本酒はどのようにして作られるのでしょうか。
日本酒は水と米、そして麹菌と清酒酵母を使い、「並行複発酵」と呼ばれる製法で作られます。並行複発酵とは、麹菌が米のでんぷんを糖に変え、その糖を酵母が食べてエタノールを作り出すという二つの反応が同時に起こる現象を指します。これはワインやビールよりも効率よくエタノールを生み出せる製法であるため、日本酒のエタノール濃度は醸造酒の中で最も高くなっています。また、火入れと呼ばれる低温殺菌の工程も、19世紀に西洋の細菌学者・パスツールが発見したとされるずっと前から行われてきました。このように日本酒造りは、昔から日本が高度なバイオテクノロジーを持っていたことを示す重要な伝統文化と言えるでしょう。
山田さん:
日本酒酒造の免許は、基本的に新規で取得することができません。昔からある酒蔵だけが製造を許されているんです。また、「日本酒」を名乗るためには、使用できる原材料やラベルに記載できる言葉にも厳しい規定があります。そんな制約の中でも、米や水、麹や酵母といった原材料や精米歩合(米をどれくらい磨くか)を変えることで多様な味わいの違いが生まれてくるのです。日本酒を飲む際にはぜひ、その工程にも思いを馳せていただきたいですね。
【動画】酒蔵見学:杜氏が解説!日本酒造りと微生物の世界
前編:
後編:
研究者の視点。醸造工程で混入した微生物が日本酒の味を変える? 研究を通して分かった「蔵付きバクテリア」の力
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──先生のご専門である微生物は、日本酒とどのように関係があるのでしょうか。
まず、先ほどお話しした麹菌と清酒酵母も、日本酒をつくるのに欠かせない微生物です。昔は各酒蔵がそれぞれの酒蔵に棲みついている微生物を利用していたのですが、これらは管理が難しいため、酒造りが安定しませんでした。そこで、現代のほとんどの酒蔵では、麹屋の種麹という麹のもとや、日本醸造協会が管理・販売している「きょうかい酵母」を購入して酒造りを行っています。
さて、もしこれら麹菌と酵母、米と水のみで日本酒の味が決まるのであれば、すべて同じものを使った場合、同じ味の日本酒が出来上がるはずですよね。しかし不思議なことに、実際は同じ原材料を使っていても酒蔵によって異なった味の日本酒ができあがります。このことから、基本の原材料の他に、何か味に影響を与えている要因があることが推測されます。ここで、酒蔵の環境を見てみましょう。日本酒の酒蔵では、オープンな環境で酒造りが行われます。完全無菌状態ではないため、醸造工程でさまざまな微生物が入り込むのです。最終的には混入した微生物は大半が高いエタノール濃度によって死んでしまい、さらに多くの場合は火入れによる殺菌が行われるため、製品としての日本酒に生きた微生物が残っていることはありません。しかし、研究を通して、これらの微生物こそが死ぬまでの間に日本酒の味に影響を与えているということが分かってきました。
──どのように研究を行われたのでしょうか。
研究では、富山県南砺市の成政酒造から、計6つの異なる時期に仕込まれた初添のサンプルをご提供いただきました。初添とは、発酵のスターターである「酛」に麹や蒸した米、水をタンクに入れて最初に混ぜる工程を指します。この段階ではまだエタノール濃度が低く大半の微生物が死んでいないため、寒天培地を使って初添から微生物の分離を行いました。すると、6つの異なる初添すべてから、とあるコクリア属の細菌が最も多く発見されたのです。さらに、比較のため他の複数の酒蔵でも同様のサンプルを採取して調べたところ、他の酒蔵ではこのコクリアは混入していないことが分かりました。そこで、このコクリアが成政酒造の酒蔵に住みついている特有の「蔵付きバクテリア」であり、これが日本酒の味に影響を及ぼしているのではないかと仮定して研究を進めました。
