INDEX

  1. サービス展開のきっかけは、転職の過程で感じた「平等という名の不平等」
  2. 日本型から世界で主流の「ジョブ型雇用」へ。人事評価制度の変遷
  3. 人事評価では、「株式会社じぶん」の思考がカギ

INTERVIEWEE

髙橋 恭介

TAKAHASHI Kyosuke

1999年 東洋大学 経営学部商学科(現マーケティング学科)卒業
1974 年、千葉県松戸市生まれ。
千葉県立船橋高校出身、東洋大学経営学部卒業後、興銀リース株式会社(現みずほリース株式会社)に入社。リース営業と財務を経験する。2002 年、創業間もないベンチャー企業であったプリモ・ジャパン株式会社に入社。副社長として人事業務に携わり、当時数十名だった同社を 500 人規模にまで成長させ、ブライダルジュエリー業界シェア 1位に飛躍させた。 同社での経験を生かし、2008 年リーマンショックの直後に株式会社あしたのチームを設立。国内外 3,500 社を超える中小・ベンチャー企業に対して人事評価制度の構築・運用支援サービスを提供している。2021年1月、株式会社給与アップ研究所を設立。代表取締役に就任。
■株式会社あしたのチーム
■株式会社給与アップ研究所

サービス展開のきっかけは、転職の過程で感じた「平等という名の不平等」


     
――髙橋さんは、東洋大学ご卒業後はまず金融ビジネスの道に進まれたと伺いました。


1999年の3月に経営学部を卒業した後、興銀リース株式会社(現みずほリース株式会社)に入社しました。首都圏エリアの営業担当として2年間働いたあとは、財務部に異動して資金企画の基礎を学びました。非常に得るものが多かった一方で、大企業で働くことと自分の望むワークスタイルとの間にミスマッチを感じてしまいました。そこで、入社4年目に退職し、ネクストキャリアとして設立3年目のベンチャー企業に転職しました。

――歴史ある大企業から設立間もない企業への転職は、業務の規模も風土も大きく違ったのではないですか。

転職先のプリモ・ジャパン株式会社は、結婚指輪や婚約指輪などのブライダルジュエリーの企画、販売を行う企業でした。転職したタイミングが設立から3年目ということで、ちょうど事業が波に乗り始めているころだったのです。やはり社員もどんどん増えていきますし、店舗数も拡大している最中でしたので、そういう点では前職とは大きく異なったと感じています。私自身のキャリアアップもベンチャー企業ならではのスピード感で、転職して2年目には取締役に任命され、3年目には副社長になりました。会社のナンバー2として経営を学ぶ立場までステップアップができました。副社長として経営を現場で学んだ経験は、今の事業の根幹になっていますね。

――それは、経営者としてのスキルを身に付けられたからということでしょうか。

それも一理ありますが、「あしたのチーム」を設立する理由、さらには展開するべきサービスを見つけることができたからです。プリモ・ジャパンは設立されたばかりの企業だったため、人事評価制度がまだ整備されていませんでした。社員数や店舗数が次々に増えていく中で、一人一人、また一店舗ずつ評価をしていくために一から人事評価制度を作成しました。実際に運用してみると、制度を作る前よりも評価がしやすくなっただけでなく、会社の空気感や働き方までも大きく変わったと実感したのです。たった一つの制度を整えるだけで、会社に大きな影響をもたらすのだと驚きました。

他にも、人事評価制度を作成している最中に、金融ビジネス業界で働いていた自分を思い出すことがありました。退職を決めた理由を考えたときに、「もしかすると、評価制度に原因があったのではないか」と感じたのです。どれだけ頑張って成果を上げても、成果を上げていない人との給料や賞与がほとんど変わらず、「平等という名の不平等」が存在していると気付きました。その不平等性が、やる気のある人のモチベーションや会社への帰属意識を下げているという現状を過去の体験から気づいたことで、自ら作成した評価制度では会社全体の空気感まで変えることができました。この一連の流れを経て、評価制度の改善は多くの企業にとって課題なのではないか、と考えました。課題とまでは言わなくても、「評価制度を整えたい・改善したい」というニーズは必ずあるはずだと思い、2008年にあしたのチームを設立しました。

