井上円了の教育理念

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- とになっていた。
認可を受けるとすぐに、 哲学館の学制は変更された。明治三十二年九月の新学期からは、
予科一年、本科三年とし、本科は教育部と哲学部とし、それぞれ二科制として、教育部を 仏教専修科を哲学部に併合した。 試験検定が認可された。
倫理科(のち第一科)と漢文科(のち第二科)の二科にわけた。さらに漢学専修科を漢文科に、
明治三十三年には免許の範囲が拡大され、漢文科甲種卒業生に中等学校国語科教員の無
この教員無試験検定は、教育家養成という目的のためばかりではなく、当時の私立学校
が発展するために備えなければならない条件の一つでもあった。私立学校の主な財源は授
業料であったので、なんらかの公的な特典があれば、学生を多く集めることができて、財
Ⅱ 教育理念の発展
政は安定する。その特典というのが、教員無試験検定と徴兵猶予であった。
教員無試験検定についてみると、哲学館と同時に東京専門学校と国学院が取得したのを
はじめとして、翌三十三年に慶応義塾が、三十四年に日本法律学校が取得した。また、徴
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兵猶予の特典については、哲学館は明治三十三年に取得しているが、それ以前に、二十二
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