井上円了の教育理念

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- 今から九十年余り前、このあたりの高台はキジが鳴きながら飛び交う藪であり、低地は
田とも沼ともつかないものであった。この土地を見た学生が「こんなところを買って、ど
うなさるおつもりですか」と驚いたほどだ。しかし、井上円了の脳裏には明確な構想がで
きあがっていて、笑いながら「きみたちにはまだわかるまい」と答えた。
実は、この土地は明治二十八年十一月に購入されていたもので、二十九年新年の挨拶で
井上円了が述べた、東洋大学と東洋図書館の建設予定地であった。哲学館の「明治二十八
年度報告」には、すでに建築図まで掲げられていたが、購入時の計画では新校舎の建設は
五年後となっていた。それが火災のために早められたのである。
井上円了は再建のために忙しく働き続け、休むことはなかった。災いを福に転じようと が行われた。
したのである。その甲斐あって、新校舎は七月に完成し、九月の新学年からはここで授業
ところで、のちに井上円了は「三大厄日」といっている。一番目は、蓬萊町校舎が完成
直前に台風で倒壊したことで、これを風災と呼び、二番目は、この火災である。そして、
三番目は、明治三十五年に起きた「哲学館事件」で、彼はそれを人災と呼んだ。
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