――大企業とベンチャー企業、異なる環境に身を置いたからこそ生まれた発想ということですね。

プリモ・ジャパンでは、台湾法人の社長も務めていたので海外企業の人事評価制度がどのようなものなのかも知ることができました。大企業、ベンチャー企業、そして海外法人というさまざまな就業体系を経て、自分自身で会社を設立できたことは現在のサービスでも役立っていますね。
   

日本型から世界で主流の「ジョブ型雇用」へ。人事評価制度の変遷


    
――そもそも、日本ではいつ頃から人事評価制度が普及しはじめたのでしょうか。


日本の働き方の歴史にも触れながら説明しますね。日本において、戦後から1990年ごろまで一般的とされていた働き方は、「終身雇用制・年功型賃金・企業内組合・学卒一括採用」の4つのシステムから成立していました。製造業が中心であり、人口も増え続け、GDPも右肩上がりの推移を続ける社会とうまくマッチしていたため、約30年にわたってこの働き方が大きく変わることはありませんでした。

この時代では「一つの企業に定年まで所属する」という考え方は当たり前のように考えられていましたし、学卒一括採用で同じ年齢の人を大量に採用していたので、「入社○○年目の社員のスキルは同じ」で、「ベースとなる給料や昇給のタイミングも同じ」という大きな枠組みで集団管理する人事評価が可能だったのです。こうした人事評価の方法は「日本型雇用システム」と言われています。

しかし、バブル崩壊や産業構造の変化、少子高齢化などによって、社会のあり方は徐々に変化し、日本型雇用システムでは成立しない場面が増えてきました。

現在多くの企業で用いられている人事評価制度の原型が日本に広まったのもそのタイミングで、1990年代の後半と言われています。当時の外資系コンサルティング企業が行っていた人事評価モデルが日本の大企業に次々に広がったのですが、急速に広まってしまったために「終身雇用制度」と「年功序列型賃金制度」はこれまで通り継続して、海外モデルからは「目標を設定して、達成度に応じて基本給に連動させる」という部分だけを踏襲する中途半端な導入になってしまいました。

この導入によって、設定した目標値に応じて給料や賞与が変動することになるため、目標が達成できなければ基本給が下がることもありますし、ボーナスがもらえないこともある。仕事の達成状況を判断するにあたっては、「年齢だけで判断するのは人口減少や女性の社会進出など変化の激しい今の社会に合わない」とその時初めて気が付いたというわけです。そうした経緯があり、「入社○○年目」や「役職」という年齢ありきの相対的評価ではなく、自分自身の成果で人事評価を行う「成果型報酬制度」、別名「ジョブ型雇用制度」が広がり始めました。この制度は、2000年代から徐々に広がりはじめ、2015年から政府が推し進めた働き方改革によって社会に大きく浸透しました。2020年にはコロナ禍で副業の推進もあり、多くの企業で成果型報酬制度に移行するきっかけになったのではないでしょうか。

――「自分自身の成果で評価」と言われると、仕事のやる気になりますし、適切な評価を受けているという満足感にもつながりますね。

その通りです。まさに私が起業した理由にも当てはまりますし、提供しているサービスを通じて、より多くの企業が適切な人事評価をして事業の弱みや強み、社員の魅力を見つけてほしいと思っています。

日本型雇用システムから成果型報酬システムへの移行は、極めて新しいもので大きな変化のように感じられるかもしれませんが、実は日本にも前から存在していたものなんですよ。例えば、プロスポーツの世界です。プロ野球やJリーグなどは、毎年シーズンが終わると選手と所属チームの間で年俸交渉を行いますし、成績が悪ければ年俸が数十%ダウンということもしばしば起こります。また、自分自身は「いい成績を残せた」と感じていても、所属クラブに評価してもらえず、チームの移籍を決断する選手もいますよね。このように、「対自分」の評価であり、「賃金が伸縮性を持っている」ことが成果型報酬の特徴です。

