井上円了の教育理念

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- 教員無試験検定はこの年から適用され、すでに卒業試験を終えた修身科と漢文科の教員資
格は、この日に与えられた。しかし、卒業生の中に倫理科の学生は含まれていなかった。
六月二十五日からはじまるはずだった試験の直前に、 文部省が延期を命じたからであった。
理由は、倫理科の無試験検定が認可されたのはほかの二つの科目より遅く三十二年十一月
だったので、それから満三年が経過していない時点での適用は認められない、ということ
であった。これは哲学館にとっては思いがけないことだった。追加して認可されたという
ことは、修身科・漢文科が認可された七月にさかのぼるものと考えていたからである。
文部省がきっちり満三年後に適用するとしたのは、単に官僚主義的な発想によるばかり 思われる。
ではなく、官学中心主義を貫いている文部省の、私立学校に対する圧力の一種だったとも
長い間官立学校のみに無試験で教員資格を与えていた文部省が、明治三十二年の省令で
私立学校にも同じ特典を与えたのは、当時の文部大臣尾崎行雄が慶応義塾出身者であった
ために私学に対する開放政策を進めたからである。私学の発展はこの政策に乗ったもので
もあった。ところが、文部大臣が代わると、文部省はさっそく新たな官立の教員養成機関
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