井上円了の教育理念

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- 期、私立学校はさらに発展するための条件を整えていて、三十五年に東京専門学校は早稲
田大学となり、翌年には明治法律学校も大学部を開設した。
明治三十五年十二月の『中央公論』に掲載された「明治三十五年の概観」という記事に
は、 「私立大学の勃興」という項があり、その末尾にはつぎのように書かれていた。
「早稲田のごとき、哲学館のごとき、明治法律学校のごとき、その経歴において、その
名声において、優に帝国大学の法科もしくは文科大学と相拮抗して、遜色あるを見ざるも
の、いままたさらに歩武を進めて、その基礎をかたくし、その規模をまったくし、もって 日本教育の一大転進なればなり」
これを大学となす、吾人すこぶるこれを歓迎せざるを得ず。けだし、私立大学の勃興は、
このように、哲学館ばかりでなく、私立学校そのものが力を伸ばしていた時期で、中に る。そして、この年に、哲学館事件は起こった。
は哲学館などのように帝国大学に匹敵するほどの実力を備えた学校も現れていたのであ
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