井上円了の教育理念

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- 大工を頼んで納屋で机や椅子の修理をさせていた。出火元がこの納屋であることから、火
災の原因は大工の吸ったタバコか暖房の火ではないかとみられている。
出火は夜十時三十分ごろであった。寄宿舎で熟睡していた学生がたたき起こされたとき
には、すでにあたりは昼間のように明るくなっていたという。近くに交番がなかったので
消防への通報は遅れたが、隣の真浄寺で半鐘が打ち鳴らされた。近所の人々が駆けつけた
ときには、火はまだ納屋を吹き破ったばかりだったので、井上円了宅の井戸から水を汲ん
で消火につとめたが、火勢はいよいよ強くなり、とうとう校舎に燃え移った。火はさらに
寄宿舎にも移り、学生たちはその前に身の回り品を持ち出してはいたが、ただ呆然と学校
が焼け落ちていくのを眺めているしかなかった。約一時間後に鎮火したときには、校舎も
寄宿舎もすべて灰となり、図書や書類もほとんど失っていた。
この火災に遭って、郁文館館長の棚橋一郎はひどく狼狽したが、井上円了は少しも慌て
ることがなかった。学生が見舞って「思いがけないことで、肝をつぶされたでしょう」と
いうと、彼は縁側に腰掛けたまま「荷物はほとんど出しましたよ」とだけ答えて、平然と
していた。彼はふだんから理性的で冷静沈着なタイプだったというが、それを如実に示す
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