今の日本は成果型報酬制度への転換期とも言えますが、アメリカや中国では当たり前の制度でもあります。アメリカでは、人事評価制度のことを「パフォーマンス・マネジメント」と呼んでいます。一人一人の特性を最大限に生かすためのマネジメント、という意味であり、日本の「査定」という目的が強い評価制度とは異なります。日本が世界の企業と肩を並べるためにも、成果型報酬のシステムが必要になってくるのではないでしょうか。
   

人事評価では、「株式会社じぶん」の思考がカギ


   
――社会の動きに合わせて人事評価制度にも変化が起きているとのことですが、私たちのような働く側、「評価される側」はどのような姿勢で制度に向き合うべきでしょうか。


少しきつい言い方にはなりますが、人事評価は「今いる会社にこれからも在籍するかどうか」を判断する重要な材料だと思います。つまり、評価制度そのものや、制度によってつけられた自分の評価に納得がいかない部分があるのであれば、その会社で働く意義がないということです。先ほどのプロスポーツの話と重なりますが、自分が今いる会社だけが適正な評価をしてくれる場所とは限りません。スポーツ選手がよりよい評価を求めて移籍をするように、自分を今以上に高く評価してくれる企業があるかもしれないのです。年に数回行われる人事評価のタイミングで、「自分が評価されている」と考えるのではなく、「自分もこの会社を評価する」という視点も持つことが大切です。

また、人事評価に向き合うにあたって必要なのは、「自分は会社にどう貢献できるのか」「自分の給与は自分で決める」の二点を働くときに常に意識することです。「月に○円で、これだけのことができます」と、自分をサービス化して自ら価値を決めることで、適切な評価がされているかを自分自身で確認することができます。こうした考え方は、学生時代のアルバイトのときには考えられていても、いざ企業に属してしまうと蔑ろになってしまいがちです。

例えば、家庭教師のアルバイトを例にすると「自分は英文学を学んでいるので、時給2,500円で高校生向けに英語を教えます」というアピールが、当たり前のように行われています。また、「今は大学2年生ですが、大学3年生からは英語で論文を書くようになるので、時給3,000円で英語の小論文対策も教えることができます」という風に、そのスキルの高さや将来性をアピールしている人も少なくありません。この場合、「自分は英語を他者に教えることできる人」であり、「時給は2,500~3,000円」と、自分の価値をしっかり理解できています。

一方で、私の経験から考えると、企業に働いている人は「あなたは何を提供できますか」「その対価はいくらですか」という問いに答えられないことが非常に多いです。集団の中に長期間属していて、かつジョブローテーションもあるというような職場環境では、自分の価値すらも理解できていないのです。企業が評価してくれるからと受け身にならずに、サービスを適切な価格で提供する「株式会社じぶん」なのだという発想が必要ですね。

――反対に、「評価する側」の経営者や管理職の人は、人事評価制度をどう捉えればよいでしょうか。

「評価する」という一方的な視点ではなく、「部下とコミュニケーションをとる」という考えを持つことです。部下が持っている仕事に対する思いや今後の目標などを人事評価を通じて知り、それに応える機会だと認識することで、部下も、そして管理職や経営者自身も働きやすい企業になっていくと思います。

海外の人事評価の話を少しだけしましたが、アメリカや中国では、人事評価は部下のスキルを確認し、さらに伸ばす人材育成ツールとして認識されています。つまり、半期や四半期を振り返って、「きちんと仕事ができているか」を確認するのではなく、「なぜその目標が達成できたのか/できなかったのか」「今後どうすればさらに成長してもらえるか」を確認するツールということです。未来志向の意識を持ち、「これからも一緒に働いてもらうために」を考えるのが人事評価制度ということですね。経営者として、そしてそうした“伴走”ツールを提供する企業に属する一人としての思いになりますが、人事評価制度を「会社と、上司・部下と、コミュニケーションをとるツール」として捉えてもらい、それぞれのやりがいを見つけてもらえればと思います。
   

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