INDEX

  1. 大関昇進までの道のりを振り返り、 溢れる感謝の気持ち
  2. 「追いつき、追い越したい」 ライバルの存在が、誰にも負けない強さを生む
  3. “フランクな大関”として真摯に相撲道に徹し、 さらなる飛躍をめざす

INTERVIEWEE

御嶽海 久司

MITAKEUMI Hisashi

2015年 東洋大学 法学部企業法学科 卒業
1992年生まれ。長野県木曽郡上松町出身。本名大道久司。小学生の頃から相撲を始め、東洋大学卒業後に出羽海部屋入門。東洋大学在学時は、全国学生選手権や全日本選手権を制覇した。
2015年3月場所にて幕下10枚目格付け出しデビューし、21場所目となる2018年7月名古屋場所で初優勝を飾る。2022年1月に行われた大相撲令和四年一月場所において13勝2敗の成績で3度目の優勝を果たし、大関昇進が決定。長野県出身では江戸時代に活躍した雷電以来227年ぶりの新大関誕生となった。

動画『新大関・御嶽海関に一問一答「大関昇進を支えたものとは」』

大関昇進までの道のりを振り返り、 溢れる感謝の気持ち


    
――この度は、大関昇進おめでとうございます。今の率直な気持ちを教えてください。

ここまで長かった、その一言です。プロデビューしてから大関候補と言われながらも、色んな力士に先を越されて。この7年は試行錯誤を重ね、今回大関昇進を果たせたことは嬉しいですし、少しほっとしています。それ以上に、疲れたという気持ちが大きいのが正直なところです。学生の試合は1日で取組が終わりますが、本場所は15日間にわたって行われます。幕下以下の力士は全15日間中、取組があるのは7日間ですが、本場所中は気を抜くことができないので、終わった瞬間、緊張から解放されてどっと疲れを感じました。

――本当にお疲れ様でした。多くの方が注目されていたと思いますが、大関昇進の発表後、周りからの反響も大きかったのではないでしょうか。

たくさんの方からメールなどでお祝いのメッセージをいただきました。全てに目を通すのに4日ほどかかりましたね。母校である東洋大学からも理事長賞をいただきました。
「大関としての姿を見たい」という声や、皆さんの声援に背中を押され、ここまでやってくることができたため、結果で恩返しができて心より嬉しく思っています。
両親からは「ここからが目標のスタートラインであり、正念場。このまま怪我をせずに、長く相撲を取ってほしい」と言葉をかけられました。両親とは久々の再会だったこともあり、喜びもひとしおでした。

――周りの声を受けて、ご自身の中でも大関になったという実感が湧いてきたのではないですか。

応援してくださる方も今まで「関取」だったのが、「大関」と呼んでくださるようになりました。本当に自分のことかとまだ不安になることもありますが、大関になったと実感が湧いてきますね。
本場所中も、地元から多くの声援をいただき、皆さんの喜ぶ顔を想像しながら土俵に上がっていたので、相撲を続けてきてよかったと思っています。

――口上に、母校の木曽町立福島中学にある石碑に刻まれている「自分の持ち味を生かし」という言葉を入れられており、御嶽海関の地元への思い、郷土愛の強さを感じました。

口上では「感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味を生かし、相撲道にまい進してまいります」と述べさせていただきました。「自分の持ち味を生かし」は同じ出羽海部屋の大先輩、木村庄之助さんの言葉ということで、絶対に使いたいと思いました。多くの方に支えられ、繋がり、ここまでくることができたので、その感謝の気持ちを込めて使わせていただきました。
 

「追いつき、追い越したい」 ライバルの存在が、誰にも負けない強さを生む


    
――たくさんの方との出会いに支えられた大関昇進までの道のりだったということですが、そもそも相撲と出会ったのはいつ頃でしょうか。


皆から珍しいと言われますが、通っていた小学校の校庭に土俵があり、幼いころから相撲を身近に感じる環境で育ちました。
相撲を本格的に始めたきっかけは、小学1年生の時に地元の相撲大会に参加したことです。当時から身体が大きかったので、順調に勝ち進んだのですが、決勝戦では自分より一回りも二回りも小さい男の子に投げられて負けてしまい、今まで感じたことがないほどの悔しさがこみ上げてきました。その大会が終わってすぐに、両親に「相撲を教わりたい」とお願いしましたね。

