井上円了の教育理念

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- これまで見てきたように、創立も移転も有志による寄付金が基金となって行われた。当
時、私立学校の主な資金源は授業料であったが、学生数が少ないため、学校の維持運営に
も大きな困難がつきまとっていた。しかし、官学中心主義の政府は援助をしなかった。そ 知恵を絞った方法を考えている。
のため、私学が新たな教育事業を展開するためには、寄付金によるしかなく、それぞれに
慶応義塾の場合には、明治十年の西南戦争後に学生数が激減して経営難に陥った際、政
府に資金借入れを申請したが、対応がはかばかしくなかったため、自力で資金調達の道を
見つけなければならなかった。個人経営の限界を知った福沢諭吉は、卒業生や彼の共鳴者
に呼びかけて「社中」という組織をつくり、彼らからの募金を学校の資本とした。この制 きたのであった。
度がのちに役立って、明治二十三年に他の私学に先がけて「大学部」を設置することがで
全国巡講
それでは哲学館は専門科設置に必要な十万円をどのようにして集めたのであろうか。井
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