井上円了の教育理念

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- まった。この思いがけない事故により、費用は予定以上にかかり、落成時には負債が残っ た。
校舎は二階建てで、教室は一階に百五十人収容のものが、二階に五十人収容のものがあ が入れるようになっていた。
った。また、校舎とは別に寄宿舎も建て、こちらも二階建てで、七畳二十室で四十人以上
この校舎は哲学館の所有であったが、ちょうど棚橋一郎が郁文館(現在の郁文館高校)を創
立したため、哲学館の授業のない午前中は郁文館に貸与していた。郁文館は中等教育の場 顧問に就任した。
Ⅰ 教育理念の形成過程
であったが、哲学館の学生にも英語の授業を受けさせていた。また、井上円了は郁文館の
哲学館の改良
麟祥院から蓬萊町の校舎への移転式は明治二十二年十一月十三日に行われた。来賓は加 の高僧などあわせて百名、それに学生が参列した。
藤弘之元老院議官、榎本武揚文部大臣、高橋五六東京府知事をはじめ、博士、学士、各宗
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