それから自分には相撲しかないと思い、中学、高校とのめり込んでいきました。高校時代、部員が4、5人と少なく、実践練習が難しかったこともあり、基礎運動に力を入れていました。四股やすり足、テッポウ、自重トレーニングなどの基礎を、誰よりもやったという自負があります。その甲斐もあり、高校3年生の時に出場した全国大会で優勝することができ、その時の嬉しさは今でも鮮明に覚えています。
反対に、絶対に優勝できると思って挑んだ中学校の時の全国大会で、ベスト8で敗退した時の悔しさも忘れられません。

――大関昇進が決定した後のインタビューでも「絶対に誰にも負けたくない」とお話されており、気持ちの強さを感じたのですが、その精神的なタフさはどこからきているのでしょうか。

番付がある世界なので、諦めも必要なのかと思った時期もありましたが、親方や付け人、そして期待を寄せてくださる皆さまの思いに触れると、ここでくじけてはいけないと思いました。稽古の時も、自分はまだまだ強くなれると信じて取り組んでいます。

大学時代は「追い越したい」「この人より強くなりたい」と思わせてくれるライバルが周りに多くいたことも原動力になりましたね。部員20~30人の相撲部で色んな人と相撲が取れたことで、メンタル面だけでなく技術も高まりました。また、弱点を指摘し、優しく指導してくださる先輩方も多かったので、“自分の相撲”と向き合うことができたと思います。

――取組の前などに、気持ちを高めるためにされていることは何かありますか。

自分の世界に入って集中力を高めている人が多いですが、僕はずっと付け人など誰かと喋っています。周りからは「よくそれで勝てるね」と言われるのですが(笑)。口を動かして、笑っていると一番リラックスできるんです。相撲を取る時は一人ですが、親方や付け人、そして応援してくださる方々の思いがあって土俵に立てているので、その方たちのことを思うと、集中力は自然と高まります。

――今場所では、元大関・霧島の陸奥親方の一言で気持ちのスイッチが入ったともお聞きしたのですが・・・・・・・。

2021年8月に行われた合同稽古の時に、陸奥親方から「もっと稽古をやっていたら今ごろ大関に上がっていたよ。稽古したら強くなるのだから。」と声を掛けられ、気持ちが奮い立ちましたね。具体的なアドバイスもいただき、元大関の方が僕みたいな力士を気にかけてくださっていることを嬉しく思いました。

――違う一門でもある親方からの言葉は心に響きますよね。それから特に力を入れて磨いた技などはありますか。

それからという訳ではないのですが、大学3年生の時から自分の強みとしてきた“突き押し相撲”を稽古でも貫きました。

――真っ向から勝負する突き押し相撲は、常に前に進み続ける御嶽海関にぴったりだと思います。激しい稽古に打ち込むためにも、身体づくりは欠かせないと思うのですが、御嶽海関ならではの習慣はありますか。

小さい頃は、父の勧めできな粉をよく食べていました。ご飯の上にきな粉をかけたり、牛乳に混ぜてきな粉牛乳として飲んだり。あと、食事の時にはラーメンどんぶり2、3杯分は白いご飯を食べていましたね。
  

“フランクな大関”として真摯に相撲道に徹し、 さらなる飛躍をめざす


    
――1つの目標である大関昇進を果たされましたが、理想の大関像、またその先の目標について教えてください。

近寄れない大関と言われたいですが、僕の性格上それは難しいので、フランクな大関をめざしたいと思います。ただ、土俵の上では人一倍、気迫のある相撲を取りたいですし、絶対誰にも負けたくないです。大関という番付に満足するのではなく、さらに上の横綱をめざしてやっていきたいと思います。

――最後に、全国の力士をめざす後輩たち、また応援しているファンの皆さんに向けてメッセージをお願いします。

まず、全国の力士をめざす皆さんには、目の前のことだけに捉われず、常に高い目標を持ち続けて、さらなる高みをめざしてほしいですね。あと、基礎は何よりも大切に。基礎は絶対に嘘をつかないので、疎かにせず、練習に励んでください。

大関になるまで7年かかりましたが、皆さんに今まで以上に良い取組、良い結果を届けたいと思っています。1つ上の番付をめざして稽古に精進していきますので、今後も熱い声援をいただけると嬉しいです。
これからも応援よろしくお願いいたします。

――御嶽海関のさらなる飛躍に期待しています!本日は、ありがとうございました。
 

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