井上円了の教育理念

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- を標榜していた。
この時代には政府、民間を問わず、 「独立」という目標を掲げていたのであるが、特に
アへン戦争以来西欧列強が中国を植民地化し、日本にとっても脅威となっていた状況にお
い て、 「国家の独立」というテーマは日本全体の緊急課題とみなされていた。そのため、
幕藩体制下における地方分散性と士農工商という身分制を打破し国民国家を樹立するこ
と、および欧米列強との不平等条約を改正するための富国強兵政策を実現すること、この
二つは明治前期の日本の各層が抱いていた共通目標であった。
政府も人民も「国家の独立」というナショナリズムの確立においては共通していたもの
の、しかし、そこには方法上の相異点があった。すでに述べた教育政策における官学と私
学の関係のような対立は、明治前期における政府と人民の構造的な関係であり、例えば明
治十年代までの士族反乱、自由民権運動、初期帝国議会における藩閥政権をめぐる問題な
どは、専制的な政府に対する「民」の抵抗とみられる。二十年代に入って、政府が国家独
立のために欧化主義をとるようになると、これに対して民間の立場からの運動が起こって
きた。明治二十一年に結成された政教社が展開した思想運動の背景にはこのような国家の
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