寺田 一世さん

情報連携学部情報連携学科
片山学園高等学校 出身
東京都庁 就職

文芸理融合でボーダレスに
在学中からITの社会実装で幅広く貢献
入学時のワクワクから
勢いでコンテストに挑戦

高校3年生で文系へ転向したこともあり、文芸理融合の学びからITの社会実装を究めたいと考えていました。
入学前に情報連携学部のキャンパスを見学に来たとき、新設されたばかりの真新しい施設とスマートフォンで照明や空調、ドアロックなどを操作する様子から未知の可能性を感じ、ぜひここでさまざまな新しいことに挑んでいきたいと、ワクワクしたのを覚えています。

1年生の5月に「第1回東京公共交通オープンデータチャレンジ」というコンテストがあり、表彰式を見学して自分も挑戦したくなりました。いきなりでしたが開発に取り組み、東京オリンピック・パラリンピックの大会観戦者へ公共交通のガイドを行うアプリを作りました。翌年3月の第2回コンテストに応募して、東日本旅客鉄道賞をいただきました。その後も製品の改良を重ね、公共交通だけではなくオリンピック会場まで案内できるようアップデートし、同年12月には学生向け研究・開発コンテスト「NAVITIME APIチャレンジ2019」でファイナリストにノミネートされました。

現場でウェブサイト開発
人々の暮らしを支える土台に

2年生の3月からは、地元富山県の新型コロナウイルス感染症対策サイトを開発しました。東京都のオープンソース(自由に改変できるプログラム)をベースに、富山県の仕様へローカライズ(地域仕様にアレンジ)したものです。
データの形式や集計の基準が自治体によって異なるため、単純に数値を当てはめていけるものではなく、データの統合管理はかなり大変です。はじめはまったくの個人活動で、テレビの情報からデータを手入力していました。サイトの存在が徐々に広まり、SNSで知り合った人へデータ更新について相談したところ、県庁の人へつながって富山県の公式サイトとして認定。データも県から直接受け取って、更新を自動化する仕組みにすることができました。今もSNSやご意見フォームに寄せられる提案を参考に、改善を重ねて運用しています。

3年生の1月からは、都庁の非常勤職員としてコロナ対策関連のサイト改修を行いました。
入学当初は公務員になるなんてまったく頭にありませんでしたが、4年間の活動のなかで多角的な視点を持ち、さまざまな人や機関と連携して社会を良くしていく取り組みを進めるうち、人々の生活の中心で社会を動かしているのは公務員だと気づかされました。日本の首都である東京都のデジタルシフトを強力に推し進め、地方へ展開することにより、日本全体をアップデートしていきたい。そう考え、東京都への就職を決めました。

言わなきゃ誰も分からない
「ダメ元でいい、表現しよう」

大学受験時に文系へ転向したくらいなので、理化学はあまり得意ではありません。でも、情報科学技術を社会の仕組みへ実装する際には、アイデアさえあれば意外とチャレンジできるものなのだと手応えを感じました。
1年生で挑戦した公共交通アプリの開発も、電車好きという興味が足し算されてコンテスト挑戦へつながっています。また、新型コロナウイルス感染症対策のサイト運営も、地元の人たちに、適切な情報を届けたい、喜んでもらいたいという思いから活動を始めました。身近な興味や身近な不便からの気づきをすくいとっては、課題を見つけて解決策を考える。情報技術を社会へ展開する取り組みは、地道ですが、やりがいがあります。

入学したばかりのころは、将来何をしたいかなどイメージできなくて当たり前です。まずは積極的に自分のアイデアをアウトプットしてみてください。頭のなかで考えているだけでは誰にも気づいてもらえません。ダメ元でいいから表現して、実行してみてください。フィードバックを求めたら、きっと誰かから、改善のヒントが得られます。そこから人との交流が生まれ、つながりが広がるのです。

My Memories

  • 1年生
    入学後に支給された学生証とネームホルダー
    大学生になったことを実感しました。プログラミングは未経験で不安一杯でしたが、切磋琢磨し頑張りました。
  • 2年生
    大学でできた友人との20歳の誕生日祝い
    友人と20歳の誕生日を祝いました。この後、日本でも新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めました。
  • 3年生
    開発運営を行った富山県公認新型コロナウイルス感染症対策サイト
    富山県内で感染者が確認された当日に公開まで行い、以後現在まで改善を繰り返しながら運営を行っています。
  • 4年生
    非常勤職員として勤務した東京都庁
    大学の進んだICT環境との違いに衝撃を受けつつも、中央卸売市場のオープンデータ整備などを行いました。