井上円了の教育理念

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- 京北中学の設立
火災があったとはいえ、井上円了の教育構想が停滞したわけではない。すでにその開設
が発表されていた漢学専修科は、明治三十年一月十日に開校し、授業は十八日からはじま
った。入学者数は七十余名であった。計画されていた国学・漢学・仏学の専修科のうち、
漢学を優先したのは、すでに国学には国学院が、仏学には仏教各宗の大学林があったから
である。仏教専修科は二月に開設が予告され、四月八日に麟祥院で開校式が行われた。
このように、大学設立へ向けて前進しながら、一貫教育の面でも実現をはかっていた。
原町の新校舎に移転した一か月後、宮内省から恩賜金三百円が哲学館に与えられた。井上
円了はこの金の使途について熟慮して、中等教育発展のために尋常中学校を創設すること
Ⅱ 教育理念の発展
を決め、十月からさっそく校舎建設に着手した。それが明治三十二年二月二十六日に開校
した私立京北尋常中学校である。校長は井上円了、補佐に湯本武比古があたった。湯本は
皇太子の教育係をつとめた人物で、哲学館の講師をしながら『教育時論』という教育界で
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著名だった雑誌の主筆でもあった。四月に新学期がはじまると、井上円了は自ら教壇に立
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