井上円了の教育理念

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- 上円了は明治二十三年七月二十一日付けの勝海舟宛の手紙で、哲学館の経営の見通しが立
たず、秋から予定している専門科開設のための資金募集の方法についてもよい手段がない
と書いている。しかし、このときすでに、彼は全国巡講の予定を立てていた。つまり日本
各地を講演して歩きながら、 哲学館の教育の趣旨を説明し、 寄付を募ろうというのである。
彼が出発を予定していた日の四日前、すなわち十月三十日に「教育勅語」が発布されたの
で、彼はこの巡講において教育勅語に関する講演も行い、その普及にもつとめた。
『哲学館報告 記録 (
全国巡講は、明治二十三年から二十六年まで行われ、彼は精力的に日本各地を歩いた。
明治二十六年度』 )によれば、二十六年六月までの足かけ四年間に、 「一道一
府三十二県、 四十八か国、 二百二十か所を巡回し」 、 演説の回数は八百十六回に及んでいる。
Ⅰ 教育理念の形成過程
講演日数をのべで示せば、三百九十日、つまり一年一か月になる。当時は現在のように交
通機関が整備されていたわけではないから、この巡講は想像以上に困難な旅であったが、
これを支えたのは三十代半ばという彼の若さと教育への情熱であった。
また、彼は館主の立場として自己を見直し、生活のあり方を変えた。名刺に「禁酒・禁
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煙諸事倹約」と印刷し、実行した。時には寄付を依頼するのに「香典先払い」などという
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