井上円了の教育理念

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- エピソードである。
ところで、 この火災を報道した新聞の中に「何ぼ博士でもハイ鬼門には勝たれませぬさ」
と書いているものがある。井上円了は、東京大学在学中の明治十九年に不思議研究会を組
織し、また明治二十六年には妖怪研究会を設立するなど、合理的・実証的な精神に基づい
「迷信」という言葉は、明治以後 superstition の訳語として て迷信の打破、妖怪の撲滅をはかっていた(
用いられ、井上円了のこの活動によって一般化したといわれる) 。 し た が っ て、 彼 は 哲 学 館 建 築 に 際 し て
も、鬼門など存在しないことを証明しようという意図から、方角等をいっさい考慮に入れ いる。
なかった。先の記事は、このような彼の主張にもかかわらず火事が起きたことを皮肉って
白山校舎の誕生
Ⅱ 教育理念の発展
火災の起こったのが十二月も半ばだったことから、すぐに休校措置がとられ、新年の授
業は仮校舎ではじめられた。校舎の再建は翌年四月に着手され、場所もそれまでの蓬萊町
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から小石川区原町鶏声ケ窪に移転した。ここが現在の白山キャンパスのある場所である。
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