INTERVIEWEE
北村 秀光
KITAMURA Hidemitsu
東洋大学 生命科学部生体医工学科 教授。
博士(地球環境科学)。専門分野:免疫学、腫瘍免疫学、細胞生物学、生化学。理化学研究所 免疫アレルギー科学総合研究センター研究員や北海道大学遺伝子病制御研究所准教授を経て、2023年より東洋大学で勤務。共著書に『がん免疫療法最前線』(日本医学出版)。
免疫は強ければ良いというわけではない?花粉症を発症する仕組みのカギは「バランス」にあった

──そもそも免疫とはどのようなものなのでしょうか。
免疫とは、さまざまな細胞が協力しあって体内の異物を排除する仕組みです。この異物が持つ特有の目印となる物質を抗原と呼びます。抗原は場合によって花粉の成分であったり、ウイルスやがん細胞が作りだす成分だったりします。
皆さんも普段、「免疫力を高める」というフレーズを耳にすることがあるのではないでしょうか。そのため、免疫の働きは強ければ強いほど良いと思ってしまうかもしれませんが、実はそうではありません。免疫には「アクセル役」と「ブレーキ役」それぞれの役割を果たす細胞があり、このどちらかが強すぎても弱すぎても問題が起きてしまうのです。健康な体を維持するためには、両者がバランスよく働くことが重要になります。
──花粉症は、どのような仕組みで起きるのでしょうか。
「アクセル役」に対して「ブレーキ役」がうまく機能していないケースの代表的な例が花粉症です。花粉のような抗原が体内に入ると、「アクセル役」の細胞がヒスタミンなどの粘膜組織や血管に作用する生理活性物質を放出します。すると、くしゃみや鼻水、涙などが出て、抗原を体内から排出しようとします。通常であれば抗原が排除された後は「ブレーキ役」が働いてアレルギーの症状を引き起こす生理活性物質の放出が抑制されますが、花粉症の場合はこのブレーキがうまく効かずにヒスタミンなどを過剰に放出し続けます。そのせいで、必要以上につらい症状に悩まされてしまうのです。
──花粉症の人とそうでない人の間にはどのような違いがあるのでしょうか。
先ほどの「ブレーキ」の例えのように、花粉症の人は免疫システムが適切に働いていない、という点が違いです。そもそもなぜ適切に免疫システムが機能しないのかについては、一概にこれが原因とは言えません。環境省「花粉症環境保健マニュアル2022」の情報によると、昔よりも現代の方が花粉症は増えているという報告もありますが、遺伝的要因など生来の体質に加え、周辺環境などさまざまな要因が影響していると考えられます。偏った食生活やストレスはホルモンバランスを乱す研究報告もたくさんなされているため、もしかしたら今の社会全体の仕組み自体が人体にとって過酷な環境になってしまっており、患者さんが増えている原因の一つとなっているのかもしれません。もちろん、昭和20年代後半から昭和40年代にかけてたくさん植林されたスギやヒノキの成長にともなって、花粉への曝露の機会が増えたことも要因の一つでしょう。
できればなりたくない花粉症。どうすれば予防できる?治せる?具体的な治療・予防法について解説

─花粉症の治療にはどのような方法が有効でしょうか。
現時点では、いくつかの方法があります。まず、舌下免疫療法。医師の指導のもと、舌の下に抗原を含む薬を少しずつ投与し、数年かけて徐々に体を抗原に慣れさせる治療法です。免疫を教育しなおすようなイメージですね。副作用としてアナフィラキシーを起こしてしまう危険性もあるので、必ず医師の指導が必要です。手間や時間はかかりますが、この方法は免疫の働き方自体を変えるため、根本的に花粉症を治療することができます。
また、先ほど述べたように、食生活やストレスも花粉症に影響すると考えられています。影響と言っても悪影響ばかりではなく、ビタミンやポリフェノールなどを摂取したり、適度な運動をしたりすることでアレルギー症状が緩和されたという報告もあるようです。ただ、人によって効果に差があるため、現段階では誰にでも有効な方法とは言えません。しかし、一定数の事例は報告されていますので、まずはなるべくストレスを軽減させるなど、環境を整えてみてもよいでしょう。
次に、症状を抑えるためには抗原である花粉への曝露を可能な範囲で減らすことが有効です。マスクやゴーグルを着用したり、外出から帰ってきたらすぐにシャワーを浴びるようにしたり、部屋に空気清浄機を置いたりするのがよいでしょう。転地療法と言って、そもそも抗原となる花粉が少ない別の土地に引っ越してしまうという手もあります。私自身もアメリカへ留学した際、一時的に花粉症が収まった経験がありました。ただ、あくまでも抗原への曝露が減ったことによるものであり、再び花粉の多い場所に戻ってくると花粉症は再発してしまいます。また、本人がアレルギーを起こしやすい体質であることは変わっていないので、転地先でかえって別の抗原へのアレルギーが発症してしまうリスクもあり、注意が必要です。
最後に、一時的な対症療法にはなりますが、手軽ですぐ効くのは内服薬です。免疫細胞の活性化を抑えるステロイドや、アレルギー症状を起こす物質・ヒスタミンを抑える抗ヒスタミン薬などを服用することで、つらい症状を和らげることができます。また、花粉症シーズンの前から服用を続けていれば、症状も穏やかになるでしょう。
──さまざまな方向からのアプローチがあるのですね。花粉症を発症していない人が、将来花粉症になることを予防する方法はあるのでしょうか。
まだ花粉症になっていない人も、可能な範囲で花粉への曝露を減らすことで、将来的な予防が期待できます。花粉症の人と同様に、マスクやゴーグルを着用する、外出先から戻った後にシャワーを浴びる、部屋では空気清浄機を利用するなどの行動をおすすめします。
ノーベル賞受賞で注目を浴びる免疫学。どのような未来が待っている?

──先生が現在取り組まれている研究についてお聞かせいただけますか。
現在は高分子化学、工学やものづくりなど他の分野の先生方と協働し、一人ひとりの免疫の状態を把握できるような仕組みの研究開発を行っています。例えばワクチンを打った際、人によっては副反応が強く出てしまう場合があります。その際に「こういう体質だから」と諦めてしまうのではなく、副反応の強さなどをあらかじめ予見し、さらに自分の免疫が今どのような具合で、どうすれば状態を改善できるのか、といったことまで把握できるようなデバイスを作りたいのです。具体的には、唾液や尿をサンプルとして自身で検査キットを用いて検査し、今日の自分の免疫の状態をアプリなどからモニタリングします。もし免疫の調子が悪いことがわかったら、食生活や生活習慣を改善してみたり、さらに不安があれば医療機関を受診したりするきっかけになるでしょう。そうすれば医療関係者と相談して、本人に最適な形でのワクチンの打ち方や病気の治療方法などを検討することができます。そのような仕組みを作ることができれば理想的だと考えています。
──最近、坂口志文先生が免疫学の分野で2025年のノーベル生理学・医学賞を受賞されました。これは免疫学にとってどのような意味を持つ受賞でしょうか。
坂口先生は、1990年代に免疫の「ブレーキ役」にあたる「制御性T細胞」という細胞を発見されたことが評価されノーベル賞を受賞されました。制御性T細胞をうまくコントロールすることができれば、花粉症を含めさまざまな病気を治療できるかもしれませんから、大変大きな功績です。従来はいかに免疫力を高めるか、が主に注目されていたのですが、制御性T細胞の発見以来、いかにこの「ブレーキ役」の働きを強めるかについての研究も進んできています。今回のノーベル賞受賞によって今後もっと免疫学が着目され、研究が発展していくことを願います。