分離させたコクリアと酵母との相互作用を観察していたところ、面白いことが分かりました。日本酒の味を決める中で重要なのはクエン酸や乳酸などの有機酸。酵母は味にかかわる有機酸を細胞外に出しています。しかし、酵母とコクリアを一緒に存在させると、酵母が出す有機酸の組成が少し変わったのです。そしてこれは、人間にとってはわずかな味の変化として感じ取れました。また、香りに関しても、酵母が造るエステル類という有機化合物で同じ現象が起こっていました。つまり、酒造りの過程で混入したコクリアが、日本酒の味や香りに影響を与えていたことが分かったのです。仮説を実証するため、他の酒蔵に協力いただき、成政酒造のコクリアを入れた試験醸造も行ってもらいました。
出来上がった日本酒は、味を測定する機器上でも変化が見られ、また、試飲した41人のうち39人が「蔵付きバクテリア添加の方が無添加よりもおいしい」と味の違いに言及しました。このことから、酒蔵にはそれぞれ成政酒造のコクリアのように固有の蔵付きバクテリアが存在しており、日本酒の味や香りの違いを生み出していることが推測されます。今はそれぞれの酒蔵にどれだけ蔵付きバクテリアがいて、彼らがどれほど多様なのかを明らかにしようとしているところです。

試験醸造でつくられた日本酒
微生物に秘められた大きな可能性。 科学的アプローチで、より明るい日本酒の未来へ

──それぞれの酒蔵に固有の微生物が味に影響を与えていたとは、驚きです。ご研究について、一般の消費者に知ってもらいたいことはありますか?
日本酒好きの皆さんには、「この研究によってより多様な日本酒を造られるようになるかもしれない」という可能性に期待していただきたいです。新しい日本酒を造る際、ベースとなる酵母を変えると、味わいが根本的に変わってしまいます。しかし、蔵付きバクテリアが与える影響はそれよりも小さいため、味のベースはそのままに、より繊細な変化を加えることが可能になるでしょう。また、今取り組んでいる研究をさらに進めることで、ゆくゆくは「この微生物をこの酵母に加えると、このような風味の変化が見られる」といったことまでわかるのではないか、と考えています。そうすれば、将来的には微生物の種類を選択することによって計画的に日本酒の味や香りをデザインできるようになり、より細かい部分まで消費者のニーズに合った「ドンピシャ」な日本酒が造られるかもしれません。
──日本酒好きの方にはぜひ、楽しみにしていただきたいですね。最後に、今後の展望をお聞かせください。
この研究によって、微生物研究にはまだまだ未知の領域が広がっていると分かってきました。私自身の今後の展望としては、日本の伝統文化である発酵食品全体を、もう一度微生物の観点から見直したいと考えています。発酵食品には醤油やみそなどいろいろなものがありますが、関わっている微生物があまりにも多様であるためこれまで研究対象としては適していないのではないかと思われてきました。そのため、麹菌や清酒酵母など直接重要な化合物をつくる微生物のみに焦点が当てられ、研究されてきたわけです。しかし、蔵付きバクテリアのように相互作用を通して間接的にかかわる微生物に注目し、今後はその醤油やみそなどにも、日本酒研究で得られた成果やアプローチを展開していきたいと考えています。
また、より大きな話で言えば、国内の日本酒需要が今よりも拡大することを願っています。日本酒は多様だからこそ消費者にとって選択の楽しみがあり、魅力的な嗜好品たり得るのです。しかし2000年には2000か所ほどあった全国の日本酒の酒蔵はわずか20年余りで大きく減少し、今では1200か所を下回ってしまっています。実際に酒造りを行っている酒蔵はそれよりもさらに少ない状況です。その中で今後どのように日本酒の多様性を維持していくのか、そしてどのように日本酒という文化や製造技術を受け継いでいくのか。これは今の日本にとって非常に重要な課題だと考えています。私たちの研究を通して、これからの日本酒業界に少しでも貢献できればうれしいです。