Special Interview 特別対談
Future Vision 将来構想
地球社会の明るい未来への貢献を目指す中期計画を策定 Aiming to Contribute to a Bright Future for the Global Community Formulation of a Medium-Term Plan
学校法人東洋大学は、2024年度までの5年間の活動の指針となる中期経営計画「TOYO GRAND DESIGN 2020-2024」を策定。この中期計画に基づくキャンパスの整備や学部学科の再編を計画しています。
Action for Toyo university's SDGs 東洋大学のSDGsへの取り組み
Founder Enryo Inoue 創立者 「井上円了」とは
哲学教育を礎とし
世界に通用する人材を育てる
Nurturing World-class Talent Based on Philosophy Education
東洋大学は1887(明治20)年、哲学者 井上円了が創立した「私立哲学館」により、その歴史が始まりました。時代が江戸から明治へと移り、近代化が進み始めた日本において、円了は「哲学は新しい時代を生きる日本人にとって思考の根本になる」と考え、「哲学すること」の重要性を示しました。
それは、いわゆる哲学者を養成することではなく、哲学を学ぶことにより、人々が主体的に生きることの重要さを説くものでした。

井上 円了(1858年~1919年)
1858(安政5)年、慈光寺(新潟県長岡市)の長男として生誕。10歳で明治維新を経験し、漢学・洋学を学ぶ。20歳で設立直後の東京大学第1期生として予備門へ入学、23歳で文学部哲学科ただ一人の新入生となる。「哲学」という西洋の古代から近代まで発達してきた学問の本質を学びながら研究を重ね、「諸学の基礎は哲学にあり」と確信。そして、幼少期より身近にあった「仏教」を見直し、東洋哲学を発見した。大学を首席で卒業した2年後の1887(明治20)年、東洋大学の前身となる「私立哲学館」を創立。
「哲学の研究・普及が文明を発展させるために不可欠」と考え、著作と学校教育・社会教育による哲学の普及に身を捧げ、「東洋の日本」から「世界の日本」を志し、海外を視察するなど、明治時代の日本で新しい教育の扉を開くことに尽力した。1919(大正8)年、中国大連での講演中に倒れ、61歳で逝去。
旅する哲学者
生涯において「実際に見て、聞いて、学ぶ」ことを重視していた井上円了は、海外渡航が難しかった時代に3度の長期世界視察を敢行しました。世界で得た知見を大学教育の理念とし、さらに後の全国巡講により民衆が多様な価値観を学ぶ機会を設けました。この思想は21世紀の東洋大学においても「グローバル人財の育成」という基本方針に継承されています。
また、晩年の円了は「田学」と称し、日本全国を回る壮大な講演旅行「全国巡講」を実施。海外視察で学んだ「言論の自由」「人格の尊重」などの社会教育や生涯学習の広範な普及を目指しました。27年間にわたるこの旅は、現在の市町村の約60%に及んでいます。合計5,291回※の講演活動を行った円了は、中央と地方の間で今以上に大きな格差のあった明治時代において、社会教育のパイオニアだったといえます。
※15冊の「南船北馬集」に記録が残されている1906(明治39)年から1918(大正7)年までの13年間の講演回数。
教育の門戸を広げる志
井上円了が私立哲学館を創立した際の趣意書には「余資なく優暇なき者に教育機会の場を開放する」とあり、哲学館の授業料を低く抑えることで一人でも多くの人に門戸を開こうとしたほか、講義をまとめたテキストを送り自宅で学習できる「館外員制度」(現代の通信教育にあたる制度)もいち早く取り入れました。教育の機会を万人に開放するというその大いなる志は、現在の東洋大学における「第2部・イブニングコース」などへと受け継がれています。
哲学者にして妖怪博士
井上円了は、哲学者であると同時に「妖怪研究」の第一人者として知られています。その狙いは、大衆を根拠のない迷信から解放し、自ら考える姿勢を身に付ける『哲学の第一歩』を示すためで、日本人の心を近代化しようという壮大な取り組みの一環でした。
Reports 事業報告
History 沿革
井上円了の志を継ぎ、歩み続けた130年 130 years of continuing Enryo Inoue’s vision
1887年~
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1887(明治20)年
井上円了が本郷区龍岡町の麟祥院内に私立哲学館(東洋大学の前身)を創立する
- 1897(明治30)年 小石川区原町に新校舎落成(現・白山キャンパス)
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1899(明治32)年
私立京北尋常中学校※を開設
※現・東洋大学京北中学高等学校

1905年~
- 1905(明治38)年 京北幼稚園を開設
- 1906(明治39)年 私立東洋大学と改称
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1916(大正5)年
日本の私立大学で初めて女子の入学を許可
- 1920(大正9)年 「私立」の冠称が廃止され、東洋大学へ改称

1949年~
- 1949(昭和24)年 新制大学に移行、文学部を設置
- 1952(昭和27)年 大学院を設置
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1961(昭和36)年
川越キャンパス(埼玉県)を開設
- 1963(昭和38)年 東洋大学附属姫路高等学校(兵庫県)を開設

1964年~
- 1964(昭和39)年 東洋大学附属牛久高等学校(茨城県)を開設
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1977(昭和52)年
朝霞キャンパス(埼玉県)を開設
- 1997年(平成9)年 板倉キャンパス(群馬県)を開設

2005年~
- 2005(平成17)年 朝霞キャンパス(文・経済・経営・法・社会学部)の1・2年次を白山キャンパスに統合し、4年間一貫教育開始
- 2006(平成18)年 大手町サテライト(東京都)を開設
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2011(平成23)年
総合スポーツセンター(東京都)完成
学校法人京北学園と法人合併し、京北中学校・高等学校、京北学園白山高等学校、京北幼稚園を併設校とする

2012年~
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2012(平成24)年
創立125周年を迎える。125周年記念館(8号館)にて記念式典を挙行
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2014(平成25)年
東洋大学附属姫路中学校(兵庫県)開設
文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援(タイプB)」採択 -
2015(平成27)年
京北中学校・高等学校が東洋大学京北中学高等学校に校名変更し、男女共学の東洋大学附属校として東京都文京区白山に移転
東洋大学附属牛久中学校(茨城県)を開設 - 2017(平成29)年 赤羽台キャンパス(東京都)を開設

2021年~
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2021(令和3)年
赤羽台キャンパスに新校舎「WELLB HUB-2」が完成
ライフデザイン学部・ライフデザイン学研究科が赤羽台キャンパスに移転
